此岸からの風景 www.sekinetoshikazu.com since 2005

top photo essay gallery 花切手 blog biography contact

 Photo essay<入間川写真紀行>

2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012


2005.7.2(土)曇り。蒸し暑い。入間川二十六番、飯能河原。九時から十一時。

市民会館の西側駐車場に車を止める。公園内の、アトムの像を見に行く。今回で二度目。だが、どうにもこうにも、絵にならない。後ろは道路。電柱があり、アトムの顔の後ろに、電線が横切っている。がっかりしたことを思い出した。

以前、銅像は、道路の向こう側の公園にあった。背景は深い木立だった。そのときは、さほどいいロケーションとも思わなかった。が、今の場所とくらべれば、雲泥の差だ。それでも、いちおうは、カメラを向けた。アトムの、くりくりした大きな目が、虚ろだった。やはり、撮る気がしない。

ま、いいだろう。はなから、写真を撮る気はなかった。見るだけで十分だ。

市民会館沿いの道路を、ぶらぶら歩きだした。坂になっている。少し行くと信号。左に行けば、飯能の市街地。右は、名栗方面。横断歩道を渡る。民家の間の、細い道を行く。すぐに突き当り。さびれたみやげ物屋がある。左に曲がる。右手に、河原が見えてくる。

案の定、今年からは、河原への車の進入が、禁止されている。環境保全のためだ。そのせいか、河原の所々に、草が生えている。川の水も、心持ち、きれいになっているような気がする。それに、ゴミが落ちていない。

車で、大挙押し寄せ、水辺でバーベキュウをやる。直火だから、河原のあちこちに、黒い、焼け焦げができる。ゴミを散らかすのはもちろんのこと、鉄板なども、川で洗う。川を汚していることに、罪悪感がない。だから、立て看板などで注意を促しても、まったく効き目がない。そこで、行政も、最後の手段にでた。車を入れさせない。水辺まで、車で入れないとなれば、河原でバーベキュウをやる人間はいなくなる。

不便になったが、この方がよい。河原がこざっぱりした。とはいえ、辺りを見回しても、写真に撮るような景色は、どこにもない。いつ来ても、同じことだ。がっかりもしない。

細い仮橋を歩いて、対岸へ渡る。少し川沿いに歩くと、深い木立の中に、急な坂がある。うす暗い。登りきると、橋がある。割岩橋といって、歩行者専用の橋だ。その赤い橋の上から、河原を一望する。たいした景色でもないが、何枚か撮る。決まり事になっている。

駐車場に戻った。このまま、手ぶらで帰るつもりなのか。ペットボトルの冷水をグイと飲んだ。いいや、道路の向こう側、以前、アトムの銅像があった公園に、アジサイが、ちらほら咲いている。吸寄せられるように、歩きだした。



今年は、白いアジサイをよく目にする。以前にはなかったことだ。

アジサイの色は、土壌の性質できまる。

酸性だと、青紫。アルカリ性だと、赤紫。そして、中性だと、白。

本当のことだろうか。





2005.7.3(日)曇り。入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。九時から十一時。

矢久橋の手前に車を止める。案内板とコンクリのテーブルがあるところだ。ちょっと広くなっている。橋の上を歩く。川カミの堰を見下ろす。三角形の波消しブロックが、乱雑だ。撮る気がしない。

橋を渡り終える。20mくらいかもしれない。戻るかたちで、今度は、川シモを見ながら歩く。下の、河川敷グランドは、少年野球専用。今日は、大きな声が聞こえる。上が黒の、おそろいのユニフォーム。まじめに練習している。目線を、上にあげる。飯能大橋が空を横切っている。何枚か撮る。

橋を、また戻る。左岸に渡る。左に曲がり、坂を登る。飯能大橋のたもとにでる。橋の両側に、比較的広い歩道がついている。川カミを撮り、次に川シモを撮る。この時間、陽が差していれば、川シモ側は、逆光。でも、この辺りでは、一番の眺めだ。ならば、午後になって、出なおしてくればいい。いつもそう思うのだが、ついつい面倒になってしまう。



河岸段丘。

「中流河川の両岸にみられる、河川に並行した階段状・台地状の地形。浸食・運搬力が衰えた河川では、物質の堆積がおこなわれているが、水量の増加、上流の隆起などの原因によって浸食力が復活すると、ふたたび河床を削り、旧河川は台地状の地形として残り、段丘を形成する。」

はるか昔、野球グランドは、河床だった。





2005.7.5(火)晴れのち曇り。入間川二十四番、加治橋から矢川橋。

久しぶりに、薄日が差している。しかも、さほど暑くない。朝から、気分がいい。寄り道をしながら、飯能方面へ向かった。

車の中で思った。ルートにより、入間川を三分する。中橋から飯能河原。初雁橋から中橋。川越橋から上江橋。入間川の全体像が、ようやく見えてきた。点と点とが結びつき、線となる。線と線とが交錯し、面となる。入間川流域の、さまざまな景色が、瞬時に、頭の中で点滅するようになった。気分は、さらによくなった。

加治橋の下をくぐった。車が二台とまっている。橋の下のホームレスは健在。大きなテーブルの前に、二人居る。視線をそらしたまま、通過。川に沿った川原道を行く。すぐに行き止まり。成木川との合流点。たいした景色じゃない。でも、いちおうは、ポイントだ。

以前、ここで合鴨と遭遇した。まさか、今日は居ないよな。

水辺に下りた。さきっちょがピンク色の、小さな花を見つけた。こいつは知っている。ミゾソバだ。しゃがみこんで、観察しだした。いや、ちがうな。花は似ているが、茎に、細いトゲがいっぱいついている。ママコノシリヌグイ。表情が和らいだ。面白い名前だ。

戻った。チラッと、ホームレスのアジトを見た。小柄で、坊主頭の奴が、こっちを見ている。シカトしてやり過ごす。橋のたもとの信号を突っ切り、川に沿って少し走る。成木川にかかる橋、新大橋を渡る。浄水場の間をぬけると、道が広くなる。右手に川があり、対岸の高い崖の上に、民家が行儀よく並んでいる。ここも、ポイント。車を止め、外に出る。

曇天。景色が、どうもよくない。川の色は、くすんだ灰色。草木の緑もおもったるい。撮る気になれない。右を見た。加治橋が小さい。対岸の崖に、土留めコンクリが、べたっと張り付いている。崩落を押さえ込んでいる。左を見た。矢川橋が小さい。急な崖には、雑草が繁茂している。とうてい、水際には下りていけない。と、オレンジ色の花が目に付いた。これは、ユリの一種だ。けさ、笠幡の田んぼの畔で見かけたやつだ。

近づくと、花は、ひとつふたつじゃない。しかも、蕾をつけた茎が、何十本もある。ひょっとしたら、斜面に群生しているのかもしれない。覗き込むようにして、道路際を歩きだした。道路には、数mおきに、桜の木が植わっている。そのまわりだけ、下草が刈られている。少し踏み込み、体を斜めにして、斜面を見通した。花は、いくらも咲いていない。とはいえ、細長い蕾が、たくさんある。うれしくなった。

斜面に、オレンジ色のユリの花が咲いている。しかも、群生している。思ってもみなかったことだ。撮るのを、なかばあきらめていた景色に、色が入った。花一輪、曇天の空によく似合う。ここは入間川右岸、加治橋と矢川橋との中間点。ポイントが、またひとつ増えた。



ヤブカンゾウ。

田んぼの畔に咲いていたのは、ノカンゾウ。

ヤブカンゾウは八重、ノカンゾウは一重。なるほどね。





2005.7.7(木)曇り一時晴れ。番外、奥武蔵グリーンライン。九時から十二時。

小鹿野町の般若の丘。ラベンダーで、山の斜面が紫色になる。六月の末が、見頃だったはずだ。とはいえ、かなり遠い。眼の調子がよくなかったので、なかなか行く気になれなかった。もう、花は終わっているかもしれない。

国道299号を、走った。交通量が多い。ダンプが、いやけに目に付く。景色を見ながら、ゆっくり走りたいところだが、そうもいかない。50キロ以上だしているのに、後続車が、アオってくる。ハンドルを握りしめた。

運転に集中している。こんなことでいいのか。久しぶりの秩父路。のんびり行きたいものだ。そうだ、迂回して、顔振峠から、グリーンラインに入ろう。西吾野で、国道からそれた。山道を登り始める。

