2005.7.2(土)曇り。蒸し暑い。入間川二十六番、飯能河原。九時から十一時。 以前、銅像は、道路の向こう側の公園にあった。背景は深い木立だった。そのときは、さほどいいロケーションとも思わなかった。が、今の場所とくらべれば、雲泥の差だ。それでも、いちおうは、カメラを向けた。アトムの、くりくりした大きな目が、虚ろだった。やはり、撮る気がしない。 ま、いいだろう。はなから、写真を撮る気はなかった。見るだけで十分だ。 市民会館沿いの道路を、ぶらぶら歩きだした。坂になっている。少し行くと信号。左に行けば、飯能の市街地。右は、名栗方面。横断歩道を渡る。民家の間の、細い道を行く。すぐに突き当り。さびれたみやげ物屋がある。左に曲がる。右手に、河原が見えてくる。 案の定、今年からは、河原への車の進入が、禁止されている。環境保全のためだ。そのせいか、河原の所々に、草が生えている。川の水も、心持ち、きれいになっているような気がする。それに、ゴミが落ちていない。 車で、大挙押し寄せ、水辺でバーベキュウをやる。直火だから、河原のあちこちに、黒い、焼け焦げができる。ゴミを散らかすのはもちろんのこと、鉄板なども、川で洗う。川を汚していることに、罪悪感がない。だから、立て看板などで注意を促しても、まったく効き目がない。そこで、行政も、最後の手段にでた。車を入れさせない。水辺まで、車で入れないとなれば、河原でバーベキュウをやる人間はいなくなる。 不便になったが、この方がよい。河原がこざっぱりした。とはいえ、辺りを見回しても、写真に撮るような景色は、どこにもない。いつ来ても、同じことだ。がっかりもしない。 細い仮橋を歩いて、対岸へ渡る。少し川沿いに歩くと、深い木立の中に、急な坂がある。うす暗い。登りきると、橋がある。割岩橋といって、歩行者専用の橋だ。その赤い橋の上から、河原を一望する。たいした景色でもないが、何枚か撮る。決まり事になっている。 駐車場に戻った。このまま、手ぶらで帰るつもりなのか。ペットボトルの冷水をグイと飲んだ。いいや、道路の向こう側、以前、アトムの銅像があった公園に、アジサイが、ちらほら咲いている。吸寄せられるように、歩きだした。
2005.7.3(日)曇り。入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。九時から十一時。 矢久橋の手前に車を止める。案内板とコンクリのテーブルがあるところだ。ちょっと広くなっている。橋の上を歩く。川カミの堰を見下ろす。三角形の波消しブロックが、乱雑だ。撮る気がしない。 橋を渡り終える。20mくらいかもしれない。戻るかたちで、今度は、川シモを見ながら歩く。下の、河川敷グランドは、少年野球専用。今日は、大きな声が聞こえる。上が黒の、おそろいのユニフォーム。まじめに練習している。目線を、上にあげる。飯能大橋が空を横切っている。何枚か撮る。 橋を、また戻る。左岸に渡る。左に曲がり、坂を登る。飯能大橋のたもとにでる。橋の両側に、比較的広い歩道がついている。川カミを撮り、次に川シモを撮る。この時間、陽が差していれば、川シモ側は、逆光。でも、この辺りでは、一番の眺めだ。ならば、午後になって、出なおしてくればいい。いつもそう思うのだが、ついつい面倒になってしまう。
2005.7.5(火)晴れのち曇り。入間川二十四番、加治橋から矢川橋。 久しぶりに、薄日が差している。しかも、さほど暑くない。朝から、気分がいい。寄り道をしながら、飯能方面へ向かった。 車の中で思った。ルートにより、入間川を三分する。中橋から飯能河原。初雁橋から中橋。川越橋から上江橋。入間川の全体像が、ようやく見えてきた。点と点とが結びつき、線となる。線と線とが交錯し、面となる。入間川流域の、さまざまな景色が、瞬時に、頭の中で点滅するようになった。気分は、さらによくなった。 加治橋の下をくぐった。車が二台とまっている。橋の下のホームレスは健在。大きなテーブルの前に、二人居る。視線をそらしたまま、通過。川に沿った川原道を行く。すぐに行き止まり。成木川との合流点。たいした景色じゃない。でも、いちおうは、ポイントだ。 以前、ここで合鴨と遭遇した。まさか、今日は居ないよな。 水辺に下りた。さきっちょがピンク色の、小さな花を見つけた。こいつは知っている。ミゾソバだ。しゃがみこんで、観察しだした。いや、ちがうな。花は似ているが、茎に、細いトゲがいっぱいついている。ママコノシリヌグイ。表情が和らいだ。面白い名前だ。 戻った。チラッと、ホームレスのアジトを見た。小柄で、坊主頭の奴が、こっちを見ている。シカトしてやり過ごす。橋のたもとの信号を突っ切り、川に沿って少し走る。成木川にかかる橋、新大橋を渡る。浄水場の間をぬけると、道が広くなる。右手に川があり、対岸の高い崖の上に、民家が行儀よく並んでいる。ここも、ポイント。車を止め、外に出る。 曇天。景色が、どうもよくない。川の色は、くすんだ灰色。草木の緑もおもったるい。撮る気になれない。右を見た。加治橋が小さい。対岸の崖に、土留めコンクリが、べたっと張り付いている。崩落を押さえ込んでいる。左を見た。矢川橋が小さい。急な崖には、雑草が繁茂している。とうてい、水際には下りていけない。と、オレンジ色の花が目に付いた。これは、ユリの一種だ。けさ、笠幡の田んぼの畔で見かけたやつだ。 近づくと、花は、ひとつふたつじゃない。しかも、蕾をつけた茎が、何十本もある。ひょっとしたら、斜面に群生しているのかもしれない。覗き込むようにして、道路際を歩きだした。道路には、数mおきに、桜の木が植わっている。そのまわりだけ、下草が刈られている。少し踏み込み、体を斜めにして、斜面を見通した。花は、いくらも咲いていない。とはいえ、細長い蕾が、たくさんある。うれしくなった。 斜面に、オレンジ色のユリの花が咲いている。しかも、群生している。思ってもみなかったことだ。撮るのを、なかばあきらめていた景色に、色が入った。花一輪、曇天の空によく似合う。ここは入間川右岸、加治橋と矢川橋との中間点。ポイントが、またひとつ増えた。
2005.7.7(木)曇り一時晴れ。番外、奥武蔵グリーンライン。九時から十二時。 小鹿野町の般若の丘。ラベンダーで、山の斜面が紫色になる。六月の末が、見頃だったはずだ。とはいえ、かなり遠い。眼の調子がよくなかったので、なかなか行く気になれなかった。もう、花は終わっているかもしれない。 国道299号を、走った。交通量が多い。ダンプが、いやけに目に付く。景色を見ながら、ゆっくり走りたいところだが、そうもいかない。50キロ以上だしているのに、後続車が、アオってくる。ハンドルを握りしめた。 運転に集中している。こんなことでいいのか。久しぶりの秩父路。のんびり行きたいものだ。そうだ、迂回して、顔振峠から、グリーンラインに入ろう。西吾野で、国道からそれた。山道を登り始める。 2003年の夏場。うだるような暑さ。昼寝をしに、グリーンラインまで、車を走らせた。日陰を見つけ、車を止める。窓をすこしあけ、携帯蚊取り線香をつける。少しうとうとするのだが、すぐに目が覚める。蒸し暑くてしょうがない。山の中でさえ、ゆっくり昼寝ができない。2003年。いやなことばかりがあった年だ。 顔振峠まで、ターボ全開、一気に登る。ほとんど貸切り状態の山道。登りきれば、あとは、多少起伏のある尾根道。幅は狭いが、ちゃんと舗装されている。ゆるゆると、不動茶屋まで、ドライブを楽しむ。いつ来ても、静かで、いいところだ。
