2006.6.1(木)曇り時々晴れ。暑い。入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。九時から十二時。 寄り道。仏子の中橋付近に、変なものがある。川の真ん中に、大きな土管のようなものが、口を開けている。おそらく、橋脚の遺構だろう。なんとなく、気にかかる。
阿須の運動公園にも寄った。西側の景色を眺めた。きょうは、さえない。一枚も撮らずに、引き上げ。あとは、一気に、矢川橋まで走った。駐車場の脇、道路際に車を止め、歩行者用の橋から、川カミを眺める。 移動。橋を渡り、すぐに左折。川原道に入る。そろそろ行って、少し広くなったところに車を止める。水際に近づき、河岸段丘の上を歩く。飯能大橋の下までいく。野球場の脇を通って、戻る。人影もまばら。写真は駄目だが、いい散歩になった。
2006.6.3(土)くもり。入間川歩行はお休み。 午前中は、想念草子、写真紀行を書く。昼からは、おふくろの見舞い。午後遅くなって、昼寝。夜はテレビ。
2006.6.4(日)曇り。入間川歩行はお休み。 九時四十分、親水公園南端。昨晩、寝冷えをしたようだ。どうも調子がよくない。ウォーキングすら、億劫。 アンリ、カルティエ、ブレッソン。フランスの写真家だ。その名を世界的にした、有名な写真がある。水溜りを、中年男が飛び越そうとしている。足が、水面につくか、つかないかという瞬間に、シャッターが切られる。いわゆる、「決定的瞬間」だ。 土門拳の本に、ブレッソンのことが書いてあった。あまり人のことを誉めない土門が、絶賛していた。たしか、「決定的瞬間」についても、解説していた。 「美の巨人たち」というテレビ番組だった。写真に見覚えがある。そう、ブレッソンだ。あれが、どうして、世界的に有名なのか、今にいたるまで、了解できないでいる。好奇心がわいた。テレビを見続けた。ナレーターは、小林薫。ほぼ同世代の役者で、若い頃の彼を、状況劇場の舞台で見ている。近親感がある。耳を傾けた。写真の解説。世界の隠された時間が、垣間見られる。ふ〜ん、思わせぶりな言葉で、ぴんとこない。そのうち、木村伊衛兵の言葉も紹介される。ビロードの手と鷹の目を持った男。 木村伊衛兵という写真家も、自分にとっては、謎だ。正直言って、よくわからない。その木村も、ブレッソンのことを絶賛している。小林薫が続ける。天才のみが天才を理解する。 今一度、画面に、件の写真が映し出される。飛ぶ男のシルエットが、水溜りにうつっている。写真は、確かに美しい。見事な構図だ。ナレーションが、かぶさる。時間が、そこだけ、止まっている。 写真で、一番難しいのは、スナップ写真だ。スナップから始まり、スナップで終わる。なるほど、一理ある。しかし、写真家の撮ったスナップ写真には、どこか思わせぶりなところがある。深い意味があるような、ないような、実に曖昧だ。 ブレッソンも木村伊衛兵も、スナップの名人だ。天才といってもいい。しかし、どちらの写真も、自分にはぴんとこない。なにが、絶賛されているのか、正確には、それすら理解できない。アホだから、わからないのだ。それならいいが、どうもちがうような気がする。 ありていに言えば、世界感受の相違だ。したがって、直感的に理解できないものは、無理して、頭で理解することはない。同じ人間ではあるが、生きている世界は、千差万別。世界の見え方は、ひとつではない。 写真に限らず、作品とは、理解されることが前提ではなく、理解されないことが前提となっている。いわば、自己の世界認識を、おずおずと提出するものだ。だから、理解できません、といっても、非礼にはあたらない。むしろ、わかったフリをするよりは、よほどいい。それが、天才に対する、凡人の敬意の表し方だ。謎は、謎として、頭の片隅にとどめておこう。