2003年の夏場。うだるような暑さ。昼寝をしに、グリーンラインまで、車を走らせた。日陰を見つけ、車を止める。窓をすこしあけ、携帯蚊取り線香をつける。少しうとうとするのだが、すぐに目が覚める。蒸し暑くてしょうがない。山の中でさえ、ゆっくり昼寝ができない。2003年。いやなことばかりがあった年だ。

顔振峠まで、ターボ全開、一気に登る。ほとんど貸切り状態の山道。登りきれば、あとは、多少起伏のある尾根道。幅は狭いが、ちゃんと舗装されている。ゆるゆると、不動茶屋まで、ドライブを楽しむ。いつ来ても、静かで、いいところだ。



そのあとも、寄り道ばかり。横瀬町に下りてきたのは、十二時近かった。これから、秩父の町を縦断し、小鹿野まで行く。どう考えても、小一時間はかかる。しかしもう、元気がない。やめよう。車を回転した。そこがちょうど、羊山公園への上り口だった。丘一面の芝桜を見たのは、たしか、四月の末だった。ずいぶん前のような気がする。



笠幡付近で見つける。名前は、ヘメロカリス、らしい。

園芸種。ヤブカンゾウ、ノカンゾウの同属。

花言葉―媚態。別名―忘れ草。





2005.7.9(土)小雨。午後からほん降り。入間川歩行はお休み。

八時過ぎにアトリエを出た。今にも降り出しそうな空模様。河原で花でも撮ろう。八瀬大橋のたもとから、川原へ入った。

すぐに、黄色い花が目についた。低い護岸のヘリに咲いている。この時期、よく見かけるやつだ。マツヨイグサだと思うのだが、確信がない。車からおりて撮りだす。撮りながらおもい出した。この花は、何回も撮っている。だが、いまだに、撮ったという気がしない。

花形が、漏斗状だから、中を、上からのぞく込む形になる。しかし、めしべもおしべもよく見えない。かといって、真横からの姿も、ふにゃふにゃしている。絵にならない。いろいろ角度を変えて、見直すのだが、どうしても構図が決まらない。けっきょく、一枚も撮らずに、あきらめた。花に、魅力がない。少しだけ、自分に言い訳をした。

水辺のほうへ歩き出した。ノゲシだ。一株二株、黄色の花をいっぱいつけている。こけしのような形が特徴的。判別できる、数少ない山野草のひとつだ。とはいえ、あまり撮ったことはない。ことあるごとに見かけるので、目が慣れすぎている。いつでも撮れると、油断している。

いい機会だ。と、カメラを構えた。ファインダーをのぞきこむ。いやけに暗い。顔を上げる。霧雨だ。ノゲシに未練はない。引き上げよう。

そのあと、あんたは、どこへ行ったのか。すんなり、アトリエへ戻ったとは、どうしても思えない。床屋へ行った。それから、誘惑に負けて、パチンコ屋へ直行した。そうだろう、都合が悪くなれば、すぐに口をつぐむ。体裁のいいことばかり書くなよ。悪い癖だ。で、また負けたのか。う〜ん、70Kほど勝った。先日の負けを取り返した。ふん、悪運の強いやつだ。





2005.7.10(日)曇り時々晴れ。蒸し暑い。入間川二十三番、八高線鉄橋。九時から十二時。

阿岩橋のたもと、町営グランドの前に車を止める。今日は、鉄橋を撮ろう。ただし、空に色はない。時々、薄日が差すていど。よほど注意しないと、写真にはならない。

まずは、グランドの横から、雑草を足で掻き分け、水辺におりた。視界がない。すぐに戻る。今度は、グランドのヘリを歩く。向こうで、マウンテンバイクが何台も動いている。講習会のような感じ。かまわず、向かっていく。水辺におりる小道を目で探す。護岸が、雑草に覆われている。すぐに、人の通った跡。ちょっと迷ったが、行くことにする。滑らないように注意した。

水際に達した。水量が多い。ただし、なんかヘンな色。飴色だ。鉄橋を眺める。この位置取りでは、駄目。水際を歩く。鉄橋のすぐ近くまで来る。コンクリの橋脚を見上げる。この角度からは、何回となく撮っている。今日は、曇りのせいか、景色がおもい。何枚か撮ったが、気合が入らない。



阿岩橋を渡る。たもとの民家の庭先を斜めにおりる。きれいに除草されている。コンクリの段差を飛び降りると、橋の真下。釣り人が二人居る。波消しブロックの上を歩いて、流れの真ん中まで行く。向き直って、川カミの鉄橋を眺める。一瞬、秩父の山並みが、シルエット。はっとして、何枚か撮る。



戻るかたちで、橋に並行している歩道橋を歩く。川シモの水辺に、ヤブカンゾウが咲いている。また橋の下におりる。手前に、花を入れて、何枚か撮る。二匹目のドジョウを狙っている。嫌気がさす。

クランド前の茶屋でひと休み。中のご主人に会釈をする。30分ほど雑談。そのうち、鉄橋の話になる。店には、古い時代の写真が、ぐるりと飾ってある。八高線が、まだ電化される前のものだ。みな、ご主人が撮ったものだという。

昭和28年に撮った、阿岩橋の写真もあった。むろん木橋だ。手前に写っている田んぼは、ご主人の家のものだった。なるほど、今この店が建っている辺りだ。いい写真ですね。率直に感想を言った。すると、奥から、飯能市の郷土資料集を取り出してきて、見せてくれた。そこに、この写真が載っている。あらためて、感心した。ほかにも、まだたくさん、昔の写真があるのだという。また今度の機会に、ということで店を後にした。

50年前以上の入間川の写真。郷愁を誘う。郷土史料の中に、たくさん残っているのかもしれない。それらの写真を、特別ゲストとして、入間川写真紀行にお招きしてみようか。新たな構想が、脳裏をかすめた。





2002.7.12(火)霧雨のち曇り。入間川歩行はお休み。

正直に書こう。誘惑に負けて、朝からパチンコ。三時すぎまで打って、6Kほど勝つ。

去年の11月のなかば、パチンコで120K勝った。歴史的大勝だった。それ日以来、パチンコにのめり込んだ。調べてみると、12月は、月の半分はパチンコ屋へ入り浸っている。とはいえ、年末に大敗し、さらに年が明けても、負けは続いた。すぐに、資金がつき、また、いつもの生活に戻った。

その間、「入間川写真紀行」は、完全に休筆状態だった。パチンコのことがいつも頭にあり、写真も文章も、何もかもがうわの空になった。多少気がとがめたが、衝動を抑えることはできなかった。

勝ち続けている間は、気分が、異常なほど高揚していた。反省も内省もない。自分に言い訳することもなかった。残り少ない人生、好きなようにやらせてくれ。完全に、開き直っていた。

ギャンブルは、勝っている間は楽しい。ただし、負けが込んでくると、これはもう地獄だ。冷静さを失い、一発逆転の大勝負に出る。むろん、それにも負けて、借金までする。今も昔も、賭け事で身を滅ぼす人間は、相当な数だろう。そこまで落ちたことはないが、先のことはわからない。パチンコを、人生から抹殺して生きていこう。何度思ったか知れない。

しばらくの間、入間川歩行は中止になるかもしれない。しかしながら、写真紀行を休筆する気にはなれない。かわりにといってはなんだが、パチンコ談議に花を咲かせようか。本意ではないが、書かないよりはマシだろう。長い目で見れば、これも寄り道の一種だ。





2005.7.14(木)曇り。入間川歩行はお休み。番外、小畔川宮下橋付近。八時半から九時。

いつもの時間にアトリエを出る。前々から気になっていた、笠幡のダリアを撮りに行く。農家の広い敷地内に咲いているのだが、歩道沿いなので、気楽にカメラを向けられる。

紫の大輪が、少し頭を垂れている。ファインダーをのぞく。見た目の色に近づけるために、露出を補正する。かなりアンダー。画面全体が暗い。今度は少しオーバー。明るさは確保できる。しかし、紫のダリアが、赤紫になっている。見た目とはかけ離れている。

紫の、ダリアの大輪。撮りたいと思ったのは、その色と形だ。形はともかく、色が再現できないのなら、写真に撮る意味はない。もっとも、あとで色調補正ができるかもしれない。いちおうは、撮ってみた。

