2006.8.1(火)くもり。入間川歩行はお休み。 いつのように、八時半にアトリエを出る。まっすぐ、親水公園南端へ行く。車の中で、みっちり二時間、写真紀行(先週の土曜日分)を書く。午後も、昼食、昼寝の後、写真紀行(日曜日分)を書く。ほかに、数息やブログなど、やろうと思ったことを、すべてやる。気分がいい。
2006.8.3(木)晴れ。夏日。陽射しが強い。入間川十六番、本富士見橋。九時から十一時。 本富士見橋を渡り、16号に出る。少し行って、建材屋の横を左折。左岸の土手に入り込む。水門の脇に車を止め、外に出る。暑い。 川シモの写真を撮っていると、上半身裸のジジイが、ファインダーの中に入ってきた。こちらを見ている。ふ〜む、土手際の民家の住人だ。おそらくは、トタンのさびたボロ屋のジジイだろう。平日の真昼間、なんで写真なんか撮っているんだ。不審に思って、出てきた。役所の人間かな。写真を、不法占拠の証拠にするつもりだ。土手を、裏庭がわりに使っているから、負い目がある。猜疑心が強い。じろじろ見やがって、いやなジジイだ。水門の階段をおり、護岸を歩くことにした。
そうだ、この護岸には、ホームレスがいたんだ。ニャンコを、紐でつないで飼っている。去年は、護岸の木陰で寝そべっているところに、出っくわした。今年はいないだろうな。首を伸ばして、様子をうかがう。人の気配はない。よし。安心して歩きだす。とたんに、う、ラジオの音だ。川原の茂み。紺の、薄汚れたTシャツの男。突っ立ったまま、ビニール袋から、米のようなものを手づかみで食べている。すぐに目をそらし、そおっと、脇を通り過ぎた。あの野郎だ。まだいる。 またしても、不意打ち。ビクッとした。これで三回、いや四回目だ。それにしても、しぶとい。この炎天下、茂みの中で、どう過ごせというのだ。茶色の、目のくりくりしたニャンコは、まだ生きているのだろうか。 対岸の景色を撮りながら、橋の下まで行った。日陰になっている。しゃがみこみ、ひと休み。さっきまでは、髪の毛が薄いオヤジが休憩していた。涼しいところをよく知っている。立ち上がり、橋脚の裏へまわった。う、はげ頭。さっきのオヤジだ。下に座っている。そおっと、戻る。しかし、もうずいぶんたつぞ。よほど、ヒマなんだな。 橋の下をくぐり、日なたに出た。あっちちちち。釣りのおっさん達も、竿を、川にかけたまま、タープの下で休んでいる。その目の前を、シカトして通り過ぎ、土手に上がった。さいわい、マンションがあり、日陰になっている。立ち止まり、堰と広瀬橋を、望遠200ミリでねらう。何回も撮っている景色だ。心は動かないが、撮らないで、帰るわけにはいかない。決まりごとになっている。 土手を下りた。どこからともなく、歌声が聞こえる。誰か、カラオケでもやっているのかな。橋の下を通りかかった。禿オヤジがまだいる。あん、なにか口ずさんでいる。歌声は、あんたかいな。横目でチラッと、見た。茶色のハーフズボンに、よれよれのTシャツ。安物のウェストンバックを腰に巻き、汚れたスニーカーを穿いている。いわゆる、ウォーキングスタイルだが、どことなく、わびしい。暑い中、行くところもなく、橋の下で暇をつぶしている。定年後の余生は、こんなはずじゃなかった。さびしすぎる。ふん、俺の知ったことか。今日は、ヘンなオヤジばかりだ。
2006.8.5(土)晴れ。今年一番の暑さ。入間川十四番、昭代橋。八時半から九時半。 暑くてよく寝られなかった。寝不足。頭が重い。早めに、アトリエを出たものの、やる気がない。 順路からいえば、今日は、新富士見橋だ。しかし、入間川の七夕をやっている。混雑していそうなので、手前の昭代橋を歩くことにした。 橋際の野球場の横に車を止め、歩き出した。朝っぱらから暑い。話にならない。依然として、やる気が出ない。それでも、決まりごとだ。川シモの景色を撮る。
橋を渡り終える。新富士見橋まで歩こうか。右岸の土手を眺める。土手道の、ちょうど真ん中あたり、人間が何人か見える。日陰でしゃがみこみ、何かやっている。土手沿いの住民にちがいない。土手道を私物化している。通り抜けるのが、億劫だな。 橋の下に回りこんだ。家庭菜園の前で、思案した。暑い中、歩いても、しょうがないだろう。それに、寝不足。頭がくらくらする。無理することもない。引き上げ、引き上げ。