2006.6.6(火)曇り時々晴れ。入間川歩行はお休み。 九時半、親水公園南端。薄い雲がかかっている。時々、陽がさす。写真を撮ろうとおもえば、撮れないこともない。歩行の順番は、加治橋付近。でも、まっすぐここに来た。 加治橋付近には、見るべきものがない。それでも、スカッと晴れた日なら、いい風景に巡り会えるかも知れない。あるいは、気が乗っているときなら、散歩がてらの写真撮影を楽しめるかもしれない。しかし、今日は、ふたつとも駄目。静かな所で、文章を書こう。 陽が差してきた。移動。加治橋方面へ向かった。でも、照ったり翳ったり。気が変わる。行くのはやめにして、右岸、入間川大橋の下へ車を回した。ところが、柵にチェーン。車が入れない。アスファルトが敷いてあるから、駐車場になるのかもしれない。 しょうがない。橋を渡った。左折して、今度は、左岸側の橋の下へ行った。こっちには、運動公園が造成されていた。少しの間に、景色が一変している。 河川敷の有効利用が、推し進められている。入間川から、緑が消え失せるのも、時間の問題だ。ほこりっぽい運動場ばかりつくって、いったい誰がトクをするのか。もう、腹も立たない。 入間川の自然を守るために、立ちあがる。市民運動をやる。いいや、一人で、ゴミを拾うことからはじめてもいい。ふと、想うこともある。だが、いつも、踏み切れない。もっとほかに、やることがあるような気がする。 人間の恣意で、日々変貌を遂げる入間川。数ヶ月前の景色が、今はこの世に存在しない。おそらく、誰も意に介さない。異議を唱える者もいない。いいや、一掃された草木や小鳥達がいる。棲家を奪われた魚や昆虫達がいる。人間の前から、永久に姿を消すことで、無言の抗議をしている。 生き物達の声に、耳を傾けたい。美しい景色を、一枚一枚剥ぎ取られていく入間川に、寄り添っていたい。この目に、胸のすくような風景を、焼き付けておきたい。それが、自分のやりたいことだ。自分にしか、できないことだ。
2006.6.7(木)曇り。入間川歩行はお休み。 九時十五分、親水公園南端。所在ない。ふと、パチンコへの誘惑に駆られる。麻薬と同じだ。理性で制する。 これといって、書くことが思いつかない。・・・自然石の収集。きれいな石を集める。けさ、テレビで特集していた。石の展覧会に、三万人もの人が集まった。石を採集する催しも、各地で開かれている。参加した中学生が、孔雀石という珍しい石を見つけ、喜んでいた。主催する団体のURLが、画面の下に出たので、覚えておこうと思った。 何年か前に、切手収集に夢中になった。しかし、二年くらいで熱が冷めた。ちょっと前までは、衣服のネットショッピング。その前はパチンコ。そのもっと前は、ホームページの立ち上げ。一年くらいは、歩行、写真、文章に熱を上げた。 熱しやすく、さめやすい。どれもこれも長続きしない。しだいに飽きて、ほかのことを考える。いわば、潜伏期間で、今がそうだ。なにか、面白いこと、熱中できることを探している。 心の隙間を埋めるためだ。煩わしさを忘れるためだ。いや、淋しさや虚しさを忘れるためだ。「不在」が、唯一の居場所なのに、性懲りもなく、逃げ出そうとしている。怖がっているようだ。 十時。気分転換。ウォーキングに出よう。