補正するまでもなかった。どう贔屓目に見ても、セレクトするような画像じゃない。フォルダの中で眠ってもらおう。

パチンコ屋の開店待ちに、ちょこちょこっと撮った。気合が入っていない。ダリアに、非礼を詫びよう。





2005.7.16(土)曇り時々晴れ。蒸し暑い。番外、小畔川吉田橋付近。八時半から九時半。

小畔川。すぐ近くの川。入間川の支流。関越道付近で、北と南に別れる。北小畔川の水源は、宮沢湖。南小畔川は、飯能ゴルフ場辺りか。いま、あらためて、地図で確認しなおした。

昔は、川というよりは、裏の小川という風であった。しかし、大雨や台風のたびに氾濫したようだ。それが、四十年ほど前、流域に住宅団地ができたのを機に、大規模な河川工事が計画され、施工されていった。いまでは、かなりしっかりとした土手ができている。もっとも、全流域を踏破していないので、迂闊なことはいえない。

よく知っているのは、入間川との合流点、落合橋付近から、川越の笠幡辺りまでだ。狭いながら、土手の上を車で走ることができる。だが、車の入れないその先が、どうなっているのか、正直言って、まったく知らない。さほど興味のない場所を、わざわざ歩く気にはなれないのだ。

車で、ぴゅうっと行けるのなら、気晴らしに走ってもいい。ところが、地図で見る限りは無理だ。川に沿った道がない。それどころが、川に沿って歩くことすらできない感じだ。上流にいけばいくほど、川幅が狭まり、おそらくは、どぶ川になってしまう。どう考えても、景色のいい場所などない。一番身近な川なのに、えらくそっけない。

それでも、朝晩目にしている、裏手の小畔川には、多少の親近感がある。いつかは、写真に撮ろう。



土手の花壇。

気になるのは、ムラサキユツクサ。ポーチュラカはおまけ。





2005.7.17(日)曇りのち晴れ。梅雨明け間近。蒸し暑い。入間川二十二番、阿須運動公園。九時から十一時。

仏子の中橋で寄り道。橋の上から、川カミを撮る。運動クランドでは野球、テニス。河原ではデイキャンプ。それぞれの休日を楽しんでいる。

少し走る。阿須の運動公園の駐車場に入る。暑いせいか、さすがに、子供公園の人影はまばら。しかしそれにしては、車がたくさん止まっている。なるほど、脇のテニスコートが大賑わい。それに、遊歩道にも、サイクリング野郎が大勢居る。ひっきりなしに、犬の散歩やジョギング。釣り人。さらには、対岸の河原に、たくさんのテントやタープ。子供たちが、川へ入って、歓声を上げている。曇天の蒸し暑い中、やけに人が出ている。

護岸に立った。流れが大きく右に曲がっていく。目の先に、阿岩橋、八高線鉄橋、山の中腹の建物。天気のいい日には、秩父の山並みが、手に取るように見える。だが今日は駄目だ。何もかもが、どんよりしている。景色が死んでいる。

川シモのほうへ歩き出した。川面に、大学の建物が映るポイントがある。せめて、あそこまでは歩こう。護岸のヘリが歩きづらい。雑草地帯をまたいで、遊歩道へ移動する。と、一面のアカツメ草。歩道が、その間をぬって続いている。こんな光景ははじめてだ。さらに行くと、黄色のハルシャギクが所々に群れている。白い花もある。ハルジオンもがんばって咲いている。三種の花が、見事に調和している。いや、もっとある。地面に目を凝らすと、ピンク色した、小さなネジリ花。これはもう、天然のお花畑だ。

何も期待していなかったぶん、驚きが大きい。素直によろこんでいる。しかも、今日は、草花を撮るには、絶好の明かりだ。どっかと座り込み、撮りだした。






2005.7.19(火)晴れ。暑い。入間川歩行はお休み。番外、イチプラ霞、十時から二時。

八時十五分、アトリエを出る。今日はさすがに、開店待ちのわずかな時間に、写真撮影をする気にはなれない。その辺を一回りして、時間をつぶす。

3000発ほど打ち込んで、5箱だす。しかし、あっさり3箱飲まれる。終了。選んだ台の選択に、さほど間違いはなかった。だが、いかんせん、回りが悪い。一箱で120回転以下。これでは勝負にならない。ひどい話だ。

火曜日は、回収日。もう行かない。これで、パチンコデーは木曜と土曜の、週二日になる。もっとも、雨の日は、別だ。持ち金20Kのルールを守り、せいぜい楽しむことだ。気晴らし、気晴らし。





2005.7.21(木)晴れ。本格的な夏。朝から暑い。入間川歩行はお休み。番外、イチプラ霞。十時から四時半。

一のつく日はプラザデー。パチンコ屋の宣伝に乗せられ、今日も朝からパチンコ。角台の300番に座る。前日は14回、前前日は21回でている。データグラフから察するに、前日はほとんど飲まれている。終わりは、560回転。狙い目だ。2000発打ちこんで、確変をひく。7連荘。四箱飲まれるが、その後、断続的に13回出す。まだいけそうな気もしたが、体力的に限界。二箱飲まれて終了。65Kの勝ち。

今月になって、五勝一敗。ほとんど負け知らず。データグラフの読みが当たっている。前日の大当り回数が、20回以下、しかも、出たり入ったりで、ほとんど飲まれた台。500回くらい回っていれば、なおいい。それを、角台中心に探す。ほかにも、出そうな台を記憶しておき、あとで様子を見に行く。予想が的中していることが多い。パチンコ開眼!いやぁ〜、たまたまじゃないの。

入間川歩行も写真撮影もサボっている。報告することがないから、パチンコのことを書いている。気がひける。バカを世界に公開しているわけだ。それじゃ、書かなければいい。「入間川写真紀行」は、一時休筆。宣言して、パチンコに専念すればいい。

「入間川写真紀行」の執筆は、やめるわけにはいかない。中断することもできない。記述し、報告することが、生きる「よすが」となっている。どれほど、くだらない内容でも、唯一の人生。誰のために、何のために、生の実相を、隠蔽するのか。悪いのは、ギャンブルじゃない、自分を偽ることだ。パチンコの勝ち負けを、正々堂々、報告しなさい。





2005.7.23(土)曇りのち晴れ。比較的涼しい。入間川歩行はお休み。番外、小畔川吉田橋付近の土手。八時半から九時半。

土手の花壇。オシロイバナを撮る。紅色の花が多い中、黄色がある。よく見ると、紅が少し混ざっている。交配のとき、なにか間違いがあったようだ。白と紅のまだらは、よく目にするが、黄色に紅は、はじめてだ。それにしても、色合いがよくない。自然の造化も、たまには失敗する。

オシロイバナも、気にかかる花のひとつだ。生まれ育った前野町の三軒長屋に咲いていた。ほかにも、ムラサキツユクサ、アジサイ、キショウブなどがあった。どれもみな、繁殖力が強い。手入れなどしなくても、毎年、見事な花を咲かせていた。

当時は、バラが流行っていた。玄関先に白いアーチをつくり、赤いバラを這わせる。柵にも、あふれんばかりに咲いている。自分の家にくらべれば、はるかに垢抜けている。うらやましい。腹いせ、というほどでもない。学校の帰り道、バラのトゲを失敬して、鼻につけて遊んだりした。

そんな家の一軒に、初恋の女の子が住んでいた。お母さんは学校の先生で、その子も勉強ができた。小柄だが、額の秀でた、目のパッチリした美人だった。ただし、母子家庭だった。離婚したのか、それとも、お父さんは病死したのか、はっきりしたことはわからない。そのせいか、時々、陰りをみせる。あるとき、その子が、お母さんと連れ立って、出かけるのを見た。日曜の朝、公園で野球の練習をした帰りだ。まっすぐに前を向いた、気丈そうなお母さんに、うつむきながら寄り添っている。楽しそうな感じじゃない。

彼女の家の前を通りすぎた。見事なバラのアーチだ。その向こうに玄関がある。ふるびた茶色のドアに、さびたノブがついている。シンと静まりかえっている。二、三歩入りこみ、庭を覗いたのかもしれない。一面、真っ赤なバラが咲き乱れていたような気がする。





2005.7.24(日)曇り。比較的涼しい。入間川二十一番、中橋から上橋。九時から十一時。

仏子の中橋からの眺めは、入間市景観50選に選ばれている。このことは前にも書いた。広い河原の向こうに、西武線の鉄橋が見える。時々、黄色の電車が通る。よく目立つ。天気のいい日には、秩父の山並みがくっきり見える。だが今日は曇天、手前の飯能の山すら見えない。河原の、縞の大きなテントが目に付くだけだ。若者達のデイキャンプだ。

