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 Photo essay<入間川写真紀行>

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2005.3.5(土)晴れのち曇り。入間川十番、八瀬大橋。九時から十二時。

いい天気だ。風もなく、やっと春が来た。

河原や畑に、昨日降った雪が残っている。久しぶりの写真撮影。廃線の上を、ぶらぶら歩く。









2005.3.8(火)晴れ。入間川九番、関越橋。九時から十二時。

川越水上公園に車を止める。あたたかい。公園内をぶらぶら歩く。裏手に回りこんで、土手に上る。対岸の、工業団地の建物を眺める。土手を下りる。河川敷公園の遊歩道を、関越橋まで歩く。途中で、防寒着を脱ぐ。

写真紀行の執筆を思い立ったのが、去年の今頃だった。ちょうど、この辺を歩いた前後だ。あれから一年がたった。

書いた文章の断片が、脳裏を掠める。撮った写真も目に浮かぶ。それに、あの日、あの時の気分も思い出した。

気持ちが吹っ切れた。文章も写真も、誰のためでもない、自分自身のためにやる。妙に、サバサバしていた。自由、になった。

あの時に比べて、今はどうだ。少し憂鬱だが、まぁ、さして変わらない。ただし、世間様、他人様、とくに、河原のホームレス対しては、まるっきり興味がなくなった。

ここのところ、河原で、何人ものホームレスを目撃している。だが、奴らのことは、ほとんど書く気になれない。今日だってそうだ。関越橋脇の掘っ立て小屋は、去年のままだ。だが、脇を通り抜けても、なんの感慨もない。ほとんど無視だ。

いいや、ホームレスのことばかりじゃないぞ。自分自身のことにも関心がなくなっている。たしかに、心の、かすかな動きや変化に鈍感だ。

HPの制作も、ほぼ終わった。デキは、さほどよくない。デザインのセンスがない。とはいえ、いまのところ、これで精一杯だろう。なにせ、交感神経を使いすぎて、心身のバランスを崩したほどだ。

また、静かな生活に戻ろう。





2005.3.12(土)うす曇り。寒い。入間川八番、初雁橋。九時から十二時。

初雁橋の下で工事をやっている。橋脚の補修だ。

橋の上から、川越線鉄橋を撮る。来るたびに撮っているのだが、まだ、気に入ったものが一枚もない。今日こそはと、気合が入った。

帰宅後、すぐに画像の入力。ところが、全滅だ。なにが、よくないのか、つくづく眺めた。橋梁を、画面に平行にしているので、橋脚が垂直でない。橋脚は、地面に対して垂直に立っているはずだ。それが傾いている。うなった。同じ間違いを何度もしている。

ほかの写真も、みんな駄目だ。なじみの水深計が、真っ白に塗装されていたのに、撮りそこねた。背景の土手が、歪曲している。これは、レンズの性能の問題だが、そればかりじゃない。構図がよくない。バランスが崩れている。同じことが、東上線の鉄橋についても言える。気持ちが腐った。

ウデがない。とはいえ、天気がよくないことも、原因のひとつだ。明日晴れたら、撮りなおしに行こう。





2005.3.13(日)晴れのち曇り。入間川八番、初雁橋。九時から十一時。

橋の上。きのうよりは、天気がいい。川の色が青い。橋脚を垂直にして、カメラを構える。と、橋梁のほうが、どうしても少し右上がりなる。いや、右下がりになるのか?ファインダーをのぞきながら、いろいろ考えた。いいや、問題はもっと別のところにある。初雁橋と川越線鉄橋は、平行ではない。だから、橋上からは、鉄橋の橋脚が垂直には見えない。少し左にかしいでいる。それを、カメラを傾けて、無理に修正しようとしている。

頭の中の構図は、川の流れに対して、橋脚は垂直、橋梁は平行。なんとか、この構図を保とうとする。しかしこれは、橋上の位置取りでは、物理的に無理な話だ。となると、どうすればいいのか?頭がすこし混乱した。シャッターを、きりもなく押した。

橋を渡った。今度は、対岸の水深計だ。こっちのほうは、去年の春先に、気に入ったものが撮れている。その構図が、目に焼きついている。いまも、目が、その構図を探している。真っ白な水深計を見ていない。これも、何度も繰り返している過ちだ。