今日は、川越のGAPへ行くことにしていた。衣服の衝動買いで、ストレスを発散する。やる気が出ないのは、暑さのせいだけではない。まったく、こまった中年親父だ。
2006.8.6(日)晴れ。今日も暑い。入間川十五番、新富士見橋。九時から十時。 本富士見橋を渡り、16号に出る。少し行って、建材屋の横を左折、右岸の川原道に入る。橋の下に車を止め、歩き出す。階段をあがると、入間川の交差点。歩道橋を、昇ったり降りたりしながら、歩行者専用の橋へむかう。橋から、川シモの景色を撮る。
入間川にかかる橋は、およそ二十五本。とりわけ、新富士見橋からの眺めが、好きだ。ただし、立地条件がよくない。物理的に言って、ねらった構図が、順光になることはない。冬は八時、夏は十時を過ぎると、完全な斜光。だから、どうしても、露出がたらない。きれいに撮れない。今日も駄目。河原の緑が、もあっとしている。それでも、かなりねばった。きりもなく、シャッターを押した。
2006.8.8(火)雨のちくもり。台風が近づいている。入間川歩行はお休み。 暑さが、ひと段落。ほっとする。とはいえ、昨晩も、むし暑くて、よく寝られなかった。首周りに、びっしょり汗をかいている。寝不足で、頭が痛い。外出しないで、午前中は睡眠をとることにした。 十一時半頃起きる。頭がすっきりしている。体調が戻る。
2006.8.10(木)晴れ。陽射しは強いが、風はさわやか。入間川十四番、昭代橋。八時四十五分から十一時。 カンカン照りの中、歩きたくない。はなから、やる気がない。それでも、歩行は習慣化されている。昭代橋の下へ向かった。 橋際から川原へ入る。運動公園の横を回りこみ、川沿いの道に出る。公園が静かだ。誰もいない。順光。遊具が鮮やかだ。
橋の下に車を止めた。外に出ると、黒アゲハが、日陰の地面にとまっている。そおっとしゃがみこみ、カメラを構えた。羽根を震わせながら、お尻のほうから、液体を出している。オシッコをしているか、それにしては、長い。しかも、同じ場所に、ずうっといる。みると、日向の地面にも、アゲハや茶色の蝶がとまっている。不思議に思う。 歩き出す。陽射しは強いが、風はさわやかだ。左岸の土手を、川シモへ向かう。土手際の広場に、桜の木が植えられている。来年は、花見ができるだろう。といっても、自分には関係のないことだ。
新富士見橋の際まで来た。どうしようか。ぐるっと辺りを見回した。橋を渡って、右岸の土手を歩いて戻る、さもなければ、このまま、本富士見橋まで歩く。多少汗をかいたが、耐えられないほどの暑さではない。それに、元気だ。このまま行くことにした。 左岸の、本富士と新富士との間は、車両進入禁止。見るべきものはないが、はて、どんな様子だったのか、すぐには思い出せない。この時間帯、対岸の景色は、完全な逆光。写真にはならない。かといって、土手際に民家が並んでいるから、北側の視界もない。何度歩いても、印象に残らないはずだ。 そのとき、ジェット機が、頭上を通過。爆音。耳をふさぐ。目で追うと、あっという間に、対岸の丘へ消えていく。自衛隊入間基地。なるほど、滑走路は、あの位置か。となると、着陸する飛行機は、すべて、この上を通るわけだ。あらためて、対岸に目をやる。丘の上の鮮やかな緑は、飛行場の芝生だった。それにしても、たまらん。次から次へと飛んでくる。そのたびに、耳をふさぐ。ものすごい音だ。 本富士見橋の下でひと休み。汗をぬぐう。さわやかな風が吹き抜けていく。ベンチに座りながら、空を眺める。澄んだ青空、ところどころに絹雲。秋の気配がする。 もどり道。川沿いの河川敷公園を突っ切る。新富士見橋を渡り、右岸の土手に出る。飛行機が、ひっきりなしにくる。ぐるっと、空を見回す。間隔をあけ、東の方向から、大きく旋回してくる。迷彩模様の軍用機やジェット戦闘機、軍用ヘリもくる。それぞれに、名前があるのだろうが、調べる気にはなれない。 子供の頃、軍艦や戦闘機のプラモデルをよく作った。形が、カッコいい。単純に、そう思った。ところが、二十歳前後、戦争の文献を読むようになり、そうしたものに、嫌悪感を抱くようになった。殺しあうための道具だ。子供の無垢な感性!そんなものは、どこにもない。 のちに、「感性からの自由」という言葉を知った。