2005.7.9(土)小雨。午後からほん降り。入間川歩行はお休み。 八時過ぎにアトリエを出た。今にも降り出しそうな空模様。河原で花でも撮ろう。八瀬大橋のたもとから、川原へ入った。 すぐに、黄色い花が目についた。低い護岸のヘリに咲いている。この時期、よく見かけるやつだ。マツヨイグサだと思うのだが、確信がない。車からおりて撮りだす。撮りながらおもい出した。この花は、何回も撮っている。だが、いまだに、撮ったという気がしない。 花形が、漏斗状だから、中を、上からのぞく込む形になる。しかし、めしべもおしべもよく見えない。かといって、真横からの姿も、ふにゃふにゃしている。絵にならない。いろいろ角度を変えて、見直すのだが、どうしても構図が決まらない。けっきょく、一枚も撮らずに、あきらめた。花に、魅力がない。少しだけ、自分に言い訳をした。 水辺のほうへ歩き出した。ノゲシだ。一株二株、黄色の花をいっぱいつけている。こけしのような形が特徴的。判別できる、数少ない山野草のひとつだ。とはいえ、あまり撮ったことはない。ことあるごとに見かけるので、目が慣れすぎている。いつでも撮れると、油断している。 いい機会だ。と、カメラを構えた。ファインダーをのぞきこむ。いやけに暗い。顔を上げる。霧雨だ。ノゲシに未練はない。引き上げよう。 そのあと、あんたは、どこへ行ったのか。すんなり、アトリエへ戻ったとは、どうしても思えない。床屋へ行った。それから、誘惑に負けて、パチンコ屋へ直行した。そうだろう、都合が悪くなれば、すぐに口をつぐむ。体裁のいいことばかり書くなよ。悪い癖だ。で、また負けたのか。う〜ん、70Kほど勝った。先日の負けを取り返した。ふん、悪運の強いやつだ。
2005.7.10(日)曇り時々晴れ。蒸し暑い。入間川二十三番、八高線鉄橋。九時から十二時。 阿岩橋のたもと、町営グランドの前に車を止める。今日は、鉄橋を撮ろう。ただし、空に色はない。時々、薄日が差すていど。よほど注意しないと、写真にはならない。 まずは、グランドの横から、雑草を足で掻き分け、水辺におりた。視界がない。すぐに戻る。今度は、グランドのヘリを歩く。向こうで、マウンテンバイクが何台も動いている。講習会のような感じ。かまわず、向かっていく。水辺におりる小道を目で探す。護岸が、雑草に覆われている。すぐに、人の通った跡。ちょっと迷ったが、行くことにする。滑らないように注意した。 水際に達した。水量が多い。ただし、なんかヘンな色。飴色だ。鉄橋を眺める。この位置取りでは、駄目。水際を歩く。鉄橋のすぐ近くまで来る。コンクリの橋脚を見上げる。この角度からは、何回となく撮っている。今日は、曇りのせいか、景色がおもい。何枚か撮ったが、気合が入らない。
クランド前の茶屋でひと休み。中のご主人に会釈をする。30分ほど雑談。そのうち、鉄橋の話になる。店には、古い時代の写真が、ぐるりと飾ってある。八高線が、まだ電化される前のものだ。みな、ご主人が撮ったものだという。 昭和28年に撮った、阿岩橋の写真もあった。むろん木橋だ。手前に写っている田んぼは、ご主人の家のものだった。なるほど、今この店が建っている辺りだ。いい写真ですね。率直に感想を言った。すると、奥から、飯能市の郷土資料集を取り出してきて、見せてくれた。そこに、この写真が載っている。あらためて、感心した。ほかにも、まだたくさん、昔の写真があるのだという。また今度の機会に、ということで店を後にした。 50年前以上の入間川の写真。郷愁を誘う。郷土史料の中に、たくさん残っているのかもしれない。それらの写真を、特別ゲストとして、入間川写真紀行にお招きしてみようか。新たな構想が、脳裏をかすめた。
2002.7.12(火)霧雨のち曇り。入間川歩行はお休み。 正直に書こう。誘惑に負けて、朝からパチンコ。三時すぎまで打って、6Kほど勝つ。 去年の11月のなかば、パチンコで120K勝った。歴史的大勝だった。それ日以来、パチンコにのめり込んだ。調べてみると、12月は、月の半分はパチンコ屋へ入り浸っている。とはいえ、年末に大敗し、さらに年が明けても、負けは続いた。すぐに、資金がつき、また、いつもの生活に戻った。 その間、「入間川写真紀行」は、完全に休筆状態だった。パチンコのことがいつも頭にあり、写真も文章も、何もかもがうわの空になった。多少気がとがめたが、衝動を抑えることはできなかった。 勝ち続けている間は、気分が、異常なほど高揚していた。反省も内省もない。自分に言い訳することもなかった。残り少ない人生、好きなようにやらせてくれ。完全に、開き直っていた。 ギャンブルは、勝っている間は楽しい。ただし、負けが込んでくると、これはもう地獄だ。冷静さを失い、一発逆転の大勝負に出る。むろん、それにも負けて、借金までする。今も昔も、賭け事で身を滅ぼす人間は、相当な数だろう。そこまで落ちたことはないが、先のことはわからない。パチンコを、人生から抹殺して生きていこう。何度思ったか知れない。 しばらくの間、入間川歩行は中止になるかもしれない。しかしながら、写真紀行を休筆する気にはなれない。かわりにといってはなんだが、パチンコ談議に花を咲かせようか。本意ではないが、書かないよりはマシだろう。長い目で見れば、これも寄り道の一種だ。
2005.7.14(木)曇り。入間川歩行はお休み。番外、小畔川宮下橋付近。八時半から九時。 いつもの時間にアトリエを出る。前々から気になっていた、笠幡のダリアを撮りに行く。農家の広い敷地内に咲いているのだが、歩道沿いなので、気楽にカメラを向けられる。 紫の大輪が、少し頭を垂れている。ファインダーをのぞく。見た目の色に近づけるために、露出を補正する。かなりアンダー。画面全体が暗い。今度は少しオーバー。明るさは確保できる。しかし、紫のダリアが、赤紫になっている。見た目とはかけ離れている。 紫の、ダリアの大輪。撮りたいと思ったのは、その色と形だ。形はともかく、色が再現できないのなら、写真に撮る意味はない。もっとも、あとで色調補正ができるかもしれない。いちおうは、撮ってみた。 補正するまでもなかった。どう贔屓目に見ても、セレクトするような画像じゃない。フォルダの中で眠ってもらおう。 パチンコ屋の開店待ちに、ちょこちょこっと撮った。気合が入っていない。ダリアに、非礼を詫びよう。