橋の下の工事は、日曜日とあって、お休み。あたりに人影はない。立ち入り禁止の看板を尻目に、現場の中に入った。重機の出入りのために、川の上に架設の道を作って、向こう岸へ渡れるようにしている。でかい、鉄製の管が数本、その下に埋め込まれている。川の流れをせき止めないような工夫だ。

さびた鉄管の上に立って、川シモを眺めた。空が青い。流れは、もっと青い。その境界に、鉄橋が、真一文字だ。と、おりしも、鉄橋に電車。あせって、シャッターを押した。

葦原だった河原は、見事に整地されていた。その上を、そろそろ歩いた。水際までいって、今度は、東上線鉄橋を撮った。

日が翳り始めた。青空が、見る見るうちに、薄い雲に覆われていく。時計を見た。まだ十一時だった。






2005.3.15(火)うす曇り。あたたかい。入間川七番、川越橋。九時から十一時。

橋際の土手に車を止める。天気がよくない。気乗りしないまま、右岸の土手を、川カミに向かって歩きはじめる。うっすらと、山並みが見える。とはいえ、陽射しが弱いせいか、対岸の景色は、薄ら寒い。

ぶらぶらと、東上線鉄橋まで来てしまった。向こうの川面に、川越線鉄橋が映っている。始めて目にする景色だ。これはと思い、撮り始める。だが、なにか物足りない。電車でも通ればなぁ〜、と思った瞬間、来た。あわててカメラを構え直した。しかし、おそい。あっという間に、いってしまった。

待機。護岸に座りこんだ。目の前の河原では、シャベルカーが、さかんに、ダンプに土を盛っている。河原の土砂を掬い取っているわけで、これは、川幅を広くする工事なのかもしれない。そんなことを考えながら、ふと横を見た。東上線鉄橋が、川面にくっきり映っている。だが、惜しいかな、空も川も、変な色だ。

待つとなると、時間がたつのが遅い。川越線の電車は、なかなか来ない。いささか、待ちくたびれた。退屈まぎれに、対岸の工事風景などを撮る。と、そこへ、来た。カメラを構えなおし、シャッターを押す。その間3秒くらいだろう。急いでモニターする。鉄橋が斜めだ。ため息が出た。やはり、三脚を立てなければ駄目だ。それに、このデジカメじゃぁ〜、レスポンスがおそすぎる。腰をあげた。曇天。引き上げよう。





2005.3.19(土)晴れ。ぬけるような青空。ただし、風は冷たい。入間川七番、川越橋。八時半から十二時半。

右岸の土手、橋際に車を止める。手前に川を入れて、対岸の景色を撮る。橋の上からも撮る。山並みがくっきり見える。

河原に下りる。渇水している。水際を歩く。流れはきれいだが、小魚一匹いない。上流で工事をやっているからだ。

ぶらぶら、シモの雁見橋まで歩く。川も空も青い。コサギが一羽、浅瀬で小魚を狙っていた。






2005.3.24(木)曇り。あたたかい。入間川十一番、給水橋。九時から一時。

写真を撮ろうとするならば、天気は、さほどよくない。だが、散歩には、絶好の日和だ。ちょうどいい、運動不足で、体がなまっている。冬の間についた、腹の周りの脂肪を、少し燃やそう。

久しぶりに、朝比奈親水公園へ行った。自転車道を関越橋まで歩いた。

春が来た。野外でゆっくりくつろげる。ひところの、あの寒さがウソのようだ。足元には、小さな花がいっぱい咲いている。オオイヌノフグリ、ホトケノザ、オドリコソウ。

あたたかくなって、身体の状態は上向いている。とはいえ、気分はさほどよくない。というのも、左目の見え方がおかしいからだ。出血も混濁もしていないが、どうも、変だ。はっきり見えない。あきらかに、視力が低下している。覚悟していたことながら、気分はよくない。五年以内に、視力は0.1になる。不吉な予言が、現実のものとなりつつある。

歩きながら思った。自分が、駄目な人間であるように感じられる。人生に対して悲観的だ。背伸びして生きてきたツケが、今になって回ってきた。憂鬱。孤独。失意のどん底。ごたぶんにもれず、あんたもまた、この世から去っていくのだ。