菅孝行という評論家の本だったと思う。即座に、意味が理解できた。感じてはいたが、言葉にできなかった事柄が、明晰な文章で綴られている。率直に感動した。 土手道には、多少草が生えている。しかし、あきらかに、人間の手が入っている。ただし、一箇所だけ、依然として、不法占拠されている場所がある。物干し台があり、これ見よがしに、椅子が並べられている。さいわい、今日は人影がない。 通りすがりに、チラッと見た。どんな奴が、不法占拠しているんだ。平屋の、小さなあばら家だ。乱雑。すぐに目をそらし、向き直った。高い空に、ジェット戦闘機が、切り込んでくる。タイミングをはかり、シャッターを押した。背中に、あばら家からの視線を感じたが、気のせいだろう。
2006.8.12(土)曇り一時雨。入間川歩行はお休み。 午前中に、写真紀行(木曜日分)を仕上げる。十時半、外出。買い物。川越のGAPなどへ行く。午後は、昼寝、数息。 GAPが、明日で閉店。朝からそわそわしている。気晴らしには、最高の場所だったのに、残念。
2006.8.13(日)晴れ。陽射しが強い。残暑。入間川十四番、昭代橋。九時から十時十五分。 机の真後ろの壁に、以前撮った、本富士見橋の写真が張ってある。冬の朝だ。河原に、雑草が立ち枯れている。しかし、その色合いが、少しヘンだ。赤すぎる。露出のことなど、さほど考えずに撮ったものだ。とはいえ、構図は、いい。構造物の垂直も、ピシッと出ている。 いつ撮ったのか、調べてみた。2004年の2月。オリジナルは、露出オーバー。空の色が飛んでいる。朝っぱらだから、赤みがでるのは、しかたがない。だとしても、物体の色が、濃すぎる。露出補正をしないで、カメラ任せにしたためだ。とはいえ、気に入ったのだろう。リタッチして、A4にプリントアウトした。 新富士見橋から、本富士見橋を撮る。気をつけていることは、橋の水平。ところが、物理的に無理だ。二つの橋は平行関係にない。だから、なんとなくごまかしている。いきおい、失敗が多い。 壁の写真を、じっとみた。新富士見橋の、どのヘンから撮ったものなのか、考えた。橋の長さ、左隅のマンションの切れ具合も頭に入れた。明日、もう一度撮り直しだ。 いつもの時間に、アトリエを出た。まっすぐ、新富士見橋の下へ行った。日陰に車を置き、川シモ側の歩行者専用橋に入り込んだ。ゆっくり歩きながら、構図を、目で探した。焦点距離は、100ミリちょっと。橋脚を、三本入れ、丘のマンションも、しっかり入れる。 ところが、何か違う。景色は変わりようがないのだから、位置取りがちがうわけだ。首をかしげながら、行ったり来たりした。しかし、どうしても、見つけることができない。ふと想った。位置取りの問題だけじゃない。カメラを少しずらしたんだ。となると、同じ構図を見つけ出すことは、非常に難しい。 陽射しが強い。もう、引き上げよう。車に戻り、今度は、昭代橋の下へ行った。歩き残した、左岸の河川敷公園。とりたてて、目に付くものはないが、いちおうは順路だ。暑いが、素通りするわけにはいない。歩くしかない。
2006.8.15(火)曇り時々晴れ。蒸し暑い。午前中には、小雨。不安定な空模様。入間川歩行はお休み。 体調不良。朝の日課、数息も途中でやめる。寝不足に、胸の違和感。外出しないで、寝ることにする。十一時過ぎに起きる。少し気分がよくなっている。衣服の吟味などをして、くつろぐ。とはいえ、血圧は、何度計っても、上が150前後、下が100前後。下が高い。拡張期高血圧症!うんざりだ。 午後は、二時から、また昼寝。四時に起き、数息200回。そのあとは、ブログを書き、日記帳をつける。六時からは、テレビ、夕食、風呂、テレビ。九時過ぎには寝るつもり。 朝の数息の回数を増やした。そのために、起床時間を三十分早めた。暑さ、夜中の介護も重なり、寝不足となった。おそらくは、そのせいだ。血圧が上がってしまった。九時半消灯。テレビなど見ていないで、早めに寝よう。