2006.6.10(土)曇り時々晴れ。入間川二十四番、加治橋付近。九時から十一時半。 梅雨の晴れ間、といっても、雲が多い。陽射しも弱い。写真は駄目かもしれないが、いちおう、現地まで行ってみよう。もう、十日以上、歩行が滞っている。 陽射しのない日は、歩行は取りやめ。そう決めてからは、足止めを食らっても、イライラすることはない。曇りや雨の日は、文章を書けばいい。しかし、十日は長すぎる。時間が、加治橋付近で止まっている。たいした景色ではないが、見て回らないことには、先へ進めない。義務感のようなものがある。 はじめに、八高線鉄橋を見よう。明かりの具合からして、午前中の早い時間がいい。駿河台大学を左に見て、すこし先のT字路を右折。阿岩橋のたもとに出る。茶屋の前に、壊れかけた野球のバックフェンスがある。いつもきまって、車を止める所だ。ところが、フェンスがない。 車から出て、辺りを見まわす。きれいに整備されている。柵に張り紙。広場として貸し出す。使用料と駐車場の料金が、細かく規定されている。近くの自治会が管理しているようだが、首を傾げた。金を出して、借りる者が居るのだろうか。どこにでもある、公園の広場と変わらない。 歩き出した。車が煩わしいので、今日は、歩行者専用橋を行く。橋の下に回り込み、西側の鉄橋を撮る。どうもよくない。空に色がない。それに、どうしても、橋梁の水平が取れない。無理をすれば、今度は、橋脚の垂直が取れない。ようするに、位置取りが悪い。いろいろ試すが、どうにもならない。 移動。加治橋の下へ行った。鮎釣りだろうか、川に、釣り人がたくさんいる。橋際から、川原道へ入る。居た。橋の下のホームレスは健在。姿は見えないが、椅子やテーブルが以前のまま。伸び上がってみる。奥が深い。両脇を、シートできちっと囲っているから、中の様子はわからない。ゆっくり通り過ぎる。見覚えのある物干し台が目に入る。ちゃんと、生活しているようだ。 すぐに行き止まり。見慣れない車止めがある。外に出る。突き当たりは、成木川との合流点。ネコの額ほどの河原がある。みると、親子がしゃがんでいる。父親と小さな娘。肩を寄せ合い、何かを見ている。モンシロチョウが、花のまわりを飛んでいる。横目でチラッと見て、やり過ごす。合流点で立ち止まる。上流に向け、気のないシャッターを切る。少しして、向き直る。親子が立ち去っていく。 河原へおりる。水流の勢いがいい。ふと見ると、足元に一株の雑草。小さな黄色い花を、いっぱい付けている。なるほど、これだな。同時に、名前が浮かんだ。カワラサイコ。確信はなかったが、おそらくそうだ。しかし、ろくに見もしないで、その場を立ち去った。 今来た道を戻った。橋際の、林業センター脇に車を止め、加治橋の上を歩く。シモもカミも、たいした景色じゃない。でも、いちおうは順路だ。 移動。橋を渡り、左岸側の探索。川沿いの道を行く。掲示板が、目に付く。笠縫自治会が、このあたりの河川敷を借り受けているらしい。あちこちに、車。子供広場などもある。すぐに、草深い道。その先は、行き止まり。車から降り、水際に近づく。雑木の間から、鉄橋が見える。逆光、か。いや、陽射しがない。それでも、何枚か撮る。アリバイ写真だ。 戻る。今度は、崖の上の一般道を走る。ややあって、視界が開ける。鉄橋が見える。道路に車を止め、かなりしつこく撮る。撮れたような気がするが、錯覚。曇天ぎみの、トップライト。空に色がない。きれいに撮れるはずがない。晴れた日の午後に、再挑戦。とはいえ、梅雨に入ったばかり。いつのことになるのやら。
2006.6.11(日)朝から雨。入間川歩行はお休み。 八時半にアトリエを出る。親水公園南端へ行く。車の中で、写真紀行を書く。しだいに雨が強くなる。十時半、引き上げ。暇つぶしに、ヤマダ電機へ行く。売り場が、だいぶ変わった。目に付くところに、デジカメのコーナーがある。ニコンのデジタル一眼もある。D200。手にとってみる。問題は、モニターの大きさだ。眼鏡をかければ、見えないこともない。でも、いちいち面倒だ。欲しいとは思わなかった。 今使っているデジカメで十分だ。やっと慣れたところじゃないか。買い換える必要性など、どこにもない。いいカメラで撮ったとしても、いい写真が撮れるわけではない。ウデに見合った道具を使うべきで、背伸びしてもしょうがない。 F5が、押入れで眠っている。借金までして買った、高級一眼レフカメラ。とうとう、使いこなすことができなかった。とはいえ、秘めた想いがある。いつの日か、あのカメラで、胸のすくような風景写真を撮ってみせる。