2005.3.26(土)晴れ。入間川六番、雁見橋。九時から十二時半。

よく歩いた。これといって書くことはない。写真だけで十分だ。






2005.3.27(日)晴れ。あたたかい。昼過ぎからは、雲が出てくる。入間川六番、雁見橋。九時から十二時半。

橋際の土手で工事をしている。土手に入れない。しかたなしに、土手下の農道を走る。あたり一面、きれいに田起こしされている。鉄塔があり、かなたの山並みがうっすら見える。

車を道路際に止める。今日は、久しぶりに、でかい一眼レフを持ってきた。そいつを肩にかけ、ぶらぶら歩きだす。いかにも、写真を撮りに来たふうだ。

カメラには、ネガフィルムが入っている。カウンターは、21で止まっている。いつ撮ったものなのか、まったく思い出せない。一年近くたっているかもしれない。となると、感光していて、使い物にならないかもしれない。まぁ、いい。

一眼レフで、フィルム一本撮ると、確実に千円以上はかかる。反故同然の、使い物にならない写真ばかりが、現像されてくるわけで、そのカネが惜しい。デジカメで撮り出してからは、なおさらだ。なにしろ、こっちは、何百枚撮ろうが、カネは一切かからない。そのうえ、二度と見たくない失敗作を、その場で削除できる。いやな気分を引きずらないですむ。

写真の場合、一度シャッターを切ったものは、すべて後に残る。いいものばかりならいいが、そんなことはありえない。99パーセントは失敗作だ。そうとわかっていながら、写真を撮るのは、カネをドブに捨てるようなものだ。何年か前に、そう思った。

デジカメを使い出して、二年くらいたつ。保存した画像は、五千枚以上もある。もっとも、気に入っているものは、いくらもない。それでも、一眼レフで撮っていた頃に比べれば、質、量ともに、大きく上回っている。理由はただひとつ。失敗を恐れずに、バンバン撮りまくっているからだ。いくら撮っても、カネはかからない。肩の力が抜けたのだと思う。

はじめのうち、デジカメの設定は、プログラムオートだった。シャッターを押せばいいだけの状態だ。しかし最近は、明かりの具合をみて、露出補正をするようになった。デジカメの場合、補正が瞬時にファインダーに反映されるわけで、これで、画面の色合いを、かなりの程度コントロールできるようになった。

写真を撮っていた頃は、この露出補正に悩まされた。天気のいい日には、オーバー気味に、天気のよくない日には、アンダー気味に、これが、露出補正の原則だが、その細かな数値がよくわからない。わかろうとするには、カネと時間と労力がかかる。しかし、本気で、写真をやるつもりがないのだから、その辺は、かなりいい加減だった。無理して、カメラだけは、いいのを買ったが、技術と経験が、それについていかない。いつまでたっても、まともな写真が撮れなかった。

デジカメでの補正値を、一眼レフに当てはめてみよう。高価なカメラを、いつまでも、押入れに寝かせておくのは、もったいない。今朝、思ったことだ。






2005.3.29(火)曇り。あたたかい。入間川五番、平塚橋。九時から十一時。

平塚橋をわたり、右岸の土手に入った。曇り空。気分が乗らない。

2005.3.31(木)晴れ。あたたかい。入間川五番、平塚橋。九時から十時。

おととい撮り損ねた、休耕田の菜の花を撮る。右岸の土手から、西側の鉄塔も撮る。用事があるので、早々に引き上げ。






2005.4.2(土)曇り。あたたかい。番外歩行、柏原の城跡。

はじめは、増形の、牛舎脇の菜の花畑へ行った。去年は撮り損ねている。今年こそは、とおもいきや、花が、ほとんどない。しかも、少しある花のそばには、農家のおじさんだ。なにやら作業をしている。

目の前には、きれいにならされた畑。去年は、ここに、一面の菜の花だった。

このまま引き上げるのもシャクだから、近くの新しい橋、入間川大橋のたもとへ行ってみた。「くずはき橋」は撤去されました。柵の丸太の番線に、看板がかかっている。ふと、赤くさびた、不細工な鉄の仮橋を想った。