橋を渡った。川沿いの住宅団地に車を止め、右岸の土手に入り込んだ。舗装された、桜並木の散歩道だ。桜の時期には、人でごった返す。今は、日陰にアジサイが咲いている。はっとして、後ろを振り返った。ずうっと植わっている。はじめて気がついた。なるほどね。アジサイ場を、またひとつ見つけた。ほかにも、縁に、いろいろな花が咲いている。ちょっとしたお花畑になっている。誰かが、丹精している。

花を育てたことがない。土いじりが嫌いだ。山野草には多少興味はあるが、園芸種には、まるっきり関心がない。写真に撮ることすらしない。ただし、見るのは好きだ。色が綺麗だ。人の咲かせた花を、タダで楽しんでいる。しかし、時として、いやな思いをすることもある。「花を取らないでください」。と、掲文。人が丹精を込めて咲かせた花を、無断で取っていく人間が居る。子供のいたずらじゃない。花泥棒だ。

花を育てる人間が居る。一方で、花を盗む人間が居る。そして、自分のように、ただただ、花を眺めている人間も居る。人間は花が好きだ。つくづく思った。そういえば、死出の送りには、必ず花だ。古からの風習だ。

少し歩いた。土手の散歩道に、西武線の鉄橋が横切っている。高さは1.6m。少し腰をかがめ、頭を低くする。下を通り抜けると、お目当ての、レンガ鉄橋が見えた。変わりない。

周りを丹念に歩いた。いろいろな角度から、遺構となったレンガ橋を眺めた。いまだに、決定的な構図が見当たらない。上橋を渡り、対岸へ行った。大きなケヤキが何本もある。その間から、何枚か撮った。



崖沿いに細い道がある。少し歩く。レンガ橋の、さびたレールが、道を横切っている。手前に、根っこがむき出しの、大きなケヤキがある。柵はあるが、壊れている。下を覗き込んだ。根っこの凹凸を利用して、下へおりられそうだ。躊躇なく、柵をまたいだ。急な崖を、慎重に下った。

河原におり立った。日陰で涼しい。崖からは、清水が滴り落ちている。川へと向き直る。レンガ橋脚が、ずらっと並んでいる。おそらく、この眺めが最高だろう。ただし、逆光。もっとも、今日は曇天だから、何とかなるんじゃないの。確信はないが、もう撮るしかない。モニタリングを繰り返しながら、かなり粘った。しかしそれでも、空が、白く飛んでしまう。ひと息入れた。みると、水際に、小さな花が咲いている。しゃがみこんで、撮りだした。



アカバナ、だと思う。





2005.7.26(火)雨。台風が接近中。夜には関東に上陸。入間川歩行はお休み。午前中は、アトリエでHP(写真帳4)の制作。

午後。雨の中、外出。電車に乗り、お茶の水の眼科まで行く。案の定、台風のせいで、空いている。いくらも待たないで、診察。視力がでない。よくなった感じがしていたので、少し気落ちする。ま、そんなことより、夕方には、台風が上陸するらしい。急いで帰ろう。ちょうど、雨も小ぶりになった。

東京へ出るときは、必ず東上線を使う。駅から電車に乗ると、すぐに入間川の鉄橋を渡ることになる。今日も、行きに、電車の窓からチラッと見た。濁流がすごい。気になっていたので、帰りは、しっかり見た。もっとすごくなっている。河川敷グランドが水浸し。車が二台取り残されている。とはいえ、溢れるほどじゃない。背後には、高い土手がひかえている。

一年に何回か、入間川が凶暴になる。そんなときは、土手の上から眺めているにかぎる。けっして、近寄らない。万が一にも、足を滑らせ、濁流に飲まれたら、それこそ一巻の終わりだ。洒落にならない。というか、臆病なんだ。

あくる日、水の引いた頃、おそるおそる川原へ侵入する。水際の草が、泥をかぶって、倒れている。濁った流れが、護岸すれすれまできている。まだまだ水量は多い。深入りしないで、カメラを構える。どうしても、濁流を入れたくなる。しかし、何度撮っても、濁流の量感は撮れない。ほとんどあきらめている。記念写真でいい。

台風一過。明日は、何とか時間をつくって、入間川に出たいものだ。ところが、正直なところ、そういう気になれないでいる。気持ちが、パチンコに傾いている。困ったものだ。





2005.7.30(土)晴れ。暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時。

六月、七月と、スカッと晴れた日はいくらもない。今日も、薄日は差しているが、全体的に雲が多く、青空はない。もっとも、最近は、パチンコばかりやっているから、天気のことは関係ない。むしろ、暑い中、入間川へ出なくてもいいので、ほっとしている。

去年の今頃は、蒸し暑い川原を、奥歯を噛みしめながら歩いていた。八月になると、今度はカンカン照りの中、決死の覚悟で、入間川へ出て行った。天候に関係なく、火、木、土、日は、入間川歩行を続けた。写真を撮り、「入間川写真紀行」を書きぬいた。

無理をしていたのだろう。秋口になり、急に調子が落ちた。なんとなくやる気が出ない。十一月も半ば、とうとうパチンコにひっかかった。十二月は、月の半分、パチンコ屋へ入り浸っていた。資金が底をつくまでは、入間川へ出る気がしなかった。

入間川歩行、写真、文章。さほど好きなことではないのかもしれない。その証拠に、またパチンコにひっかかっている。涼しいところで、遊んでいるほうがいい。たしかにそうだ。だが、ふと想う。むなしい。人生を浪費している。勝っても負けても、ギャンブルの後には、何も残らない。世界が、よそよそしい。

入間川歩行だけでは、気が狂いそうだ。かといって、パチンコだけでは、なお、むなしい。その間をとって、何とか生き延びたいと思っている。可もなく不可もない、中途半端な人生。多少の抵抗はあるが、第三の道を行くしかない。





2005.7.31(日)晴れ。午後からは陽射しが強くなる。暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から三時。

今日も、朝からパチンコ。あれ、ちょっと待ってくれ。パチンコは、木、土の、週二日と決めたはずだ。それに、雨も降っていない。たしかにそうだ。だが、ルールを破ったのには、それなりのわけがある。言い訳をさせてくれ。

昨日は、増台の361番を狙った。前日、かなりハマっている。ということは、見せ台として、そろそろ爆発する。カンが働いた。朝一番で、台を確保。300回ほど回っている。打ち出す。回りは、さほど悪くない。ただし、リーチが全然かからない。いやな感じ。データグラフを何回も見ながら、首をかしげる。大ハマリが続いているのかもしれない。だとすると、あと500回以上は回さなくちゃならない。迷った。思い切って、ななめ後ろの399番に移った。データグラフの読みからすれば、こちらは、すぐにも出そうな感じ。

361番には、すぐに、どこかの親父が座った。少したち、ふと後ろを振り返った。魚群が流れている。えっ、と息が止まった。しかし、ハズレ。安堵した。やっぱり、粘らないでよかった。朝イチで魚群を外したら、もうやる気がしない。

安心して、399番を打ち続けた。15Kほど打ち込んで、魚群。しかし、あっさり逃す。昨日からの累計で、1000回転近く回っている。もう駄目だ。席をたつ。本来なら、ここで終了のはずだ。ところが、そうもいかない。あっちこっち、動き回る。「大海」以外のシマで打つ。サメのノーマルで二回出すが、すべて飲まれる。その間にも、361番が気になる。ちょくちょく、のぞきにいく。十二時過ぎ、さっきの親父が単発を引く。すぐに飲まれ、ハマっている。そのうち、一瞬、台が空になった。しかし、それを見ながら、座ろうとはしなかった。

361番は、そのあと、すぐに大爆発した。見る見るうちに、ドル箱が増えていった。最終的には、25連荘。それを、指をくわえながら見ていた。もっとも、こっちも397番で10箱出している。今日の負けは取り返している。さほど悔しくはない。朝イチで、魚群が逃げた台だ。所詮、俺には取れなかった。すこし強がっている。

逃した魚は大きい。昨日のことが、今日の負けを呼び込んでいる。二日間、大ハマりしている321番台。日曜のプラザデーだから、見せ台として、大爆発する。朝から、勝負をかけた。しかしながら、見事に返り討ち。三時まで打って、三回しか出せない。27Kの負け。