2006.8.17(木)曇り時々雨。ふったりやんだり。今日も、不安定な空模様。入間川歩行はお休み。 お袋の介護、数息の増加などにより、日程表を組みなおした。起床、就寝を、ともに三十分ずつ早め、午後は、二時から昼寝。そのあとは、四時から数息、五時からブロク、日記帳。すべての日課を、六時までに終了する。火、木、土、日の午前中は、これまで通り、晴れていれば、歩行、曇っていれば、文章。ただし、帰宅時間を定めた。おそくとも、一時前には戻り、四時からの数息にそなえる。 大きく変わった点は、起床と就寝の時間。それに、午後四時からの数息。これにより、歩行は、火、木、土、日の、午前中に限定された。もっとも、これまでも、歩行時間が、午後に食い込むことは、めったになかった。九時から十二時までの三時間。みっちり歩けば、体力的にも、精神的にも限界だ。 少し気になるのは、写真紀行を書く時間帯が、はっきりしないことだ。午後から夕方にかけての時間帯は、数息に当ててしまった。重点が、歩行から瞑想へ移っているようだ。
2006.8.19(土)晴れ。残暑。入間川十三番、狭山大橋。九時から十時半。 入間川大橋を渡る。狭山市清掃センターの脇をぬけ、上奥富運動公園へ入る。すぐに、狭山大橋が見える。橋の下に車を止め、歩きだす。暑い。やる気がしない。しかたなく、という感じで、橋の上にあがる。川カミ、川シモ、ともに斜光。写真にならない。気のないシャッターを、何回か押す。それにしても暑い。頭がくらくらする。引き上げよう。 このあとは、いちおう、運動公園の東側を歩き、用水堰まで行くことになっている。それが、十三番の順路だ。でも、とてもじゃないが、歩く気がしない。車で移動。堰の真横まで行く。 堰に下りる。木陰がある。コンクリの段々に腰掛け、休憩。涼しい風が吹き抜けていく。・・・狭山大橋の住人は、健在だった。ちゃんと洗濯物が干してあったし、軽トラも、一台増えていた。やはり、廃品回収の仕事をしているようだ。今日は、黒っぽい、むさくるしい背中が見えた。六十代後半の、くたびれたオヤジだった。
腰を上げた。川カミへ向かって、少し歩いた。傍流に沿って道があり、木陰になっている。みると、ところどころに、ヤブランが咲いている。立ち止まる。とたんに、ヤブッカがよってきた。手で払いのけ、歩き出す。夏空に、雑木の枝がかかっている。彼方に、ロウセキのようなマンションも見えた。
写真を撮り終え、カメラから目を放した。と、視界に、でかい蜂が入ってきた。目で追う。雑木に、こぶし大の穴があり、中が巣になっている。すずめバチが、出たり入ったりしている。距離は、二メートル弱。ヤバイ! 背中を向け、そおっと歩き出した。さいわい、今日は、グリーンのロンT。いつもの黒ずくめだったら、襲われていたかもしれない。黒は、獣色。蜂にとっては、天敵の熊だ。野歩きに、黒色はタブー。くわばら、くわばら。
2006.8.20(日)曇りのち晴れ。入間川歩行はお休み。 朝から、大宮のGAPへ買い物。暑くて、歩行に出る気がしない。
2006.8.22(火)晴れ。雲が多い。蒸し暑い。番外、伊佐沼付近。九時半から十一時半。 おととい、大宮へ行く途中、久しぶりに、伊佐沼の横を通った。道沿いに、ひまわり畑があり、写真を撮っている人がいた。あいにく、カメラを持っていなかったので、撮ることができない。そのことが、頭に残っていた。 歩行の順番から言えば、今日は、十三番の、奥富運動公園。何かあるわけではない。公園の周りを、ぶらぶら歩くだけだ。いや〜、この暑いのに、考えただけでも億劫になる。伊佐沼だ!ひまわり畑に、車を横付け。写真を撮ろう。 一気に、走った。距離にして、十キロ足らず。なじみの場所だが、こんなに近かったのか。すぐに着いた。ただし、日差しが弱い。空に色がない。でも、しょうがない。車からおり、撮り出した。とたんに、汗が襟足を伝わってくる。
周辺を、くまなく歩く。かなり粘ったが、いかんせん、明かりの具合がよくない。撮れた気がしない。それに、暑くて限界。いったん、車に戻る。凍らせた、ペットボトルの水が、だいぶ溶けている。がぶがぶっと飲む。 移動だな。なんとなく心残り。沼際の道を、たらたら行く。道路を挟んで、駐車場。横にトイレがある。用を足し、歩き出す。みると、道沿いの田んぼの中に、ヘンな模様。古代米を育てているらしい。策越しに、何枚か撮る。だが、どうもぱっとしない。 向こうに、萱葺きの神社がある。まだ一度も、のぞいたことがない。行ってみるか。途中、用水脇に、車上生活者達がいる。駐車場の片側を占拠している。