橋の下からは、通行止めになっていた。みると、草むらだったところが、きれいに整地されている。運動公園になるのだという。車からおりて、二、三歩行きかけた。が、気が変わった。薄ら寒い景色だ。引き上げよう。

帰りに、安比奈新道沿いの桃畑によった。何十本もの桃の木が、ピンク色に染まっている。見事な枝ぶりだ。畑の中にまで入り込んで、何枚か撮った。とはいえ、なぜか、気合が入らない。天気がよくないからだ。ため息まじりに、下を見た。親指の先ほどの種が、たくさん落ちている。おや、っと思った。桃の種にしては小ぶりだ。ひょっとしたら、これは、桃ではなくて、杏かもしれない。ま、どちらにせよ、もういいだろう。

桃畑の縁は、崖になっている。そうとう高い。葉のついている雑木の間からは、対岸の清掃工場の煙突が見える。崖下には、西武が開発した住宅団地。崖に沿って、かなりの規模だ。雑木がなければ、見晴らしのいい場所なのだが、なぜか、崖際に、雑木林がずうっと続いている。いくら行っても、南側の視界がない。

林の奥まったところに案内板があった。ここは、昔の城跡。そのまえは、柏原氏の館跡だった。立ち止まって、ななめ読みだ。文字が、頭をかすっていく。500年も前のことだ。

たしかに、城を構えるには絶好の地形だ。前には入間川が流れている。この台地は、自然の要害だ。周りを見回した。シンとしている。





2005.4.3(日)晴れ。あたたかい。入間川四番、落合橋。九時から一時。

天気予報では、曇りのはずだが、いい天気。雁見橋際から、左岸の土手に入り、車で流しながら、西側の景色を撮る。しかし、どうもぱっとしない。まともな写真が撮れていない。そうこうしているうちに、もう、落合橋だ。

車を、土手のくぼみに止める。土手を少し歩く。橋。橋の歩道を歩き出す。と、すぐ下の、小畔川の河原で、なにやら工事。日曜日だから、人影はない。何台もの重機が、現場の隅で、静かにしている。かなり粘って撮る。

橋の下には、越辺川、小畔川、入間川、三本の川が並行している。それぞれの橋の横に、四角い鉄枠の水深計がある。この際だ、撮りに行こう。



今日は、人に話しかけられることが多かった。

でかい一眼レフを、肩に下げていたからかもしれない。

気分は、そう悪くない。





2005.4.5(火)晴れ。あたたかい。入間川四番、落合橋。九時から十二時。

先週の木曜日、また、左目が混濁しはじめた。しかし幸いなことに、増悪することはなかった。濁ってはいるが、さほど気にならない。

このところ、天気がいい。入間川に出ることが多くなった。気分転換にと、一眼レフでも写真を撮りだした。でかい、高価なカメラを肩から下げているせいか、よく人に話しかけられる。昨日なども、土手で、高校生と、長いこと立ち話をした。

高校の写真部に所属していて、モノクロ写真をやっている。顧問の先生の言われるとおり、「表情のある写真」を撮ることを心がけている。先日も、いきつけの床屋さんで撮った写真が、優秀賞に選ばれ、今度、全国大会へ行く。なるほど、生活や仕事の場で、人間の、生き生きとした表情を写真に撮ろうとしているわけだ。じつに健全、好感が持てた。ほかにも、趣味で、電車や飛行機を撮っているのだという。今度一緒に、八高線の鉄橋でも撮りに行こう、という話をして別れた。

土手の砂利道を、自転車が走っていく。遠くに釘無橋が見える。彼は、これから、なにを撮りに行くのだろう。すでに、十二時を回っていた。






2005.4.7(木)曇りのち晴れ。入間川四番、落合橋。九時から十二時。

朝、出かけるときは曇っていた。写真を撮ろうという気にはなれない。散歩がてら、桜でも見に行こう。

川越橋の土手下に小さな公園がある。桜が満開だ。しかし残念なことに、空に色がない。何枚か撮ったが、気合が入らない。いくら撮っても、ものにはなるまい。

公園の中に入った。ブランコ、鉄棒、ジャングルジム、滑り台、シーソー。そういえば、前に一度、写真を撮りに来たことがある。ブランコを撮ったんだ。そのときは、気がつかなかったが、真ん中に、でかい、立派な碑がある。川越橋竣工記念、と書いてあったのか。裏に回って、石に刻まれた文字をななめ読みした。長大な永久橋の完成を祝っている。碑文は、尽力した、当時の市議会議長が書いたようだ。