非常に後味が悪い。それもこれも、自分で決めたルールを、すべて破っているからだ。パチンコは週二日だけ、データ重視、魚群で外したら、深追いしない、持ち金二万。負けて当然、いや、負けてよかった。

教訓。ルールを守って、楽しく遊べ。気を取り直せ。





2005.8.2(火)晴れ。雲が多い。時々青空が見える。入間川二十番、新豊水橋。十時から十二時。

九時、保健センターへ用足し。すぐに終わる。駐車場から車をだす。と、裏手の畑に、小ぶりのひまわりが咲いている。寄り道しよう。久しぶりの写真撮影。我慢できないほどの暑さではない。ついでだ、田んぼを見ながら、踏み切りのほうへ歩き出す。青々とした稲が、元気よく、ぐんぐん育っている。なるほど、これも入間川流域の風景だ。



十時。車に戻る。踏み切りを、ふたつ突っ切り、日高県道に出る。あとは一直線、圏央道の側道まで走る。その間、頭の中で、歩行の段取りをする。本来ならば、新豊水橋を歩くべきだ。防音壁の窓から、川カミを撮る。でもねぇ〜、たいした天気じゃない。ハナから腰が引けている。暑い中を歩くのがいやなんだ。仏子の河原を車で流そう。手抜きだ。

生コン工場の脇を抜け、河原へ入った。何台か車がとまっている。子供が、川の中に入って、水遊びをしている。水際まで車を寄せ、外にでた。暑い。それよりも、写真にならない景色に、がっくりしている。来るたびに、損をしたような気になる。舌打ちしながら、流れのそばまで行った。おっ、水がきれいだ。それに、川鵜よけのスズランテープもない。ゴミも焼け焦げもない。河原が、こざっぱりしている。対岸の、辛気臭い林も、今日は、さほど気にならない。しかしあとで考えたら、河原がきれいなのは、先日の台風のおかげだ。人間どもの悪行を、天が洗い流してくれた。

川沿いの、ガタガタ道を、川シモへむかった。すぐに、新豊水橋。並行して、無粋な圏央道。殺伐とした眺めだ。対岸の橋の下を、伸び上がってみた。茂みの中に、ホールレスの小屋があったはずだ。いや、雰囲気がちがう。人の気配がしない。護岸工事も中断されている。重機が斜めにとまっている。静かだ。背中のやせた住人は、どこかへ追い払われたにちがいない。

二本の大きな橋の下をくぐる。回り込むような形で、反対側の道に出る。また橋の下。横をみると、奥の深い空間がある。不法占拠されている。廃車や廃棄物であふれかえっている。ところが、出入り口に、ま新しいフェンスがはってある。鍵までかかっている。地域住民の告発で、行政が重い腰をやっと上げた。文字通り、不法占拠者を締め出したわけだ。中を見ながら、さらにゆっくり走る。人の気配はない。皮膚病にかかった老犬もいない。ゴミはそのまま。だって、廃車だけでも何十台もある。すぐに、処分できるとも思えない。静かだ。不穏な雰囲気がなくなっている。

川鵜、ホームレス、不法占拠者と皮膚病の老犬、厄介者たちは、みなどこかへ行ってしまった。来るたびに、殺風景な場所が、少しずつ姿を変えている。安心して歩けるようになったのはいい。だが、依然として、撮りたいような景色はない。

新豊水橋を渡った。下ったところの信号を左折。細い道。霊園の中へ入っていく感じ。ところが、道がずうっと続いている。左側は木立、右側が霊園だ。はじめて通る道で、どこへ出るのかわからない。道なりにすこし行くと、木立も霊園もきれ、住宅の間を行くことになる。先ほど、河原から見上げた、崖の上のお屋敷の裏側にいるわけだ。

なおもたらたら行く。一般道に出た。すぐに中橋北の信号。左折。また、すぐ左折。住宅の間の狭い道を、うねうね走る。方位としては、仏子の文化センターの対岸。何もないのはわかっている。ついでだ。川沿いの道を車で流す。花火工場があり、その奥に公園。どん詰まりは、芝生のマレットゴルフ場。途中、注意書きの看板がいたるところにある。神経質なほどだ。いつ来ても、いやな感じ。車から降りることもしない。回転。何のために、わざわざこんな所に入り込んできたのか、自分でもよくわからない。

中橋を渡る。そのまままっすぐ行く。西武線の踏切りを渡り、急な坂道を登っていく。右手の山の中には武蔵野音大、左手の丘の中腹には、国民宿舎入間グリーンロッジがある。緑色の円錐形の屋根が、遠くからもよく見える。坂の途中の信号を左折。いったい、どこへ行こうとしているのか。

仏子の河原に立つ。前は高い崖、後ろは丘陵。その背後の丘の中腹に、家が点在している。ということは、あの位置からなら、入間川を俯瞰できるはずだ。ところが、何度か試みたが、丘に登っていく道が、見つからない。家があるということは、車の通れる道があるはずだ。今探しているのは、その、丘の中腹にいたる道だ。

左手の小高い木立を見ながら走る。この向こう側に出たい。見当をつけ、左に曲がる。すぐに行き止まり。老人ホームだ。戻る。今度は間違いない、道が、木立の間をぬっていく。少しの間、視界のない林の中を走る。と、出たところは、圏央道に架かる横断橋だ。眺めがすごくいい。おもわず車を止め、外に出た。ずうっと下のほうに、新豊水橋が見える。道は、そこから登りになり、こんもりとした木立の中に消えていく。自分はいつも、あの向こうから、白いジムニーを駆って現れるわけだ。写真を何枚か撮った。

横断橋を渡り、圏央道沿いに、坂を下った。下りきったところに西武線の踏み切りがある。おりしも、カンカン鳴って、遮断機が下りた。ちょっと考えた。あとはもう、あの道を行くしかない。踏み切りを渡り、県道を、左に曲る。すぐに信号。右折すれば、新豊水橋の側道。しかし、そっちには行かないで、左斜めの道に入る。細い道。カンを働かせ、丘の斜面へ向かう道を探す。狭いところで、左逆Vを切り、線路を渡る。えらく急な斜面にぶつかる。登る。家が並んでいる。はは〜ん、ここだ。民家に沿って、右に曲がる。かろうじて、入間川が見える。さらに行く。行き止まり。バックで戻る。もっと行くか。見上げるほどの斜面。上までいって、回転する場所がなかったら、バックで下りてこなくちゃならない。急に怖気づき、引き返す。写真どころじゃない。

帰り道、車を走らせながら考えた。丘の中腹に、住宅が並んでいる。好きな風景だ。ところが、実際は、とんでもない所だ。生活するのに、不便極まりない。それに、あんなところで、平日、写真を撮っていたら、間違いなく不審者だと思われる。くわばら、くわばら、誤解されるような行動は慎もう。

夜中にむっくり起き上がった。入間川の背後にある、あの丘の名前を確認したい。加治丘陵だと思うのだが、確信がない。ネットで検索しだした。ところが、そのまえに、入間川流域の、航空写真にひっかかった。画質が悪いので、はっきり見えない。それでも、流れを空中から俯瞰できる。クリックしながら、入間川をさかのぼる。今日、自分が、立ち入った領域を、地図上で確認する。深い緑で覆われている。いつの日か、ヘリに乗って、上空から入間川を写真に撮る。夢のようなことを、想った。





2005.8.4(木)晴れ。雲が多い。朝から猛烈に暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時半。

木曜、土曜はパチンコ。そう決めたので、入間川歩行をサボっていることに、なんの罪悪感も感じなくなった。もっとも、この暑さだ。入間川に出たところで、川原を歩くことはできない。降り注ぐ紫外線の中、正直言って、写真撮影どころじゃない。それでも、去年は、夏場の暑い時期にこまめに歩いている。やる気があった。それに、逃げ場もなかった。入間川に出るしかなかったのだ。

今年の夏は、さいわいにも、逃げ場ができた。いや、逃げ場を作った、というほうが正確だ。朝から、涼しいところで、遊んでいる。大負けしない工夫をして、パチンコを楽しんでいる。