2005.7.16(土)曇り時々晴れ。蒸し暑い。番外、小畔川吉田橋付近。八時半から九時半。 小畔川。すぐ近くの川。入間川の支流。関越道付近で、北と南に別れる。北小畔川の水源は、宮沢湖。南小畔川は、飯能ゴルフ場辺りか。いま、あらためて、地図で確認しなおした。 昔は、川というよりは、裏の小川という風であった。しかし、大雨や台風のたびに氾濫したようだ。それが、四十年ほど前、流域に住宅団地ができたのを機に、大規模な河川工事が計画され、施工されていった。いまでは、かなりしっかりとした土手ができている。もっとも、全流域を踏破していないので、迂闊なことはいえない。 よく知っているのは、入間川との合流点、落合橋付近から、川越の笠幡辺りまでだ。狭いながら、土手の上を車で走ることができる。だが、車の入れないその先が、どうなっているのか、正直言って、まったく知らない。さほど興味のない場所を、わざわざ歩く気にはなれないのだ。 車で、ぴゅうっと行けるのなら、気晴らしに走ってもいい。ところが、地図で見る限りは無理だ。川に沿った道がない。それどころが、川に沿って歩くことすらできない感じだ。上流にいけばいくほど、川幅が狭まり、おそらくは、どぶ川になってしまう。どう考えても、景色のいい場所などない。一番身近な川なのに、えらくそっけない。 それでも、朝晩目にしている、裏手の小畔川には、多少の親近感がある。いつかは、写真に撮ろう。
2005.7.17(日)曇りのち晴れ。梅雨明け間近。蒸し暑い。入間川二十二番、阿須運動公園。九時から十一時。 仏子の中橋で寄り道。橋の上から、川カミを撮る。運動クランドでは野球、テニス。河原ではデイキャンプ。それぞれの休日を楽しんでいる。 少し走る。阿須の運動公園の駐車場に入る。暑いせいか、さすがに、子供公園の人影はまばら。しかしそれにしては、車がたくさん止まっている。なるほど、脇のテニスコートが大賑わい。それに、遊歩道にも、サイクリング野郎が大勢居る。ひっきりなしに、犬の散歩やジョギング。釣り人。さらには、対岸の河原に、たくさんのテントやタープ。子供たちが、川へ入って、歓声を上げている。曇天の蒸し暑い中、やけに人が出ている。 護岸に立った。流れが大きく右に曲がっていく。目の先に、阿岩橋、八高線鉄橋、山の中腹の建物。天気のいい日には、秩父の山並みが、手に取るように見える。だが今日は駄目だ。何もかもが、どんよりしている。景色が死んでいる。 川シモのほうへ歩き出した。川面に、大学の建物が映るポイントがある。せめて、あそこまでは歩こう。護岸のヘリが歩きづらい。雑草地帯をまたいで、遊歩道へ移動する。と、一面のアカツメ草。歩道が、その間をぬって続いている。こんな光景ははじめてだ。さらに行くと、黄色のハルシャギクが所々に群れている。白い花もある。ハルジオンもがんばって咲いている。三種の花が、見事に調和している。いや、もっとある。地面に目を凝らすと、ピンク色した、小さなネジリ花。これはもう、天然のお花畑だ。 何も期待していなかったぶん、驚きが大きい。素直によろこんでいる。しかも、今日は、草花を撮るには、絶好の明かりだ。どっかと座り込み、撮りだした。
2005.7.19(火)晴れ。暑い。入間川歩行はお休み。番外、イチプラ霞、十時から二時。 八時十五分、アトリエを出る。今日はさすがに、開店待ちのわずかな時間に、写真撮影をする気にはなれない。その辺を一回りして、時間をつぶす。 3000発ほど打ち込んで、5箱だす。しかし、あっさり3箱飲まれる。終了。選んだ台の選択に、さほど間違いはなかった。だが、いかんせん、回りが悪い。一箱で120回転以下。これでは勝負にならない。ひどい話だ。 火曜日は、回収日。もう行かない。これで、パチンコデーは木曜と土曜の、週二日になる。もっとも、雨の日は、別だ。持ち金20Kのルールを守り、せいぜい楽しむことだ。気晴らし、気晴らし。
2005.7.21(木)晴れ。本格的な夏。朝から暑い。入間川歩行はお休み。番外、イチプラ霞。十時から四時半。 一のつく日はプラザデー。パチンコ屋の宣伝に乗せられ、今日も朝からパチンコ。角台の300番に座る。前日は14回、前前日は21回でている。データグラフから察するに、前日はほとんど飲まれている。終わりは、560回転。狙い目だ。2000発打ちこんで、確変をひく。7連荘。四箱飲まれるが、その後、断続的に13回出す。まだいけそうな気もしたが、体力的に限界。二箱飲まれて終了。65Kの勝ち。 今月になって、五勝一敗。ほとんど負け知らず。データグラフの読みが当たっている。前日の大当り回数が、20回以下、しかも、出たり入ったりで、ほとんど飲まれた台。500回くらい回っていれば、なおいい。それを、角台中心に探す。ほかにも、出そうな台を記憶しておき、あとで様子を見に行く。予想が的中していることが多い。パチンコ開眼!いやぁ〜、たまたまじゃないの。 入間川歩行も写真撮影もサボっている。報告することがないから、パチンコのことを書いている。気がひける。バカを世界に公開しているわけだ。それじゃ、書かなければいい。「入間川写真紀行」は、一時休筆。宣言して、パチンコに専念すればいい。 「入間川写真紀行」の執筆は、やめるわけにはいかない。中断することもできない。記述し、報告することが、生きる「よすが」となっている。どれほど、くだらない内容でも、唯一の人生。誰のために、何のために、生の実相を、隠蔽するのか。悪いのは、ギャンブルじゃない、自分を偽ることだ。パチンコの勝ち負けを、正々堂々、報告しなさい。
2005.7.23(土)曇りのち晴れ。比較的涼しい。入間川歩行はお休み。番外、小畔川吉田橋付近の土手。八時半から九時半。 土手の花壇。オシロイバナを撮る。紅色の花が多い中、黄色がある。よく見ると、紅が少し混ざっている。交配のとき、なにか間違いがあったようだ。白と紅のまだらは、よく目にするが、黄色に紅は、はじめてだ。それにしても、色合いがよくない。自然の造化も、たまには失敗する。 オシロイバナも、気にかかる花のひとつだ。生まれ育った前野町の三軒長屋に咲いていた。ほかにも、ムラサキツユクサ、アジサイ、キショウブなどがあった。どれもみな、繁殖力が強い。手入れなどしなくても、毎年、見事な花を咲かせていた。 当時は、バラが流行っていた。玄関先に白いアーチをつくり、赤いバラを這わせる。柵にも、あふれんばかりに咲いている。自分の家にくらべれば、はるかに垢抜けている。うらやましい。腹いせ、というほどでもない。学校の帰り道、バラのトゲを失敬して、鼻につけて遊んだりした。 そんな家の一軒に、初恋の女の子が住んでいた。お母さんは学校の先生で、その子も勉強ができた。小柄だが、額の秀でた、目のパッチリした美人だった。ただし、母子家庭だった。離婚したのか、それとも、お父さんは病死したのか、はっきりしたことはわからない。そのせいか、時々、陰りをみせる。あるとき、その子が、お母さんと連れ立って、出かけるのを見た。日曜の朝、公園で野球の練習をした帰りだ。まっすぐに前を向いた、気丈そうなお母さんに、うつむきながら寄り添っている。楽しそうな感じじゃない。 彼女の家の前を通りすぎた。見事なバラのアーチだ。その向こうに玄関がある。ふるびた茶色のドアに、さびたノブがついている。シンと静まりかえっている。二、三歩入りこみ、庭を覗いたのかもしれない。一面、真っ赤なバラが咲き乱れていたような気がする。