かすかな記憶。たしか、車一台がやっと通れる、丈の低い、手すりもついていない木橋だった。三十年以上も前のことだ。向こう岸に、車が止まっている。少し慎重になる。ガタガタと音を立てながら、橋を渡る。ちょろちょろした川の流れが、目に入る。彼女の車を運転している。ホンダの、カーキ色の軽だ。橋を渡り終える。待機してくれた車に手を上げたのか。思い出せない。まわりの景色は、どうだったのか。それも、まったく思い出せない。



陽が出てきた。暑い。トレーナー1枚になった。

ポプラ。そばまで行った。

幹が、思いのほか太い。ふた抱えほどある。

隣のは、樹皮がはがれている。枯れかけている。





2005.4.9(土)晴れ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。九時から一時。

寺山の菜の花を撮り直す。これで三度目だ。一回目は、天気があまりよくなかった。露出不足で画面が暗い。二回目は、遠景の雑木が、画面奥の中央にある。それが気になりだした。すこしずらせ。

土手の桜、ポプラ、これらも撮りそこねている。おととい歩いた場所を、もう一度回った。

土手に上がった。視界が、ぐっと開けた。河川敷耕作地が、所々青い。遠くに、落合橋も見える。その手前の土手が、かすかに黄色い。菜の花か。この眺めも、いい。来るたびに撮っている。

帰り際、運動場の桜が目に付いた。両脇が工場だが、さいわい、今日は誰もいない。中に入り、ゆっくり撮った。それにしても、見事な咲きっぷりだ。






2005.4.10(日)晴れ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。九時から十二時。

いい天気だ。毎年、この時期なると、かならず、四国遍路のことを思い出す。

二千年四月十一日の朝、まだ、アキレス腱が腫れている。歩くと痛い。この足で、焼山寺まで歩けるのか。険路な山道を越えていけるのか。登る前に、民宿脇のお堂に立ち寄った。神仏に、真心込めて、手を合わせた。くしくも、その日は、48回目の誕生日だった。

あれから五年たった。



失ったのもの。健康。自信。演劇。ほかにもたくさんある。

得たもの。孤独。時間。写真と文。

差し引き。プラスか、マイナスか。いまのところはマイナス。

でもこの先、なんとかプラスにしたい。






2005.4.14(木)晴れ。久しぶりのいい天気。入間川三番、釘無橋。九時から十二時。

菜の花、桜、タンポポが目に付く。今日は、土手の上から、対岸の、川島清掃センターの煙突を撮ろう。

ところが、粘って撮ったわりには、まともな写真がない。ほとんど削除してしまった。横着して、絵面で撮っているから、こういうことになるんだ。そういえば、煙突を見てはいるが、何も感じなかった。心が動かないのに、シャッターを押していた。






2005.4.16(土)曇り。入間川三番、釘無橋。九時から一時。

川島の煙突、堰、土手のタンポポ、水深計、出丸橋、水位監視塔、いろいろ撮る。だが、どれもこれも、ぱっとしない。腕がない。いや、天気がよくなかったんだ。そういうことにしておこう。





2005.4.17(日)晴れ。入間川四番、落合橋。十二時半から二時半。

この時期、落合橋からの、左岸の土手には、菜の花がびっしり咲いている。かなりの距離、土手が、黄色に染まっている。見事だ。

去年もそうだが、今日も、明かりの具合を待って、出張ってきた。ところが、よくない。見上げると、太陽の位置が、思いのほか高い。しかもまだ、右上のほうにある。どおりで、露出が取れないはずだ。とはいえ、待つのも億劫だ。

何回も撮りに来ている処だから、撮影ポイントは心得ている。自然と、足がそこに向いている。とはいえ、いまだに気に入った写真がない。去年も一昨年も撮り損ねている。

フォルダで眠っている失敗作の数々が頭に浮かぶ。ファインダーをのぞいているときには、感動があった。それが、写真になると、てきめんにアラが目立つ。なんとなく「いびつ」。画面が傾いている。それに、天空が狭すぎたり、逆に広すぎたりで、どうにもバランスが悪い。