2006.6.13(火)曇り。入間川歩行はお休み。 八時半、アトリエを出る。まっすぐ、親水公園南端へ行く。車の中で、写真紀行を書き出す。 昨晩は、遅くまでテレビを見ていた。ワールドカップ2006、日本対オーストラリア。後半39分まで、1−0で、勝っていた。このまま勝ちだな、そう思った。ところが、そのあと立て続けに三点取られ、逆転負け。まるで、悪夢を見ているようだった。不愉快。すぐにテレビを消した。 夜中に何回も目がさめた。朝になっても、気分はよくならない。逆転負けのニュースなど、見たくもない。とはいえ、習慣だ。NHK、朝のニュース。サポーターの落胆した姿が映し出される。泣いている女の子も居る。それを見て、すこし冷静になった。サッカーファンでもない自分が、翌朝まで、負け試合のいやな気分を引きずることはない。 ワールドカップで、日本が勝とうが負けようが、自分にとってはどうでもいいことだ。もっとほかに、やることがあるはずだ。 ところがどっこい、やるべきことはあるが、やる気になれない。口には出せないことで、ストレスが溜まっている。そのはけ口を、なかば無意識のうちに探している。ギャンブル、酒、女。スポーツ観戦は、それらにくらべれば、はるかに健全だ。 マスコミが煽った。オーストラリアには勝てる。格下だ。勝てるものだと思って、試合を見ていた。しかし、相手も必死、力に差はない。むしろ、シュートの数では、上回っていた。勝てる試合を落とした、というよりは、力尽きたという感じ。大方の予想に反し、最後には、欧米人の体力がものを言った試合だった。 このあと、クロアチア、ブラジルとの試合がある。両方とも、格上のチーム。負けて当然。あまり入れ込まないで、スポーツ観戦を楽しもう。 十時五十分。公園内に、人影が多くなる。そろそろ引き上げよう。
2006.6.15(木)曇り。入間川歩行はお休み。 午前中は、お袋の診察同行。十一時過ぎに戻る。すぐに外出。パンを買い、親水公園南端へ行く。車の中で、テクラを開く。写真紀行を書くつもりだった。ところが、急に気が変わる。 お袋の病状如何では、手術ということもある。身構えていたのだが、さいわい、今回は見合わせることになった。ホッとした。気が緩んだのだろう、数十分後には、パチンコの玉をはじいていた。また、パチンコか! 「ちょろQ」という遊び台で、うった。確率が低いから、よく当たった。しかし、いかんせん出玉が少ない。一回の大当たりで400個程度。だから、いっこうにドル箱が増えない。粘ってもしょうがない。五時半に引き上げ。一万三千円の勝ち。 気分がスカッとした。いい気分転換になった。問題は、この後だ。また、パチンコ屋へ入り浸ることがないように、気をつけることだ。
2006.6.17(土)曇り。入間川歩行はお休み。 八時半に、アトリエを出る。まっすぐ、親水公園南端へ行く。車の中で、写真紀行を書く。九時半、少し陽が差してきた。車の中が暑い。誘惑。またパチンコだ。まっすぐ、イチプラ霞へ直行。 はじめは、確率の低い、遊び台でうっていた。ところが、遊び台とは名ばかりで、ほとんど遊べない。あっという間に、一万四千円やられる。もう限界。 台を離れる。ふらっと、新台の「スーパー海」のシマへ行く。一台だけ空いている。千回転以上ハマッている。ためしに、うってみた。一回目のリーチで魚群。半信半疑で見ていると、エンゼルフィッシュが三匹並んだ。ノーマル大当たり。時短に期待。ドキドキしながら見守る。また魚群。今度はカメが並んで、確変昇格。周りの客のため息が聞こえた。 以後、十連荘、六連荘、三連荘。合計19回出す。