2005.7.24(日)曇り。比較的涼しい。入間川二十一番、中橋から上橋。九時から十一時。 仏子の中橋からの眺めは、入間市景観50選に選ばれている。このことは前にも書いた。広い河原の向こうに、西武線の鉄橋が見える。時々、黄色の電車が通る。よく目立つ。天気のいい日には、秩父の山並みがくっきり見える。だが今日は曇天、手前の飯能の山すら見えない。河原の、縞の大きなテントが目に付くだけだ。若者達のデイキャンプだ。 橋を渡った。川沿いの住宅団地に車を止め、右岸の土手に入り込んだ。舗装された、桜並木の散歩道だ。桜の時期には、人でごった返す。今は、日陰にアジサイが咲いている。はっとして、後ろを振り返った。ずうっと植わっている。はじめて気がついた。なるほどね。アジサイ場を、またひとつ見つけた。ほかにも、縁に、いろいろな花が咲いている。ちょっとしたお花畑になっている。誰かが、丹精している。 花を育てたことがない。土いじりが嫌いだ。山野草には多少興味はあるが、園芸種には、まるっきり関心がない。写真に撮ることすらしない。ただし、見るのは好きだ。色が綺麗だ。人の咲かせた花を、タダで楽しんでいる。しかし、時として、いやな思いをすることもある。「花を取らないでください」。と、掲文。人が丹精を込めて咲かせた花を、無断で取っていく人間が居る。子供のいたずらじゃない。花泥棒だ。 花を育てる人間が居る。一方で、花を盗む人間が居る。そして、自分のように、ただただ、花を眺めている人間も居る。人間は花が好きだ。つくづく思った。そういえば、死出の送りには、必ず花だ。古からの風習だ。 少し歩いた。土手の散歩道に、西武線の鉄橋が横切っている。高さは1.6m。少し腰をかがめ、頭を低くする。下を通り抜けると、お目当ての、レンガ鉄橋が見えた。変わりない。 周りを丹念に歩いた。いろいろな角度から、遺構となったレンガ橋を眺めた。いまだに、決定的な構図が見当たらない。上橋を渡り、対岸へ行った。大きなケヤキが何本もある。その間から、何枚か撮った。
河原におり立った。日陰で涼しい。崖からは、清水が滴り落ちている。川へと向き直る。レンガ橋脚が、ずらっと並んでいる。おそらく、この眺めが最高だろう。ただし、逆光。もっとも、今日は曇天だから、何とかなるんじゃないの。確信はないが、もう撮るしかない。モニタリングを繰り返しながら、かなり粘った。しかしそれでも、空が、白く飛んでしまう。ひと息入れた。みると、水際に、小さな花が咲いている。しゃがみこんで、撮りだした。
2005.7.26(火)雨。台風が接近中。夜には関東に上陸。入間川歩行はお休み。午前中は、アトリエでHP(写真帳4)の制作。 午後。雨の中、外出。電車に乗り、お茶の水の眼科まで行く。案の定、台風のせいで、空いている。いくらも待たないで、診察。視力がでない。よくなった感じがしていたので、少し気落ちする。ま、そんなことより、夕方には、台風が上陸するらしい。急いで帰ろう。ちょうど、雨も小ぶりになった。 東京へ出るときは、必ず東上線を使う。駅から電車に乗ると、すぐに入間川の鉄橋を渡ることになる。今日も、行きに、電車の窓からチラッと見た。濁流がすごい。気になっていたので、帰りは、しっかり見た。もっとすごくなっている。河川敷グランドが水浸し。車が二台取り残されている。とはいえ、溢れるほどじゃない。背後には、高い土手がひかえている。 一年に何回か、入間川が凶暴になる。そんなときは、土手の上から眺めているにかぎる。けっして、近寄らない。万が一にも、足を滑らせ、濁流に飲まれたら、それこそ一巻の終わりだ。洒落にならない。というか、臆病なんだ。 あくる日、水の引いた頃、おそるおそる川原へ侵入する。水際の草が、泥をかぶって、倒れている。濁った流れが、護岸すれすれまできている。まだまだ水量は多い。深入りしないで、カメラを構える。どうしても、濁流を入れたくなる。しかし、何度撮っても、濁流の量感は撮れない。ほとんどあきらめている。記念写真でいい。 台風一過。明日は、何とか時間をつくって、入間川に出たいものだ。ところが、正直なところ、そういう気になれないでいる。気持ちが、パチンコに傾いている。困ったものだ。
2005.7.30(土)晴れ。暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時。 六月、七月と、スカッと晴れた日はいくらもない。今日も、薄日は差しているが、全体的に雲が多く、青空はない。もっとも、最近は、パチンコばかりやっているから、天気のことは関係ない。むしろ、暑い中、入間川へ出なくてもいいので、ほっとしている。 去年の今頃は、蒸し暑い川原を、奥歯を噛みしめながら歩いていた。八月になると、今度はカンカン照りの中、決死の覚悟で、入間川へ出て行った。天候に関係なく、火、木、土、日は、入間川歩行を続けた。写真を撮り、「入間川写真紀行」を書きぬいた。 無理をしていたのだろう。秋口になり、急に調子が落ちた。なんとなくやる気が出ない。十一月も半ば、とうとうパチンコにひっかかった。十二月は、月の半分、パチンコ屋へ入り浸っていた。資金が底をつくまでは、入間川へ出る気がしなかった。 入間川歩行、写真、文章。さほど好きなことではないのかもしれない。その証拠に、またパチンコにひっかかっている。涼しいところで、遊んでいるほうがいい。たしかにそうだ。だが、ふと想う。むなしい。人生を浪費している。勝っても負けても、ギャンブルの後には、何も残らない。世界が、よそよそしい。 入間川歩行だけでは、気が狂いそうだ。かといって、パチンコだけでは、なお、むなしい。その間をとって、何とか生き延びたいと思っている。可もなく不可もない、中途半端な人生。多少の抵抗はあるが、第三の道を行くしかない。
2005.7.31(日)晴れ。午後からは陽射しが強くなる。暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から三時。 今日も、朝からパチンコ。あれ、ちょっと待ってくれ。パチンコは、木、土の、週二日と決めたはずだ。それに、雨も降っていない。たしかにそうだ。だが、ルールを破ったのには、それなりのわけがある。言い訳をさせてくれ。 昨日は、増台の361番を狙った。前日、かなりハマっている。ということは、見せ台として、そろそろ爆発する。カンが働いた。朝一番で、台を確保。300回ほど回っている。打ち出す。回りは、さほど悪くない。ただし、リーチが全然かからない。いやな感じ。データグラフを何回も見ながら、首をかしげる。大ハマリが続いているのかもしれない。だとすると、あと500回以上は回さなくちゃならない。迷った。思い切って、ななめ後ろの399番に移った。データグラフの読みからすれば、こちらは、すぐにも出そうな感じ。 361番には、すぐに、どこかの親父が座った。少したち、ふと後ろを振り返った。