今朝は、300番に座った。前日8回、前々日25回出ている。繰越回転数は330回。少し少ないような気もしたが、データグラフの読みから、大ハマりはないと判断した。1500発打ち込んで、魚群。しかも、サムが登場。確変、確定。朝から気分がいい。だが、あっさりワンセットで終了。とたんに、雲行きが怪しくなる。サムが出ると、どうも駄目だ。のびない。予感が的中。二箱、あっさり飲まれる。ここは我慢。魚群が出るまで粘る。さらに1000発打ち込む。500回転くらいで、魚群。とはいえ、サメの単発。ますますいやな予感。あっという間に一箱飲まれる。腹を決める。魚群が出るまでやる。運良く、300回転で魚群、確変。ワンセットで終わるも、またすぐ魚群、確変。以後、7連荘する。全部で、九箱。これで余裕。しかしそのあとは、いがいにのびない。三箱飲まれたあとに、クラゲ・魚群の確変ワンセットのみ。さらに一箱飲まれ、とうとう、クラゲ・魚群を逃す。引き時と判断。終了。30Kのプラス。

今日は、十分遊んだ。かなり満足している。ただし、ひっかかることが、ひとつだけある。先週の日曜に負けた321番台。昨日、40回も出ている。逆算すると、自分が狙った日から、二日後に大爆発。データグラフを、完全に読み間違えたわけだ。教訓、二日続けてハマってる台は打つな。それにしても、四十回も出ている。自分以外にも、悔しがっている奴が何人もいるはずだ。逃した魚は大きい。

入間川写真紀行が、パチンコ日誌になっている。なに、かまうものか。完全に開き直っている。いや、そうとばかりもいえない。パチンコという毒で、脳細胞が活性化されている。写真の枚数は減ったが、文章は長くなった。書くことが苦にならない。もっといえば、生活に張り合いがでた。息抜き、楽しみを見つけたわけで、鬱々としているよりはましだ。しかしそれが、パチンコというのが、我ながら情けない。





2005.8.6(土)晴れ。朝から、ものすごく暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時半。

昔、心理学の本を読み散らしたことがある。その中に、「補償」という概念があった。たとえば、大金持ちが貧民に寄付をする。たとえば、企業が芸術家を援助する。儲けた金を、独り占めしていると、なにを言われるかわからない。多少なりとも、社会に還元して、非難の矛先をかわす。そこまで打算的ではないだろうが、贖罪の意識が働いていることはたしかだ。

悪いことをしているという意識がある。しかし、悪行は改められない。そんな時、善行を施したくなる。罪滅ぼし、といわけだ。はっきり言って、偽善である。悪いと思っているのなら、即、やめるべきだ。正論だが、若い。今は、そう思うようになってしまった。これを、「転向」という。

パチンコなどしないほうがいい。にもかかわらず、かなり楽しんでいる。罪滅ぼしに、書く必要のないことまで書いている。これを、「補償」という。しかしながら、書くことすらしなくなったら、行き着く先は、地獄だ。なかば無意識のうちに、儲けた金を、すべて使い果たそうとする。大勝ちのあと、必ず大負けする。何十回も繰り返していることだ。

転向した中年は、もう少し、したたかであっていい。たしかに、補償という心理的な機制が働いている。しかし、一方で、駄文は、「死の衝動」に対峙している。実存にとっては、根拠のある文章だ。沈黙よりは饒舌を!書き続けろ。





2005.8.7(日)晴れのち曇り。猛烈に暑い。入間川歩行はお休み。自治会の用足し。十時から十一時。あとは、HP(哲学帳5)の制作。

以前書いた、哲学帳(1〜48)に手を入れ、改稿哲学帳(抄)として、HPに掲載しようとしている。全七項のうち、今日は、第五項を仕上げた。あからさまに、プライバシーに抵触する文言は、伏字にした。とはいえ、伏字にしてまで、掲載する価値のある文章なのか、少し迷った。

哲学帳5は、2002年から2003年にかけての、人生最悪の時期に書かれた文章だ。それなのに、正直言って、拙文。このままでは、とても表に出せない。文意を損なわない程度に、手を入れる。けっか、文章が、かなり短くなってしまった。もっとも、今では、文章の長短は、問題にならない。長ければ良い、というわけでもないし、短いから駄目、というわけでもない。書きたいことが、ちゃんと書けていればいい。文飾はいらない。

あの時期、精神的に、かなり落ち込んでいた。書くことが山ほどあったはずなのに、あたり障りのないことばかり書いている。どこか、うわの空だ。哲学帳という枠組みに縛られている。本当のことが言えない、書けなかった。

哲学帳は、2002年の6月から、2003年の7月まで、断続的に書き続けられた。全部で48項。苦しい時期だった。演劇を断念し、写真と文章に活路を見出そうとしていた。拙い文言が、人生の岐路を垣間見せてくれる。記念として、HPに永久保存したい。





2005.8.9(火)晴れ。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から三時。

今日も朝からパチンコ。自分で決めた遊びのルールを、ことごとく破る。そのせいか、62Kの大負け。内容は記述しない。おもいだすと不快。それでなくても、極度の自己嫌悪。眼の調子もよくない。このへんで、手を引こうかとおもう。

女にフラれたときもそうだった。タバコをやめたときもそうだった。それなしで、生きていけるのか、不安になった。今もそうだ。人生がつまらなく感じられる。たかがパチンコ、とおもう。しかし、ギャンブルの誘惑を断ち切るのは、好きな女と別れるくらいつらい。まじめな話しだ。

一時の狂騒がウソのようだ。勝っている間は、気分が高揚していた。パチンコが、これからの人生の一部になるような気がした。ところが、たった一度の大負けで、気分が、がらりと変わった。もう勝てる気がしない。むなしい。このまま、パチンコを続ければ、十年もつ視力が、五年しかもたない。左目をすり減らしている。視力とパチンコ。自分は、視力を選ぶ。

健康、入間川歩行、写真と文章。それに、内省。また、静かな生活に戻ろう。





2005.8.13(土)曇り。蒸し暑い。入間川二十番、新豊水橋。九時から十二時。


入間川歩行を再開しよう。


新豊水橋からの眺め。

このあと、右岸、鍵山の土手下の道を流す。浄水場の脇までいき、護岸際に車を止める。そこからは徒歩で、桜並木の土手を歩く。休憩所まで行き、引き返す。蒸し暑い曇天、スカッとした写真にはならない。だが、要所要所で記念写真を撮る。シャッターを押すことで、風景を銘記している。最近では、六十キロ以上ある入間川の流れを、瞬時に、思い描くことができる。点が線になった。

車に戻ってきた。橋を渡り、左岸へ移動した。流れに沿った川原道を、ゆっくり車で流す。脇の産廃の山がひときわ大きくなっている。見上げるような高さだ。さらに行く。車が何台もとまっている。県外ナンバーもある。釣り人だ。岸に、太い竿が何本も並んでいる。しかし、以前のような不穏な雰囲気はない。どうやら、ホームレス達は一掃されたようだ。

そう、ちょうど一年前だ。行き止まりの崖の下が、ホームレスの巣窟とは知らずに、うっかり足を踏み入れた。通り過ぎただけだが、いやな気分になった。危険地帯。もう二度と来ることもないだろう。それがどういうわけか、健全な釣り場にかわっている。護岸工事の際、ホームレス達の廃車は撤去されたのだろう。ねぐらを失ったわけで、否応なしにアジトから撤収したにちがいない。ざまあみろ、とまでは思わないが、同情する気にはなれない。

行き止まりの、ちょっと広くなった場所に、車が一台とまっている。中で、釣り人らしきおっさんが、本を読んでいる。外に出る。護岸の上を歩いて、行けるところまで行った。途中、崖下のアジトの前で立ち止まった。ゴミが散乱している。が、人の気配はない。以前置いてあったテーブルや釣竿もない。ただし、緑色した、回りにコケの生えた大きなポリバケツは、そのままだ。崖からの清水を、トヨをつかって溜めている。ふたつ、みっつ穴があいているので、そこから、水が勢いよく噴き出している。その水が、崖と護岸との間にたまっている。大きな水溜りだ。みると、隅っこほうに鯉が何匹かいる。かなり大きい。しかも元気だ。バシャバシャしている。川から釣り上げた鯉を、リリースしないで、ここで飼っているのかもしれない。

鯉たちは、物音に驚き、水際の草の中に身を潜めている。からだが半分見えている。大きな、紫色した尾びれが、ゆらゆら動いている。水が、驚くほど澄んでいた。

護岸を、さらに歩いた。もうこれ以上は行けない。立ち止まり、下流を眺めた。せき止められた流れが、曇天の空の下、鈍く光っている。左端に、堰の監視塔。彼方には、豊水橋。車が走っている。ホームレス達が一掃された以上、いつでも、この景色を楽しむことができる。景観ポイントが、またひとつ増えた。