もっとも、四箱くらい飲まれている。交換出玉は二万五千発くらい。それでも、大勝だ。 勝ったには勝ったが、なんだか、素直に喜べない。またずるずると、パチンコ屋へ入り浸ることを警戒している。たまたま、ツイていただけだ。次は、絶対にやられる。これまで、何度も経験してきたことだ。 覚めた目で、店内を眺めてみろ。勝っている奴は二割以下だ。確率にして、二十パーセント弱。しかも、五万勝つのは、至難の技だが、負けるのは、あっという間。それに、勝っても負けても、身体に悪い。血圧が上がる。神経が参る。 儲けた金は、衝動買いした衣服の支払いに当てよう。ここ半年ばかりで、二十五万ほど使い込んでいる。七万ほどだが、かなり助かる。
2006.6.18(日)曇りのち小雨。入間川歩行はお休み。 八時半、アトリエを出る。まっすぐ、親水公園南端へ行く。車の中で写真紀行を書く。 昨日はパチンコで大勝。それにしては、さめている。今日は、やる気がしない。理性で、衝動を制している。いや、衝動そのものがない。ストレスが、発散されたのかもしれない。 パチンコなんかやってられない。ほかにもっと、やることがある。晴れた日には写真を撮る。曇りや雨の日は、文章を書く。写真紀行、想念草子、それに、はじめたばかりのブログ。これが、まっとうな考え方というものだ。 十時時半、小雨がぱらついている。車の中が、蒸し暑い。引き上げ。気分転換。スタンドで給油、シマムラなどで買い物。十二時半頃戻る。昼食、昼寝。起きたら、四時。頭がすっきりしている。さあ、また文章を書こう。
2006.6.20(火)曇り一時晴れ。蒸し暑い。入間川二十二番、阿須運動公園。九時から十一時。 八時半にアトリエを出る。気乗りしないまま、車を走らす。日差しが弱い。写真は駄目だな。かといって、ほかにやることもない。パチンコ。やる気がしねぇ。八高線鉄橋で時間がとまっている。歩こう。 運動公園の駐車場。平日だというのに、車が多い。脇のテニス場には、女子中学生の群れ。あふれかえっている。これから、大会が始まるようだ。大きな歓声が聞こえる。 護岸に立ち、丘の白い建物を見る。きょうは、駄目だ。ぼんやり、かすんでいる。一枚も撮らないで、歩き出す。対岸の景色を見ながら、川シモへ向かう。途中からは、草の生い茂った小道。視界がない。ところが、次々に人間が現れる。散歩道のようだ。すぐに、行き止まり。きれいにならされたゲートボール場。無人。中を突っ切り、川っぷちまで行く。右手に、上橋が見える。それにしても、さえない景色だ。 戻る。公園の南側は、高い崖。その下には、沼。水がよどんでいる。しばし立ち止まる。似たような場所が、どこかにあった。生まれ育った前野町だ。前野公園から、坂をおりていく。崖下のそろばん塾へ通っていた。そのちょっと先に、湧き水があった。透き通った水底に、おたまじゃくしの黒い頭が見える。 歩き出す。公園の緑地帯に、シロツメ草が咲いている。アカツメ草もある。ほかに、アカバナも目に付く。以前、ここで、アカツメ草を撮った。比較的よく撮れたので、写真紀行に載せた。しかし、今日は、カメラを向けることもしない。まったくと言っていいほど、興味がない。 去年の今頃は、花を撮りに、よく遠出をした。それに比べ、今年は、どこへも行っていない。行動範囲が、入間川流域に局限されている。それでも、息の詰まるようなことはない。むしろ、気持ちが休まる。ここ以外に、自分の居場所はない。 移動。阿岩橋を渡る。橋際に公民館の駐車場がある。そこに車を止め、鉄橋を眺めよう。ところが、掲示板。利用者以外は駐車禁止。しょうがない。少し走り、道路際の少し広くなった所まで行く。外に出る。右手の小学校から、なにやら音楽が聞こえる。校庭には誰もいない。授業中だ。川沿いに歩こうか。いや、やめておこう。サングラスをかけた、黒ずくめの男が、うろついている。