魚群が流れている。えっ、と息が止まった。しかし、ハズレ。安堵した。やっぱり、粘らないでよかった。朝イチで魚群を外したら、もうやる気がしない。 安心して、399番を打ち続けた。15Kほど打ち込んで、魚群。しかし、あっさり逃す。昨日からの累計で、1000回転近く回っている。もう駄目だ。席をたつ。本来なら、ここで終了のはずだ。ところが、そうもいかない。あっちこっち、動き回る。「大海」以外のシマで打つ。サメのノーマルで二回出すが、すべて飲まれる。その間にも、361番が気になる。ちょくちょく、のぞきにいく。十二時過ぎ、さっきの親父が単発を引く。すぐに飲まれ、ハマっている。そのうち、一瞬、台が空になった。しかし、それを見ながら、座ろうとはしなかった。 361番は、そのあと、すぐに大爆発した。見る見るうちに、ドル箱が増えていった。最終的には、25連荘。それを、指をくわえながら見ていた。もっとも、こっちも397番で10箱出している。今日の負けは取り返している。さほど悔しくはない。朝イチで、魚群が逃げた台だ。所詮、俺には取れなかった。すこし強がっている。 逃した魚は大きい。昨日のことが、今日の負けを呼び込んでいる。二日間、大ハマりしている321番台。日曜のプラザデーだから、見せ台として、大爆発する。朝から、勝負をかけた。しかしながら、見事に返り討ち。三時まで打って、三回しか出せない。27Kの負け。 教訓。ルールを守って、楽しく遊べ。気を取り直せ。
2005.8.2(火)晴れ。雲が多い。時々青空が見える。入間川二十番、新豊水橋。十時から十二時。 九時、保健センターへ用足し。すぐに終わる。駐車場から車をだす。と、裏手の畑に、小ぶりのひまわりが咲いている。寄り道しよう。久しぶりの写真撮影。我慢できないほどの暑さではない。ついでだ、田んぼを見ながら、踏み切りのほうへ歩き出す。青々とした稲が、元気よく、ぐんぐん育っている。なるほど、これも入間川流域の風景だ。
生コン工場の脇を抜け、河原へ入った。何台か車がとまっている。子供が、川の中に入って、水遊びをしている。水際まで車を寄せ、外にでた。暑い。それよりも、写真にならない景色に、がっくりしている。来るたびに、損をしたような気になる。舌打ちしながら、流れのそばまで行った。おっ、水がきれいだ。それに、川鵜よけのスズランテープもない。ゴミも焼け焦げもない。河原が、こざっぱりしている。対岸の、辛気臭い林も、今日は、さほど気にならない。しかしあとで考えたら、河原がきれいなのは、先日の台風のおかげだ。人間どもの悪行を、天が洗い流してくれた。 川沿いの、ガタガタ道を、川シモへむかった。すぐに、新豊水橋。並行して、無粋な圏央道。殺伐とした眺めだ。対岸の橋の下を、伸び上がってみた。茂みの中に、ホールレスの小屋があったはずだ。いや、雰囲気がちがう。人の気配がしない。護岸工事も中断されている。重機が斜めにとまっている。静かだ。背中のやせた住人は、どこかへ追い払われたにちがいない。 二本の大きな橋の下をくぐる。回り込むような形で、反対側の道に出る。また橋の下。横をみると、奥の深い空間がある。不法占拠されている。廃車や廃棄物であふれかえっている。ところが、出入り口に、ま新しいフェンスがはってある。鍵までかかっている。地域住民の告発で、行政が重い腰をやっと上げた。文字通り、不法占拠者を締め出したわけだ。中を見ながら、さらにゆっくり走る。人の気配はない。皮膚病にかかった老犬もいない。ゴミはそのまま。だって、廃車だけでも何十台もある。すぐに、処分できるとも思えない。静かだ。不穏な雰囲気がなくなっている。 川鵜、ホームレス、不法占拠者と皮膚病の老犬、厄介者たちは、みなどこかへ行ってしまった。来るたびに、殺風景な場所が、少しずつ姿を変えている。安心して歩けるようになったのはいい。だが、依然として、撮りたいような景色はない。 新豊水橋を渡った。下ったところの信号を左折。細い道。霊園の中へ入っていく感じ。ところが、道がずうっと続いている。左側は木立、右側が霊園だ。はじめて通る道で、どこへ出るのかわからない。道なりにすこし行くと、木立も霊園もきれ、住宅の間を行くことになる。先ほど、河原から見上げた、崖の上のお屋敷の裏側にいるわけだ。 なおもたらたら行く。一般道に出た。すぐに中橋北の信号。左折。また、すぐ左折。住宅の間の狭い道を、うねうね走る。方位としては、仏子の文化センターの対岸。何もないのはわかっている。ついでだ。川沿いの道を車で流す。花火工場があり、その奥に公園。どん詰まりは、芝生のマレットゴルフ場。途中、注意書きの看板がいたるところにある。神経質なほどだ。いつ来ても、いやな感じ。車から降りることもしない。回転。何のために、わざわざこんな所に入り込んできたのか、自分でもよくわからない。 中橋を渡る。そのまままっすぐ行く。西武線の踏切りを渡り、急な坂道を登っていく。右手の山の中には武蔵野音大、左手の丘の中腹には、国民宿舎入間グリーンロッジがある。緑色の円錐形の屋根が、遠くからもよく見える。坂の途中の信号を左折。いったい、どこへ行こうとしているのか。 仏子の河原に立つ。前は高い崖、後ろは丘陵。その背後の丘の中腹に、家が点在している。ということは、あの位置からなら、入間川を俯瞰できるはずだ。ところが、何度か試みたが、丘に登っていく道が、見つからない。家があるということは、車の通れる道があるはずだ。今探しているのは、その、丘の中腹にいたる道だ。 左手の小高い木立を見ながら走る。この向こう側に出たい。見当をつけ、左に曲がる。すぐに行き止まり。老人ホームだ。戻る。今度は間違いない、道が、木立の間をぬっていく。少しの間、視界のない林の中を走る。と、出たところは、圏央道に架かる横断橋だ。眺めがすごくいい。おもわず車を止め、外に出た。ずうっと下のほうに、新豊水橋が見える。道は、そこから登りになり、こんもりとした木立の中に消えていく。自分はいつも、あの向こうから、白いジムニーを駆って現れるわけだ。写真を何枚か撮った。 横断橋を渡り、圏央道沿いに、坂を下った。下りきったところに西武線の踏み切りがある。おりしも、カンカン鳴って、遮断機が下りた。ちょっと考えた。あとはもう、あの道を行くしかない。踏み切りを渡り、県道を、左に曲る。すぐに信号。右折すれば、新豊水橋の側道。しかし、そっちには行かないで、左斜めの道に入る。細い道。カンを働かせ、丘の斜面へ向かう道を探す。狭いところで、左逆Vを切り、線路を渡る。えらく急な斜面にぶつかる。登る。家が並んでいる。はは〜ん、ここだ。民家に沿って、右に曲がる。かろうじて、入間川が見える。さらに行く。行き止まり。バックで戻る。もっと行くか。見上げるほどの斜面。上までいって、回転する場所がなかったら、バックで下りてこなくちゃならない。急に怖気づき、引き返す。写真どころじゃない。 帰り道、車を走らせながら考えた。丘の中腹に、住宅が並んでいる。好きな風景だ。ところが、実際は、とんでもない所だ。生活するのに、不便極まりない。それに、あんなところで、平日、写真を撮っていたら、間違いなく不審者だと思われる。くわばら、くわばら、誤解されるような行動は慎もう。 夜中にむっくり起き上がった。入間川の背後にある、あの丘の名前を確認したい。加治丘陵だと思うのだが、確信がない。ネットで検索しだした。ところが、そのまえに、入間川流域の、航空写真にひっかかった。画質が悪いので、はっきり見えない。それでも、流れを空中から俯瞰できる。クリックしながら、入間川をさかのぼる。今日、自分が、立ち入った領域を、地図上で確認する。深い緑で覆われている。いつの日か、ヘリに乗って、上空から入間川を写真に撮る。夢のようなことを、想った。