かなり慎重になった。もう失敗はできないだろう。ファイダーを見ながら、画面を、右に左に、上へ下へと微妙に動かした。それでも、なんだか変だ。風景が、画面の中におさまらない。少し立ち位置を変えてみた。だが、事態は好転しない。うなった。ポイントの設定が、そもそも間違っているのかも知らない。

右側の川原には、まだ葉のついていない雑木が二本ある。中央には川原道。轍が二本、くっきりついている。それ挟んで、急な土手。斜面に、菜の花がびっしり咲いている。土手は、緩やかに右に曲がっていき、黄色い帯の先には、釘無橋が見える。一直線の、きれいな水色だ。車が、ひっきりなしに橋を渡っていく。ミニカーのようで可愛いい。空の色は、藤色。かすかに工業団地の建物も見える。何度も撮っている。だが、どういうわけか、今日に限って、心が動かない。

土手下の川原道を、ぶらぶら歩きだした。写真に撮るのを、なかばあきらめた。頭の中の風景を、いちど白紙に戻すべきだ。と、どこからともなく花の香り。菜の花の匂いは、肥溜めの臭い。好きではなかったが、今日のはちがう。かぐわしい。甘い。春の香りだ。

ひとりで、黄色い道を歩いていく。空の高みには、ひばり。さかんに鳴いている。いい天気だ。そうだ思いだした。もうひとつ、ポイントがある。正面に橋、中央に川原道、両脇が菜の花だ。この際、あそこまで行ってみよう。

だがけっきょく、土手の菜の花は、すべて駄目だった。がっかりだ。もう、撮り直す気にはなれない。また来年だ。



落合橋。

そういえば、この先で、小畔川と合流する。

川と川とが落ち合うから、落合橋。

おそらくは、それが、橋の名の由来だ。





2005.4.19(火)晴れ。スカッと晴れた。入間川三番、釘無橋。九時から十一時半。

川島の煙突は、眼中になかった。だが、気がついてみると、さかんに撮っている。しまいには、対岸に渡って、これまで撮ったことのないような位置取りから狙っている。

カフカの「城」という小説を想起した。最後までちゃんと読んでいないのだが、大意はつかんでいる。城から呼び出された技師が、なぜか、なかなか城にまで行き着けない。周りをぐるぐる回っているだけだ。

今日の自分は、煙突の周りを、カメラをぶら下げて、うろうろしているだけだ。煙突の、すっと、空に向かっている姿が、じつにいい。





2005.4.21(木)曇りのち晴れ。番外、秩父羊山公園。十時から一時。

久しぶりの遠出だった。秩父の羊山公園まで車を飛ばし、丘の芝桜を見てきた。テレビで取り上げられたせいか、平日にもかかわらず、混んでいた。
朝のうちは曇っていたが、正丸トンネルをぬけると、青空が見えた。武甲山も間近に見られたし、上機嫌の一日だった。

この二年間、行動範囲は、入間川流域に局限されている。それが、出かけてみようという気になったのは、目の状態が、少しいいからだ。それに、体力も回復してきた。すぐに疲れる、ということがなくなった。気持ちにも余裕があり、不安になったり、落ち込んだりが、少なくなった。

お花畑の写真でも撮ろうかな。ほんのちょっとだけ、人生に対して前向きだ。



背景に武甲山を入れようとしたが、逆光だ。

残念。





2005.4.23(土)晴れ。あたたかい。絶好の写真日和。番外、幸手町、権現堤。十時から一時。

権現堤は、桜の名所だ。それに、菜の花畑もある。地図で調べたら、茨城県との境、中川のかわっぺりだ。川越栗橋線を走っていけば、二時間くらいだろう。一面の菜の花畑を期待して、車を走らせた。

道が混んでいる。17号線の、坂田の交差点だ。昔と、ぜんぜん変わっていない。道路の拡幅工事を、まだやっている。だがそのあとは順調。さしたる渋滞もなく、大宮栗橋線の、西大輪の交差点にぶちあたった。そこを左折、さらに一つ目の信号を右折して、幸手町にはいる。道なりに十分くらい走ると、それらしき土手が見えてきた。桜は散って、葉がでている。道路沿いに、駐車場がずっと続いているが、ロープが張ってあり、入れない。うかうかしているうちに、やり過ごしてしてしまった。