不審者に間違えられそうな気がした。 オシッコ。空の高みで、鳶が、輪を描いている。ピーヒョロロ、ピーヒョロロ。実に、いい鳴き声だ。移動。左岸の駐車場へ行く。グランドでは、年寄り達がゲートボールをやっている。見向きもしないで、護岸沿いに歩く。川カミへ向かっている。流れが蛇行する辺りから、西側の景色を撮った覚えがある。阿岩橋と鉄橋が交差し、その向こうに、奥多摩の山並みが見えた。でも、今日は駄目。曇天。陽射しが弱い。空に色がない。 立ち止まる。岸辺に、五、六羽の鴨。川の真ん中にはカワウ。そのうち、カワウが飛び立つ。目で追う。視界を横切る。いや、また戻ってきた。いやな野郎だ。ただし、飛ぶ姿は、流線型。きれいだ。見ていると、阿岩橋のほうへ飛んでいく。かなりの距離がある。着地。あそこまでが、野郎の縄張りというわけか。 戻る。緑地帯で、男が、足を開き、腰を落としたまま、微動だにしない。太極拳かな?遠目に見ながら、近づいていく。と、男は体をひねり、腕をゆっくり動かし始める。形はきまっている。そばを通り過ぎる。あえて見ることはしない。勝手にやってくれ。五番、ファースト、田口君。対岸の野球グランドから、アナウンスが聞こえた。少年達の野球大会だ。無理をしないで、引き上げよう。先ほど、耳の奥が痛くなった。また、膿んでいるのかも知れない。
2006.6.22(木)曇り。入間川歩行はお休み。 九時にアトリエを出る。まっすぐ、親水公園南端へ行く。車の中で、写真紀行を書き出す。 昨晩見た夢。知り合いの劇団の稽古場。雑然としている。O君とTさんがいる。Tさんとは、親密な感じ。互いに、足などに触れあう。I君やK君の姿も見える。ただし、二人とも、そっけない。とくに、I君の背中には、拒否感がある。かたくなな感じ。その後姿を、目で追う。 なぜ、芝居関連の夢を見たのか。それも、頼まれもしないのに、他人の劇団へ入ろうとしている。場違いな所へ、乗り込んでいき、気まずい思いをしている。 場違いな所、か。これまでにも、たくさんあった。いや、ほとんどが、場違いな所だった。それなのに、性懲りもなく、出掛けていった。寂しかったのかもしれない。あるいは、自分の居場所を探していたのかもしれない。 昨日、「ここが、自分の居場所だ」と書いた。「ここ」とは、入間川のことだ。写真を撮ったり、文章を書いたり、はたまた、散歩や車の掃除、昼寝をしたりするところだ。流浪の果てに、安住の地を見つけた、というわけだ。 背伸びしていたのかもしれない。入間川で、人知れず、静かに生息するのが、自分の生き方だったのかもしれない。敗北宣言。ふん、いまさら、ぐずぐず言うなよ。 十時半。この後の予定。役所へお袋の申請書を提出。鶴ヶ島のキタムラへ、カメラバッグを見に行く。 曇りや雨の日には、カメラを持って出ない。撮りもしないのに、大きなカメラバックが邪魔くさい。しかし、そういう横着をしているから、写真を撮る機会が、ますます減ってしまう。 小さなショルダーバックを買って、常時、カメラを持ち歩くことにしよう。なにも、大仰に構えることはない。目に付いたものを、ぱちぱち撮る。これだって、写真の楽しみ方のひとつだ。
2006.6.24(土)曇りのち晴れ。薄日が差す程度。入間川二十一番、中橋から上橋。九時から十一時半。 まっすぐ、仏子、中橋下の駐車場へ行く。脇にテニスコートがある。中高年の、テニス教室だろう。列を作って練習をしている。 橋の上を歩く。西側の景色を撮る。山並みが見えない。西武線鉄橋ですら、ぼんやりしている。天気が、さえない。 戻り際、ふと思いたち、橋際の路地へ入る。なぜか、小さな鳥居とアジサイがある。川沿いに、三尺ほどの小道があり、赤いタチアオイなども植わっている。雰囲気がある。つつましい生活のにおいだ。