2005.8.4(木)晴れ。雲が多い。朝から猛烈に暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時半。 木曜、土曜はパチンコ。そう決めたので、入間川歩行をサボっていることに、なんの罪悪感も感じなくなった。もっとも、この暑さだ。入間川に出たところで、川原を歩くことはできない。降り注ぐ紫外線の中、正直言って、写真撮影どころじゃない。それでも、去年は、夏場の暑い時期にこまめに歩いている。やる気があった。それに、逃げ場もなかった。入間川に出るしかなかったのだ。 今年の夏は、さいわいにも、逃げ場ができた。いや、逃げ場を作った、というほうが正確だ。朝から、涼しいところで、遊んでいる。大負けしない工夫をして、パチンコを楽しんでいる。 今朝は、300番に座った。前日8回、前々日25回出ている。繰越回転数は330回。少し少ないような気もしたが、データグラフの読みから、大ハマりはないと判断した。1500発打ち込んで、魚群。しかも、サムが登場。確変、確定。朝から気分がいい。だが、あっさりワンセットで終了。とたんに、雲行きが怪しくなる。サムが出ると、どうも駄目だ。のびない。予感が的中。二箱、あっさり飲まれる。ここは我慢。魚群が出るまで粘る。さらに1000発打ち込む。500回転くらいで、魚群。とはいえ、サメの単発。ますますいやな予感。あっという間に一箱飲まれる。腹を決める。魚群が出るまでやる。運良く、300回転で魚群、確変。ワンセットで終わるも、またすぐ魚群、確変。以後、7連荘する。全部で、九箱。これで余裕。しかしそのあとは、いがいにのびない。三箱飲まれたあとに、クラゲ・魚群の確変ワンセットのみ。さらに一箱飲まれ、とうとう、クラゲ・魚群を逃す。引き時と判断。終了。30Kのプラス。 今日は、十分遊んだ。かなり満足している。ただし、ひっかかることが、ひとつだけある。先週の日曜に負けた321番台。昨日、40回も出ている。逆算すると、自分が狙った日から、二日後に大爆発。データグラフを、完全に読み間違えたわけだ。教訓、二日続けてハマってる台は打つな。それにしても、四十回も出ている。自分以外にも、悔しがっている奴が何人もいるはずだ。逃した魚は大きい。 入間川写真紀行が、パチンコ日誌になっている。なに、かまうものか。完全に開き直っている。いや、そうとばかりもいえない。パチンコという毒で、脳細胞が活性化されている。写真の枚数は減ったが、文章は長くなった。書くことが苦にならない。もっといえば、生活に張り合いがでた。息抜き、楽しみを見つけたわけで、鬱々としているよりはましだ。しかしそれが、パチンコというのが、我ながら情けない。
2005.8.6(土)晴れ。朝から、ものすごく暑い。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から四時半。 昔、心理学の本を読み散らしたことがある。その中に、「補償」という概念があった。たとえば、大金持ちが貧民に寄付をする。たとえば、企業が芸術家を援助する。儲けた金を、独り占めしていると、なにを言われるかわからない。多少なりとも、社会に還元して、非難の矛先をかわす。そこまで打算的ではないだろうが、贖罪の意識が働いていることはたしかだ。 悪いことをしているという意識がある。しかし、悪行は改められない。そんな時、善行を施したくなる。罪滅ぼし、といわけだ。はっきり言って、偽善である。悪いと思っているのなら、即、やめるべきだ。正論だが、若い。今は、そう思うようになってしまった。これを、「転向」という。 パチンコなどしないほうがいい。にもかかわらず、かなり楽しんでいる。罪滅ぼしに、書く必要のないことまで書いている。これを、「補償」という。しかしながら、書くことすらしなくなったら、行き着く先は、地獄だ。なかば無意識のうちに、儲けた金を、すべて使い果たそうとする。大勝ちのあと、必ず大負けする。何十回も繰り返していることだ。 転向した中年は、もう少し、したたかであっていい。たしかに、補償という心理的な機制が働いている。しかし、一方で、駄文は、「死の衝動」に対峙している。実存にとっては、根拠のある文章だ。沈黙よりは饒舌を!書き続けろ。
2005.8.7(日)晴れのち曇り。猛烈に暑い。入間川歩行はお休み。自治会の用足し。十時から十一時。あとは、HP(哲学帳5)の制作。 以前書いた、哲学帳(1〜48)に手を入れ、改稿哲学帳(抄)として、HPに掲載しようとしている。全七項のうち、今日は、第五項を仕上げた。あからさまに、プライバシーに抵触する文言は、伏字にした。とはいえ、伏字にしてまで、掲載する価値のある文章なのか、少し迷った。 哲学帳5は、2002年から2003年にかけての、人生最悪の時期に書かれた文章だ。それなのに、正直言って、拙文。このままでは、とても表に出せない。文意を損なわない程度に、手を入れる。けっか、文章が、かなり短くなってしまった。もっとも、今では、文章の長短は、問題にならない。長ければ良い、というわけでもないし、短いから駄目、というわけでもない。書きたいことが、ちゃんと書けていればいい。文飾はいらない。 あの時期、精神的に、かなり落ち込んでいた。書くことが山ほどあったはずなのに、あたり障りのないことばかり書いている。どこか、うわの空だ。哲学帳という枠組みに縛られている。本当のことが言えない、書けなかった。 哲学帳は、2002年の6月から、2003年の7月まで、断続的に書き続けられた。全部で48項。苦しい時期だった。演劇を断念し、写真と文章に活路を見出そうとしていた。拙い文言が、人生の岐路を垣間見せてくれる。記念として、HPに永久保存したい。
2005.8.9(火)晴れ。入間川歩行はお休み。イチプラ霞、十時から三時。 今日も朝からパチンコ。自分で決めた遊びのルールを、ことごとく破る。そのせいか、62Kの大負け。内容は記述しない。おもいだすと不快。それでなくても、極度の自己嫌悪。眼の調子もよくない。このへんで、手を引こうかとおもう。 女にフラれたときもそうだった。タバコをやめたときもそうだった。それなしで、生きていけるのか、不安になった。今もそうだ。人生がつまらなく感じられる。たかがパチンコ、とおもう。しかし、ギャンブルの誘惑を断ち切るのは、好きな女と別れるくらいつらい。まじめな話しだ。 一時の狂騒がウソのようだ。勝っている間は、気分が高揚していた。パチンコが、これからの人生の一部になるような気がした。ところが、たった一度の大負けで、気分が、がらりと変わった。もう勝てる気がしない。むなしい。このまま、パチンコを続ければ、十年もつ視力が、五年しかもたない。左目をすり減らしている。視力とパチンコ。自分は、視力を選ぶ。 健康、入間川歩行、写真と文章。それに、内省。また、静かな生活に戻ろう。