このまま行っても駄目だ。左折して、橋を渡る。あれ、五霞村の工業団地に入ってしまった。人造湖、行幸湖のほとりに車を止める。どっと前がひらけている。水量が多い。水が青い。何枚か撮ってはみたが、どうも気が入らない。ちかくに、広大な菜の花畑があるはずだ。

散歩をしているおじさんに聞いてみた。丁寧に教えてくれたところは、目と鼻の先だ。半信半疑で歩いていく。車止めがしてある、凝ったつくりの橋があり、その向こうに、なるほど、菜の花畑だ。でも、思ったよりも狭いぞ。一目で見渡せるほどだ。

幸手町のHPに掲載されていた写真を思い浮かべた。画面おくに、桜並木があり、その下に、黄色の菜の花畑。ふ〜ん。たしかに、あの写真のとおりだ。

太陽を背にして、畑の周りをぶらぶら歩き始めた。水門、橋、工場などが見える。手前に、菜の花を目いっぱい入れて撮る。ときどき、青空に、雲が、ぽっかり顔を出す。比較的好きな景色だ。

少し暑いくらいの、春の陽射し。人もまばら。時のたつのも忘れて、写真を撮り続けた。






2005.4.24(日)晴れ。入間川三番、釘無橋。九時から十二時。

約二時間、橋の歩道から、川カミの景色を撮り続ける。体力が回復している。就寝前の、軽い柔軟がきいているようだ。






2005.4.26(火)曇り時々晴れ。午後に、にわか雨。番外、館林つつじヶ丘公園、加須市利根川河川敷の菜の花畑。

つくづく思った。天気のよくない日には、遠出をしない。それからもうひとつ。ちゃんと下調べをする。

館林のつつじヶ丘公園は、最悪だった。俗悪な観光地だ。狭くて埃っぽい。ヒマな年寄り達でごった返している。車で二時間かけてきたのに、ツツジだって、たいしたことはない。もう二度とこない。

入園料を五百円も取られたが、ひと回りして、すぐに出てきた。写真もほとんど撮らなかった。しかしこのまま、手ぶらで帰るわけにもいかない。ちょっと遠回りだが、加須のほうへ回ってみよう。利根川の河川敷に、広大な菜の花畑があるはずだ。

地図を見ながら、車を走らせた。小一時間ほどで到着。高い土手の上から河川敷を見下ろした。う〜ん。たしかに広大な菜の花畑だ。ただし、花がまだら。まっ黄色、というわけではない。それに、背景が、だだっぴろい川。絵になりにくい。しかも、曇ってきた。露出が取れない。

土手をななめにおりた。ほとんど人影はない。花ぐもり。辺りはシーンとしている。先ほどの、館林の喧騒がウソのようだ。これで、青空だったらなぁ〜。惜しい。





2005.4.28(木)晴れ。初夏の陽気。暑い。入間川三番、釘無橋。九時から一時。

川原が、いたるところ、黄色に染まっている。菜の花だ。わざわざ、遠出することもあるまい。






2005.4.30(土)晴れ。入間川三番、釘無橋。九時から十二時。

芳野台の煙突を撮る。また煙突か。だが、こいつは煙突っぽくないぞ。

あたりは、荒れた河川敷耕作地。これといって目に付くものはない。どうしても、清掃センターの煙突が目に入る。とはいえ、いつ来ても、いつ見ても、気持ちは動かない。しかたなしに撮る、といった感じだ。

形がよくないのか、愛想のない煙突だ。いっこうに親密になれない。互いに、そっぽを向き合っている。

この時期、脇を通り抜けていく自転車道には、菜の花が咲きそろっている。写真になりそうな気がするのだが、いつも駄目だ。絵面で写真を撮っている。

最高の位置取りを求めて、四方八方から眺める。最高の明かりの状態のときに、出かけていく。最高の一枚を、絶対に撮る。愛着がないから、いまだに、そういう気になれない。



最近、また、ネットラジオをかけ始めた。

BGMとしては、やはり、昔のR&Bがいい。

60年代、十代の頃にさかんに聞いた音楽だ。

気持ちが落ち着く。




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