移動。橋を渡り、左岸の、団地沿いの道に車を止める。土手が散歩道になっている。春は桜、今は、アジサイが咲いている。と、一瞬の木洩れ日。ガクアジサイを撮る。うす赤紫の花びら。しわっとした感じが、目に焼き付く。 歩き出す。すぐに西武線の鉄橋。腰をかがめて通り抜ける。今度は、レンガ橋脚の遺構。真正面から、集中して撮る。さらには、土手を下り、水辺へ行く。ここでも、真正面から撮る。 あらゆる角度から、何度も何度も撮っている。お気に入りの橋脚だ。それなのに、いまだに、これといったものがない。正直言って、撮るのを、なかば諦めている。眺めているだけでいい。 土手を上りながら、考えた。土台のコンクリが、傾いている。橋脚の垂直を取れば、画面が傾く。画面の水平を取れば、こんどは、橋脚が傾く。両立しないから、だましだまし撮った。今回も、駄目かもしれない。
すこし行って、また、土手を下りた。上橋の下だ。流れの中に、完全装備の釣り人がいる。鮎釣りだ。水辺に近づき、川の中をのぞきこむ。水がきれいになったような気がする。 橋の下をくぐり、回り込むようにして、橋の上に出る。欄干にもたれ、川面を見ている老人たちがいる。顔を合わせずに通り過ぎ、左岸の、橋際の小道に入る。 崖沿いの大きなケヤキが、何本か切られている。対岸の見晴らしはよくなったが、無残な感じがする。それに、レンガ橋脚に、落書きがしてある。白のスプレー缶で書いた奴がいる。許せない気がした。赤レンガを積み上げた、見事な構造物だ。いったい、どういう神経をしてるんだ! 舌打ちしながら戻った。橋の、老人の数が増えている。横目でチラッと見て、道路をはさんだ、大ケヤキの小道に入る。行政も、さすがに、この巨木達には手が出せないらしい。記念写真にと、何枚か撮る。その間、ひっきりなしに人が通る。そのうち、自転車のおばさんに声をかけられた。ヒナがまだいるの?なんの事かと思えば、アオバヅクが、大ケヤキで子育て中らしい。 アオバヅク。どんな鳥なのか、よく知らない。ただし、この近辺では、周知のことらしい。そういえば、欄干の老人たちが、ヒナがどうのこうのと、声高にしゃべっていた。退屈なのだろう、ヒナの巣立ちを心待ちにしている。 老人たちの気持ちが、わからないでもない。以前、自分も、ムクドリのヒナたちの巣立ちを見守った。うれしいような、さびしいような、複雑な気持ちだった。それにしても、アオバヅクとは、いったいどんな鳥なのだろう。大ケヤキに巣を作るとは、ずいぶんと賢い。手出しされない場所を、よく心得ている。調べてみようと思った。
2006.6.25(日)曇り。今にも降りだしそうな空模様。入間川歩行はお休み。 八時半に、アトリエを出る。親水公園南端へ行く。人と車でごった返している。オヤジどもの、ソフトボール大会だ。すぐに回転。給水橋の下へ行く。車の中で、写真紀行を書く。十時四十五分、テクラ、バッテリー切れ。気分転換に、車のエンジンルームの掃除。移動。鶴ヶ島の鈴木自販で、オイル、フィルター交換。十二時半頃もどる。昼食後、写真紀行を仕上げる。 ネット検索。正確には、アオバズクと書く。ふくろうの一種。大きさは、ハトくらい。茶色に、白い縦縞が入っている。夜行性。渡り鳥らしい。ブログなどに、多数書き込みがある。いろいろな場所で、よく観察されている。なかに、ケヤキに営巣しているという記事もあった。 なるほどね。ふくろうは、森の賢者。賢いはずだ。ちゃんと見ておけばよかった。