2005.8.13(土)曇り。蒸し暑い。入間川二十番、新豊水橋。九時から十二時。
このあと、右岸、鍵山の土手下の道を流す。浄水場の脇までいき、護岸際に車を止める。そこからは徒歩で、桜並木の土手を歩く。休憩所まで行き、引き返す。蒸し暑い曇天、スカッとした写真にはならない。だが、要所要所で記念写真を撮る。シャッターを押すことで、風景を銘記している。最近では、六十キロ以上ある入間川の流れを、瞬時に、思い描くことができる。点が線になった。 車に戻ってきた。橋を渡り、左岸へ移動した。流れに沿った川原道を、ゆっくり車で流す。脇の産廃の山がひときわ大きくなっている。見上げるような高さだ。さらに行く。車が何台もとまっている。県外ナンバーもある。釣り人だ。岸に、太い竿が何本も並んでいる。しかし、以前のような不穏な雰囲気はない。どうやら、ホームレス達は一掃されたようだ。 そう、ちょうど一年前だ。行き止まりの崖の下が、ホームレスの巣窟とは知らずに、うっかり足を踏み入れた。通り過ぎただけだが、いやな気分になった。危険地帯。もう二度と来ることもないだろう。それがどういうわけか、健全な釣り場にかわっている。護岸工事の際、ホームレス達の廃車は撤去されたのだろう。ねぐらを失ったわけで、否応なしにアジトから撤収したにちがいない。ざまあみろ、とまでは思わないが、同情する気にはなれない。 行き止まりの、ちょっと広くなった場所に、車が一台とまっている。中で、釣り人らしきおっさんが、本を読んでいる。外に出る。護岸の上を歩いて、行けるところまで行った。途中、崖下のアジトの前で立ち止まった。ゴミが散乱している。が、人の気配はない。以前置いてあったテーブルや釣竿もない。ただし、緑色した、回りにコケの生えた大きなポリバケツは、そのままだ。崖からの清水を、トヨをつかって溜めている。ふたつ、みっつ穴があいているので、そこから、水が勢いよく噴き出している。その水が、崖と護岸との間にたまっている。大きな水溜りだ。みると、隅っこほうに鯉が何匹かいる。かなり大きい。しかも元気だ。バシャバシャしている。川から釣り上げた鯉を、リリースしないで、ここで飼っているのかもしれない。 鯉たちは、物音に驚き、水際の草の中に身を潜めている。からだが半分見えている。大きな、紫色した尾びれが、ゆらゆら動いている。水が、驚くほど澄んでいた。 護岸を、さらに歩いた。もうこれ以上は行けない。立ち止まり、下流を眺めた。せき止められた流れが、曇天の空の下、鈍く光っている。左端に、堰の監視塔。彼方には、豊水橋。車が走っている。ホームレス達が一掃された以上、いつでも、この景色を楽しむことができる。景観ポイントが、またひとつ増えた。 引き返した。車に乗り、今来た川原道を戻り始めた。しかし、すぐに止まった。もう一ヶ所、ポイントがある。上流の眺めだ。正面に、小高い丘が見える。その下に、マンションや住宅が密集している。先ほど歩いた、鍵山の土手道も見える。浄水場あたりでは、相変わらず、釣りをしている。人間が、ゴマ粒ほどだ。曇天、しかも逆光ぎみ。去年見た光景とほとんど変わらない。何もかもが、ぼんやりとしている。 引き上げ。丸太の柵を抜ける。と、すぐに、右へ入る道がある。いやな感じがしたので、去年は、入り込むのをやめた。ホームレスも一掃されたことだし、行ってみようか。ハンドルを切る。少し坂になっている。道沿いには、資材置き場、バラック立ての工場、家庭菜園。雑然としている。不穏な感じはしないが、やはり、なにか雰囲気がよくない。いったい、どこへ通じているのか。黄色の縞々の車止めが見えた。ゆっくり通り抜ける。くらい坂。前方に、なにやら、見覚えのある建物。あっ、これは、崖の上の廃院だ。 崖のふちを走る一般道に、モルタル作りの、かなり大きな病院がある。一目で、廃院とわかる。うっそうとした木立に囲まれ、昼間でも、ここだけが薄暗い。脇を通るたびに、気味悪がっていた。その廃院の下から這い上がってきたような感じだ。横を通り抜けたとき、チラッと見た。閉ざされた窓ガラスの向こうに、薬品のビンが並んでいる。一気に坂を走り抜けた。すぐに、上の一般道に出た。なるほど、ここに出るのか。入間川へ入り込む道を、またひとつ発見したわけだ。といっても、あまり使いたくない道だ。
2005.8.14(日)晴れ。薄い雲がかかっている。陽射しは強い。カッとした暑さ。入間川歩行はお休み。番外、吉見百穴観光。十時から三時半。 久しぶりに、娘達と観光。吉見百穴は、彼女達が子供の頃、一緒に来たことがある。もっとも、さらに昔、自分は、小学校の遠足で来ている。その頃は、古代人の住居と教えられていた。それが、かなり前に、お墓に変更された。子供の教科書に、ちゃんと記載されていた。以来、この件については、なんとなく釈然としない。 学術的な見解が、時を経て変化する。よくあることだ。研究が深められたわけで、素人が、とやかく言う筋合いのものではない。頭では理解できる。しかしながら、心に、ひっかかるものがある。はい、そうですか、と素直になれない。 教科書で、百穴の由来を、図解入りで教わった。その、古代人の住居跡を、今度の遠足で見に行く。社会科見学だ。ぼこぼこと穴のあいた山を見て、おそらくは、興奮したのだろう。急な斜面を走り回りながら、穴を、ひとつひとつのぞいたにちがいない。 教科書の学術的見解は、より妥当なものに書き換えられる。しかしながら、それによって、かけがえのない思い出が、台無しにされることもある。 山に、ぼこぼことあいた穴を眺めながら、古代人の生活を想った。歴史を目の当たりにして、無垢な好奇心が、おののいている。いまさら、変更などしたくない。
2005.8.16(火)曇り時々雨。入間川歩行はお休み。介護のため、自宅待機。