引き返した。車に乗り、今来た川原道を戻り始めた。しかし、すぐに止まった。もう一ヶ所、ポイントがある。上流の眺めだ。正面に、小高い丘が見える。その下に、マンションや住宅が密集している。先ほど歩いた、鍵山の土手道も見える。浄水場あたりでは、相変わらず、釣りをしている。人間が、ゴマ粒ほどだ。曇天、しかも逆光ぎみ。去年見た光景とほとんど変わらない。何もかもが、ぼんやりとしている。

引き上げ。丸太の柵を抜ける。と、すぐに、右へ入る道がある。いやな感じがしたので、去年は、入り込むのをやめた。ホームレスも一掃されたことだし、行ってみようか。ハンドルを切る。少し坂になっている。道沿いには、資材置き場、バラック立ての工場、家庭菜園。雑然としている。不穏な感じはしないが、やはり、なにか雰囲気がよくない。いったい、どこへ通じているのか。黄色の縞々の車止めが見えた。ゆっくり通り抜ける。くらい坂。前方に、なにやら、見覚えのある建物。あっ、これは、崖の上の廃院だ。

崖のふちを走る一般道に、モルタル作りの、かなり大きな病院がある。一目で、廃院とわかる。うっそうとした木立に囲まれ、昼間でも、ここだけが薄暗い。脇を通るたびに、気味悪がっていた。その廃院の下から這い上がってきたような感じだ。横を通り抜けたとき、チラッと見た。閉ざされた窓ガラスの向こうに、薬品のビンが並んでいる。一気に坂を走り抜けた。すぐに、上の一般道に出た。なるほど、ここに出るのか。入間川へ入り込む道を、またひとつ発見したわけだ。といっても、あまり使いたくない道だ。





2005.8.14(日)晴れ。薄い雲がかかっている。陽射しは強い。カッとした暑さ。入間川歩行はお休み。番外、吉見百穴観光。十時から三時半。

久しぶりに、娘達と観光。吉見百穴は、彼女達が子供の頃、一緒に来たことがある。もっとも、さらに昔、自分は、小学校の遠足で来ている。その頃は、古代人の住居と教えられていた。それが、かなり前に、お墓に変更された。子供の教科書に、ちゃんと記載されていた。以来、この件については、なんとなく釈然としない。

学術的な見解が、時を経て変化する。よくあることだ。研究が深められたわけで、素人が、とやかく言う筋合いのものではない。頭では理解できる。しかしながら、心に、ひっかかるものがある。はい、そうですか、と素直になれない。

教科書で、百穴の由来を、図解入りで教わった。その、古代人の住居跡を、今度の遠足で見に行く。社会科見学だ。ぼこぼこと穴のあいた山を見て、おそらくは、興奮したのだろう。急な斜面を走り回りながら、穴を、ひとつひとつのぞいたにちがいない。

あるとき、その懐かしい記憶に、チャチャが入った。住居でなく、墓だ。何十年もの間、疑いもしなかったことが、いとも簡単に覆された。なんとなく、腹立たしい。むろん、ほかにも、似たようなことはたくさんある。学術の進歩に、ケチをつけるつもりはない。だが、吉見の百穴に関しては、べつだ。

教科書の学術的見解は、より妥当なものに書き換えられる。しかしながら、それによって、かけがえのない思い出が、台無しにされることもある。

山に、ぼこぼことあいた穴を眺めながら、古代人の生活を想った。歴史を目の当たりにして、無垢な好奇心が、おののいている。いまさら、変更などしたくない。





2005.8.16(火)曇り時々雨。入間川歩行はお休み。介護のため、自宅待機。





2005.8.18(木)晴れ。薄い雲がかかっている。ところどころに、うっすらと青空。入間川十九番、笹井の堰。九時から十二時。

豊水橋際に、閉店したパチンコ屋がある。その駐車場の中を通りぬけると、流れに沿った川原道に出る。右に曲がる。ほとんど一直線のガタガタ道。笹井の堰まで続いているはずだ。左手は、背の高い草。右手は、ほそながい公園。その向こうには、低い土手。だから、視界がほとんどない。無駄走りしているようだ。

堰が見えてきた。道が、すこし右に曲がる。ちょっとした坂。上りきったところに、真新しい車止めが設置されている。幅が狭いので、通り抜けるのに神経を使った。前来たときに、こんなものはなかった。不法投棄車の侵入を阻んでいるのか。しかし、豊水橋際からは、やすやす入り込めるわけで、なんとなく釈然としない。

堰の横に車を止める。暑いが、外に出よう。何回も来ている。それなのに、まともな写真が一枚もない。水流や堤防に気を取られているから、駄目なのかもしれない。たまには、監視塔を画面に入れてみよう。かなり粘ったが、撮れた気がしない。

移動。県道に出る。根岸の交差点を右折。豊水橋を渡る。回り込むようにして、橋の下におりる。運動公園沿いに走り、堰へと通じる川原道まで行く。だが、入り口に、スクーターが一台とまっている。あたりに人影はない。ということは、この先の堰に居るということだ。なんとなく、いやな感じ。いちおう車から出たが、行く気になれない。と、脇の護岸が、盛り上がっている。1mほどの土手ができている。これは、すぐに理解できた。このあたりの護岸は低い。ひとたび増水すれば、運動公園は、あっという間に水浸し。濁流を阻止する応急処置だ。ためにしに、上ってみよう。なるほど、少し高いだけだが、見通しがいい。堰の監視塔が真正面に見える。何枚か撮る。・・・あとは省略。



最後は、堰の裏手、市民の森に沿って、細い川原道を、どん詰まりまで行った。出たところは、鍵山の浄水場脇。気になっていた水深柱を、また撮った。





2005.8.20(土)晴れ。陽射しが強い。カッとした暑さ。入間川十八番、豊水橋。九時から十一時。

寄り道。川越市場の裏手から、増形の土手に入る。カンカン照りだというのに、人の姿が目に付く。狭い土手なので、車が止められない。一枚も撮らずに、入間川大橋のたもとを突っ切る。さらに、狭山市の清掃センターの脇を抜け、上奥富公園に入る。グランドに沿って、一直線に走り、上奥富用水堰まで行く。車を止め、外に出る。これといって、変わったことはない。いつもの景色だ。ただ、今日は水量が多い。水しぶきが、目に心地いい。

豊水橋についた。横着して、橋のたもとに車を止めた。いつもは、橋の下の日陰に止めるのだが、炎天下を歩く距離を、すこしでも縮めたいわけだ。やる気がない証拠だ。

しかたなく、という感じで、橋の上を歩いた。暑くてしょうがない。それに、寄り道したせいか、明かりが、よくない。ななめ頭の上。真正面に、うっすら山並みがあり、いい眺めなのに、露出が足りない。スカッとしない。ま、いい。執着もせずに、今度は、川シモ側の歩道に渡る。いちおう、下の魚道を見る。面白い造作なのに、絵にならない。しかも逆光気味。かといって、明かりを待って撮り直す、という気にもなれない。いつもそうだ。

車に戻った。用を足し、ふと横を見ると、コスモスが咲いている。除草剤をかぶったのか、少し枯れている。とはいえ、真紅の花びらが、陽射しをうけ、なお鮮やかだ。もう、コスモスの時期なのか。悪所に出入りしているうちに、夏が終わってしまった。






2005.8.21(日)晴れ。久しぶりに、スカッとした青空。入間川十七番、広瀬橋。九時から十二時。

寄り道。右岸、関越橋から川カミの給水橋まで、川原道を車で流す。広瀬橋まで、一般道を走れば、30分かからない。ただし、面白みがない。方向が同じなのだから、途中、川原道を行くという手がある。これなら、目的地以外の景色も、日々楽しめるというわけだ。

入間川も、ひととおり歩いたので、気持ちに余裕ができた。歩行区間を、なにがなんでも歩く、という義務感からは開放された。横着して、景観ポイントを車で回っている。暑いのだから、しかたない。



広瀬橋に着いた。橋の下に回り込み、日陰に車を止めた。外に出たとたん、手首を蚊に刺された。以前、橋の隙間にホームレスのねぐらがあったところだ。うす暗い。じめじめしている。かび臭い。いつ来てもいやな所だ。

土留めコンクリを、ななめに登り、橋に出た。うってかわって、ひろびろしている。眺めがいい。中州は、一面緑。流れの向こうに、奥多摩の山並みが見える。空の色が、やさしい。カッとした陽射しに、おもわず目を細める。強い南風に、麦藁帽子が、吹き飛ばされそうになる。残暑、だ。