周辺に、生活用具があり、洗濯物なども干してある。かなり前から、こんな有様だ。見慣れているから、なんとも思わない。見向きもしないで、脇を通り抜ける。 両脇民家で、その先に、神社がある。横に、集会場やゲートボール場などもある。社の前で、麦わら帽子を取り、手を合わせる。不拝主義など、過去のことだ。案内板があり、斜め読みする。何が書いてあるのか、頭に入らない。裏へ回る。大きな木が二本あり、その後がぬけている。一面の田んぼ。彼方に、見覚えのあるカントリーエレベーターが見える。 戻る。沼際を歩く。古代蓮を植えている。花はなく、逆光気味。カメラを向けもしない。段々に腰掛け、一休み。以前、写真集で見た、蓮の写真が、脳裏をよぎる。高貴な白黒写真だ。写真家の名前が、どうしても思い出せない。目の前の沼に目をやる。撮ってもしょうがないな。 立ち上がる。トイレにより、車に戻る。エンジンをかけ、エアコンをきかせる。また、ペットボトルの水を、がぶ飲みする。さて、引き上げようか。おっと、少し陽が出てきた。うっすらとした青空。 もう一度外に出た。暑さも忘れ、古代米を撮った。いや、古代米なんか、どうでもいい。田んぼの向こうに見える、つかの間の夏空だ。
2006.8.24(木)曇りのち晴れ。依然として、蒸し暑い。入間川歩行はお休み。 体調がよくない。寝不足だ。それに、写真紀行の執筆も、滞っている。歩行は、やめにして、午前中に原稿を仕上げ、午後は、ゆっくり昼寝でもしよう。
2006.8.26(土)くもり。入間川歩行はお休み。 朝からやる気がない。気分転換に床屋。十二時、**、**と昼食。鯨井の菩提樹で、ランチセットを食べる。午後は、昼寝。四時前に起きて、数息、ブログ。依然として、気分がさえない。
2006.8.27(日)くもり。入間川歩行はお休み。 左目の調子がよくない。気晴らし。朝から、大宮のGAPへ買い物。
2006.8.29(火)晴れ。久しぶりに、青空。入間川十三番、狭山大橋。九時から十一時。 奥富運動公園の東側を歩くつもりで、アトリエを出た。安比奈新道を左折し、入間川大橋を渡る。渡り切ったところの信号を右折。民家の間を、くねくね行くと、視界が開ける。一面、緑。稲の穂が、少し垂れている。 南に面した、奥富地区の稲田。かなり広い。土地改良され、農道も広い。以前来たときに、撮影ポイントを、何箇所か、押さえている。さっそく撮り出した。
ポイント撮影を終え、車の中で一休み。フロントガラスの向こうに、神社が見える。前から気になっていた。寄ってみよう。 境内の駐車場に車を止める。梅宮神社。大きな石の鳥居の横に、案内板。斜め読みする。平安時代からの、由緒のある神社らしい。参道を歩く。脇に、民家がある。表札に、梅田とある。おそらく、宮司の家だろう。 狛犬が、一対。表情が面白い。麦藁帽子を取り、社に一礼、手を合わせる。自身の、健康を願う。小銭を賽銭箱に入れ、長い布を引っ張り、鈴をならす。これで、ゆっくり境内を見てまわれる。 裏は公園になっていた。遊具などもある。日陰で、涼しい。バイクを止め、談笑している人もいる。写真は撮らないで、ぐるっと一周して戻ってくる。 大鳥居、参道、小鳥居に狛犬、社、本社、裏には、必ず大きな木がある。神社の構造は、みな、ハンで押したように同じ。それに、雰囲気というか、気配までもが、似通っている。静か過ぎて、かえって落ち着かない。
2006.8.31(木)晴れ。風がさわやか。秋の気配。入間川十三番、狭山大橋。上奥富運動公園。九時から十一時半。 右岸、狭山大橋の下に車を止める。運動公園の東側を歩き出す。
今年の夏も終わった。これからは、歩きやすくなる。高い空に、いわし雲。秋だね。いい写真を撮ろう。 追伸。そういえば、去年の夏の終わりも、この辺りにいた。にわか雨はおぼえているが、百日紅は、眼に入らなかった。あれから一年、なにか、変わったのだろうか。写真も文章も、さほど上達していない。瞑想の時間が、すこし増えた程度だ。とはいえ、そのおかげで、気持ちが強くなった。寂しいとも、虚しいとも、思わない。色即是空 空即是色。一切は空。生も死もない。
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