2006.6.27(火)曇りのち晴れ。真夏日。入間川歩行はサボる。 八時半に、アトリエを出る。仏子、中橋付近を、もう一度歩くつもりでいた。ところが、急に気が変わる。天気がよくない。 親水公園南端へ行った。いつもの場所に車を止め、少し考えた。雲間から、時折、陽が差してくる。撮ろうと思えば、撮れないことはない。でも、もう駄目だ。パチンコに傾いた気持ちを、元に戻すことはできなかった。 十時から三時半まで打って、一万ほど勝った。とはいえ、後味が悪い。 「大海」の角台。千四百回以上回っている。ためしに打ってみた。座った途端、ノーマルリーチがバリバリっと走り、カニが三匹そろった。以後、八連荘。前回と、同じようなパターンだ。ところが、その後がよくない。魚群を待って、四箱飲まれる。しかも、回りの悪い台で、イライラしっぱなし。疲労困憊。帰宅後も、神経がたがぶり、何も手につかない。性懲りもなく、また、一日を棒にふってしまった。 歩行をサボって、朝からパチンコ。どう考えても、まともじゃない。とはいえ、歩きたくない日だったあるさ。言い訳をしているな。もうすこし、健全な過ごし方はないのか。
2006.6.29(木)晴れ。入間川二十一番、中橋から上橋。九時から十一時半。 八時半に、アトリエを出る。寄り道。写真をはじめた頃、ボロギクを撮ったことがある。たしか、眺めのいい丘だった。短大があり、牛舎があった。かすかな記憶をたどりながら、脇道に入った。大きな工場が点在している。この向こう側かな?細い道を、くねくね走り回る。しかし、丘は見つからない。そのうち、一般道に出てしまった。ここは、飯能だ。車を止め、地図で確認する。短大は、広瀬橋の北側。来すぎている。勘違いしたようだ。回転。中橋へ向かった。 橋の手前を右折。左岸の河川敷に入り込みたい。ところが、入り口がわからない。ウロウロしているうちに、西武線の架線が見えた。あきらかに、来すぎている。回転。 しょうがない。公民館の敷地に入る。駐車場をぬけ、民家脇の細い道を行く。河川敷の、広いゲートボール場が見える。木陰で、老人達が休憩をしている。そろそろ入っていくと、無遠慮な視線。無視して、広場に車を止める。 目の前の木陰には、車上生活者達がたむろしている。車が三台、生活道具が、辺りに取り散らかっている。彼らは、見てみないフリをしている。こっちも、視線を向けない。 水際を歩いて、レンガ鉄橋の近くまで行く。橋脚の垂直と、橋梁の水平とを、確保したい。位置取りを、ずらしながら、さかんに撮る。それでも、決定的な構図が、なかなか見つからない。さらに、接近する。西武線鉄橋の下。時折、電車が頭上を通り過ぎる。耳をふさぐほどの騒音ではない。日陰で、涼しい。しばし足を止める。さびた橋梁に、待避場所がくっついている。鉄製の椅子が、宙に浮かんでいる感じで、面白い。
戻る。完全装備の釣り人が何人もいる。川に、膝まで入って、鮎釣りだ。おっと、ジジイが釣り上げた。けっこう大きい。とはいえ、ほかの釣り人は、見向きもしない。声くらい、かけてやれよ。 移動。ついでだ。左岸、中橋の川シモへ向かった。ここも、水際へ行くのが、面倒なところ。入り口を、何回も間違える。やっと、見覚えのある細い道。民家の間を、うねうね行く。 川沿いに、桜並木。左手の、うっそうとした林の中には、花火工場。小さな公園があり、突き当たりは、崖下の、芝ゴルフ場。 日陰で、静かな所だ。とはいえ、景色はよくない。しかも、いたるところに、注意書き。ゴミを捨てるな。車をとめるな。ホタルの敷地に入るな。がけに上るな。マムシにかまれるぞ!老人特有の、くどくどしさ。いつ来ても、落ち着かない。いちおうは、見て回った。変化なし。そうそうに退散。 移動。ついでのついで。橋を渡り、右岸の文化村へ向かう。駐車場に車を止め、水際へ下りていくことができる。以前、そこで、ごみを拾っていた女性と、立ち話をしたことがある。いまだに、少し気になる。あいにく、駐車場がいっぱい。まぁ、いい。つぎの機会にしよう。回転。引き上げ。あついのに、よく頑張った。
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