2005.8.23(火)晴れ。夕方に激しい雷雨。入間川歩行はお休み。

午前中は、電気屋の立会い。午後は、眼科診察。と、わざわざ書くのは、まだ、心のどこかにやましさがあるからだ。パチンコはやってません。自己弁護している。

先日、河川敷パトロールの、ジムニーとすれちがった。乗っていたのは、目に険のあるオヤジだった。まえに、立ち話をした、愛想のいいおじさんとは、別人だ。辞めたのか、それとも、配置転換になったのか。なにがあったのかは、想像もつかない。

変化は、ジムニーのおじさんにかぎらない。野放しの川原にも、隠微な形で、河川敷管理の手が及んでいる。一番目に付くのは、車止めのポール。不法投棄者を締め出すには、手っ取り早い方法だ。しかし、それだけじゃない。ついでに、一般車両も締め出して、河川敷管理の効率を上げている。ほかにも、河川工事の名のもとに、近辺のホームレスの小屋を取り払っている。これは、明らかに意図的。ホームレスたちに同情する気はないが、行政のやり方も、汚いような気がする。

入間川の変化は、むろん、それだけではない。大局的にみれば、年々歳々、生態系そのものが、衰弱している。とくに、魚、鳥の数が激減している。科学的な根拠があるわけではないが、間違いないとおもう。ただし、不思議なことに、水質だけは向上している。水がきれいだ。川に、工場の廃液や生活廃水を垂れ流す精神風土が、多少は、改められているのかもしれない。だが、そのかわりに、人間中心主義が、大手を振ってまかり通っている。河川敷の灌木や茂みを根こそぎにして、野球やサッカーのグランドをつくる。棲家を追われた鳥や昆虫は、不平を言うこともなく、どこかへ飛び去ってしまった。

休日に、河川敷グランドで子供のサッカー大会がある。親達が、車を連ねて応援にくる。ほほえましい光景だ。ただし、川に、魚の姿はなく、空に、鳥の声もない。ホコリっぽい道に囲まれた、のっぺらぼうな空間に、歓声だけが、むなしく響く。生き物たちを圧殺した場所で、健全な余暇活動がなされている。

止まり枝のない場所に、百舌はけっして戻ってこない。河川敷の有効利用が、完全に裏目に出ている。かけがえのないものを失ったことに、住民も行政も気づかない。しかしながら、他人を責めることはできない。気づいているのに、何もしないあいつは、もっと悪い。空とぶ鳥たちの、噂話が聞こえる。





2005.8.25(木)雨。台風が近づいている。入間川歩行はお休み。

一日中アトリエにこもり、HP(哲学帳6・7)の制作。『改稿哲学帳(抄)』を、すべて仕上げる。

『哲学帳』には、断続的に、49章を書いた。書いた時期は、2002年6月から2003年7月まで。この時期は、心身ともに、最悪の状態だった。そんな中で、細々と書き続けられたわけだが、文章は稚拙、いわば、雑文の集積だ。とはいえ、自分にとっては、かけがえのない文章になった。

あの時期、なにを想い、なにを考えていたのか。かなり正直に書いている。挫折を、何とか乗り越えようと、真摯に、自分と向き合っている。結果、しだいに、心境が変化していく。最終章では、新たな展開が暗示されている。

2004年、『入間川写真紀行』と『想念草子』を書き出した。『哲学帳』は、いわば、その踏み台となった。

揺れ動く心の軌跡を、稚拙な文章と写真が、一生懸命、追いかけている。どん底からはいあがろうとする、その心意気が、尊い。





2005.8.28(日)曇り。入間川十七番、広瀬橋。九時。

県道を左折。広瀬橋を渡った。左側に小学校。道路に面した入り口から、敷地に入りこむ。駐車場沿いに少し行くと、川原が見える。土手を下る。重機がとまっている。日曜だから、工事はお休み。橋の下をくぐる。太った犬が二匹、ウロウロしている。飼い主は、めがねのやせた男。川原のゴミを、ひとりで拾っている。額に汗。イライラしている。いやな感じだが、すぐ脇に車を止める。

外にでる。川シモの川原道を確認する。行って行けないこともないが、大きな水溜りがある。両脇に、雑草も生い茂っている。視界がない。行く気になれない。ぶらぶら戻り、水辺に近寄る。浅瀬が、重機にえぐられている。水辺の雰囲気じゃない。工事現場だ。すぐに引き返す。

川カミへ向かう。今年の冬、何枚か、気に入った写真が撮れた場所だ。ところが、今日は、ぜんぜん駄目。空の色も、川の色も、鉛色。さらに行く。堰をのぞいてみよう。ところが、雑草が生い茂っている。そばまでいけない。したかない。護岸のふちに立ち、カミの景色を眺めた。せき止められた流れが、白っぽく光っている。とたんに、やる気を失った。さびしい想いをするために、来たんじゃない。

蒸し暑い、曇りの日。歩く気にはなれない。さりとて、写真も撮れない。意味がないだろ。虚しさと寂しさが入り混じった。居ても立ってもいられない。理性が吹っ飛び、魔界からの誘いに、やすやすと身をゆだねた。一気に走り、一時間後には、いつもの店で、玉をはじいていた。





2005.8.30(火)晴れのち曇り。イチプラ霞、十時から二時半。

火曜日は出ない。よぉ〜く、わかっている。にもかかわらず、のこのこ出かけていった。誘惑に弱い。さいわい、大負けはしなかった。マイナス4K。とはいえ、もう行かない。店はがらがら、ほとんど出してない。勝てる気が、まったくしない。

パチンコはやめた。少し前に、そう書いた。それなのに、またやっている。これはもう、本当にバカなのだ。だから、少し負けたくらいで、絶対にやめる、なんてことを言うのはよそう。どうせ、できっこない。

先日、自治会の祭りの警備をした。といっても、路地裏で三時間ほど、人の出入りを見守っていただけだ。その際、常連のおババに出っくわした。向かいの家が知り合いらしい。双方、ともにとぼけて、ひと言ふた言、言葉を交わした。そのおババに、今日は、気安く、声をかけられた。いつものところでやらないの。300番台のことだ。ふと、そっちのほうを見る。と、常連のおじさんが座っている。

おじさんとは、300番台をめぐって、再三ニアミスを起こしている。ほとんどの場合、自分のほうが、整理券番号が早い。ゆえに、先に台を確保してしまう。そんなことが、三、四回あった。あの台は、おじさんの指定席なの。おババが耳元でささやく。出ても出なくても、必ず朝から来て、昼過ぎまで打って帰る。昨日なども、散々突っ込んだ挙句、夕方には、ほかの客に出されてしまったのだという。ふ〜ん、そうだったのか。

おババのことは、またそのうち、詳しく書くとして、今は、このおじさんのことだ。抽選時間になると、折りたたみ自転車を、くるくるこいでやってくる。短めの白髪を、ポマードかなにかで、きっちりオールバックにしている。白のハイネックを着ていることが多く、めがねをかけている。がっしりした体格。日に焼けた四角い顔。実直そうな感じだ。とはいえ、自分としては、件のいきさつがあるので、印象はよくない。

それにしても、300番台が、おじさんの指定席だとは知らなかった。ヒトが、毎朝打つのを楽しみにしている台を、横取りしていたことになる。これは、相当に悪感情をもたれている。恨まれているかもしれない。でもちょうどよかった。300番台は、もう打たない。一昨日打った感じでは、台の調子が落ちている。これからは、ニアミスすることもないだろう。

おじさんに対する、冷ややかな感情は消えた。それどころか、謝りたいくらいだ。気分転換に、時々、おじさんの様子を見に行った。300番台は、やはり、出てない。昼過ぎに、2連荘したが、全部飲まれたようだ。二時半、おじさんの姿はなかった。朝からの大当たり回数は、2回。完全に、ハマリモードだ。今日も二、三万、負けている。いやいや、ヒトのことを心配している場合じゃない。ただいま、四連敗中。



2005-1  2005-2  2005-3  2005-4  2005-5  2005-6

2004  2005  2006  2007 2008 2009  2010  2011  2012



此岸からの風景 www.sekinetoshikazu.com since 2005

top photo essay gallery exhibition blog biography contact

Written by sekinetoshikazu in Kawagoe Japan.
Copyright(C)2018 Sekine Toshikazu All rights reserved
.

inserted by FC2 system