2005.8.18(木)晴れ。薄い雲がかかっている。ところどころに、うっすらと青空。入間川十九番、笹井の堰。九時から十二時。 豊水橋際に、閉店したパチンコ屋がある。その駐車場の中を通りぬけると、流れに沿った川原道に出る。右に曲がる。ほとんど一直線のガタガタ道。笹井の堰まで続いているはずだ。左手は、背の高い草。右手は、ほそながい公園。その向こうには、低い土手。だから、視界がほとんどない。無駄走りしているようだ。 堰が見えてきた。道が、すこし右に曲がる。ちょっとした坂。上りきったところに、真新しい車止めが設置されている。幅が狭いので、通り抜けるのに神経を使った。前来たときに、こんなものはなかった。不法投棄車の侵入を阻んでいるのか。しかし、豊水橋際からは、やすやす入り込めるわけで、なんとなく釈然としない。 堰の横に車を止める。暑いが、外に出よう。何回も来ている。それなのに、まともな写真が一枚もない。水流や堤防に気を取られているから、駄目なのかもしれない。たまには、監視塔を画面に入れてみよう。かなり粘ったが、撮れた気がしない。 移動。県道に出る。根岸の交差点を右折。豊水橋を渡る。回り込むようにして、橋の下におりる。運動公園沿いに走り、堰へと通じる川原道まで行く。だが、入り口に、スクーターが一台とまっている。あたりに人影はない。ということは、この先の堰に居るということだ。なんとなく、いやな感じ。いちおう車から出たが、行く気になれない。と、脇の護岸が、盛り上がっている。1mほどの土手ができている。これは、すぐに理解できた。このあたりの護岸は低い。ひとたび増水すれば、運動公園は、あっという間に水浸し。濁流を阻止する応急処置だ。ためにしに、上ってみよう。なるほど、少し高いだけだが、見通しがいい。堰の監視塔が真正面に見える。何枚か撮る。・・・あとは省略。
2005.8.20(土)晴れ。陽射しが強い。カッとした暑さ。入間川十八番、豊水橋。九時から十一時。 寄り道。川越市場の裏手から、増形の土手に入る。カンカン照りだというのに、人の姿が目に付く。狭い土手なので、車が止められない。一枚も撮らずに、入間川大橋のたもとを突っ切る。さらに、狭山市の清掃センターの脇を抜け、上奥富公園に入る。グランドに沿って、一直線に走り、上奥富用水堰まで行く。車を止め、外に出る。これといって、変わったことはない。いつもの景色だ。ただ、今日は水量が多い。水しぶきが、目に心地いい。 豊水橋についた。横着して、橋のたもとに車を止めた。いつもは、橋の下の日陰に止めるのだが、炎天下を歩く距離を、すこしでも縮めたいわけだ。やる気がない証拠だ。 しかたなく、という感じで、橋の上を歩いた。暑くてしょうがない。それに、寄り道したせいか、明かりが、よくない。ななめ頭の上。真正面に、うっすら山並みがあり、いい眺めなのに、露出が足りない。スカッとしない。ま、いい。執着もせずに、今度は、川シモ側の歩道に渡る。いちおう、下の魚道を見る。面白い造作なのに、絵にならない。しかも逆光気味。かといって、明かりを待って撮り直す、という気にもなれない。いつもそうだ。 車に戻った。用を足し、ふと横を見ると、コスモスが咲いている。除草剤をかぶったのか、少し枯れている。とはいえ、真紅の花びらが、陽射しをうけ、なお鮮やかだ。もう、コスモスの時期なのか。悪所に出入りしているうちに、夏が終わってしまった。
2005.8.21(日)晴れ。久しぶりに、スカッとした青空。入間川十七番、広瀬橋。九時から十二時。 寄り道。右岸、関越橋から川カミの給水橋まで、川原道を車で流す。広瀬橋まで、一般道を走れば、30分かからない。ただし、面白みがない。方向が同じなのだから、途中、川原道を行くという手がある。これなら、目的地以外の景色も、日々楽しめるというわけだ。 入間川も、ひととおり歩いたので、気持ちに余裕ができた。歩行区間を、なにがなんでも歩く、という義務感からは開放された。横着して、景観ポイントを車で回っている。暑いのだから、しかたない。
土留めコンクリを、ななめに登り、橋に出た。うってかわって、ひろびろしている。眺めがいい。中州は、一面緑。流れの向こうに、奥多摩の山並みが見える。空の色が、やさしい。カッとした陽射しに、おもわず目を細める。強い南風に、麦藁帽子が、吹き飛ばされそうになる。残暑、だ。
2005.8.23(火)晴れ。夕方に激しい雷雨。入間川歩行はお休み。 午前中は、電気屋の立会い。午後は、眼科診察。と、わざわざ書くのは、まだ、心のどこかにやましさがあるからだ。パチンコはやってません。自己弁護している。 先日、河川敷パトロールの、ジムニーとすれちがった。乗っていたのは、目に険のあるオヤジだった。まえに、立ち話をした、愛想のいいおじさんとは、別人だ。辞めたのか、それとも、配置転換になったのか。なにがあったのかは、想像もつかない。 変化は、ジムニーのおじさんにかぎらない。野放しの川原にも、隠微な形で、河川敷管理の手が及んでいる。一番目に付くのは、車止めのポール。不法投棄者を締め出すには、手っ取り早い方法だ。しかし、それだけじゃない。ついでに、一般車両も締め出して、河川敷管理の効率を上げている。ほかにも、河川工事の名のもとに、近辺のホームレスの小屋を取り払っている。これは、明らかに意図的。ホームレスたちに同情する気はないが、行政のやり方も、汚いような気がする。 入間川の変化は、むろん、それだけではない。大局的にみれば、年々歳々、生態系そのものが、衰弱している。とくに、魚、鳥の数が激減している。科学的な根拠があるわけではないが、間違いないとおもう。ただし、不思議なことに、水質だけは向上している。水がきれいだ。川に、工場の廃液や生活廃水を垂れ流す精神風土が、多少は、改められているのかもしれない。だが、そのかわりに、人間中心主義が、大手を振ってまかり通っている。河川敷の灌木や茂みを根こそぎにして、野球やサッカーのグランドをつくる。棲家を追われた鳥や昆虫は、不平を言うこともなく、どこかへ飛び去ってしまった。 休日に、河川敷グランドで子供のサッカー大会がある。親達が、車を連ねて応援にくる。ほほえましい光景だ。ただし、川に、魚の姿はなく、空に、鳥の声もない。ホコリっぽい道に囲まれた、のっぺらぼうな空間に、歓声だけが、むなしく響く。生き物たちを圧殺した場所で、健全な余暇活動がなされている。 止まり枝のない場所に、百舌はけっして戻ってこない。河川敷の有効利用が、完全に裏目に出ている。かけがえのないものを失ったことに、住民も行政も気づかない。しかしながら、他人を責めることはできない。気づいているのに、何もしないあいつは、もっと悪い。空とぶ鳥たちの、噂話が聞こえる。
2005.8.25(木)雨。台風が近づいている。入間川歩行はお休み。 一日中アトリエにこもり、HP(哲学帳6・7)の制作。『改稿哲学帳(抄)』を、すべて仕上げる。 『哲学帳』には、断続的に、49章を書いた。書いた時期は、2002年6月から2003年7月まで。この時期は、心身ともに、最悪の状態だった。そんな中で、細々と書き続けられたわけだが、文章は稚拙、いわば、雑文の集積だ。とはいえ、自分にとっては、かけがえのない文章になった。 あの時期、なにを想い、なにを考えていたのか。かなり正直に書いている。挫折を、何とか乗り越えようと、真摯に、自分と向き合っている。結果、しだいに、心境が変化していく。最終章では、新たな展開が暗示されている。 2004年、『入間川写真紀行』と『想念草子』を書き出した。『哲学帳』は、いわば、その踏み台となった。 揺れ動く心の軌跡を、稚拙な文章と写真が、一生懸命、追いかけている。どん底からはいあがろうとする、その心意気が、尊い。
2005.8.28(日)曇り。入間川十七番、広瀬橋。九時。 県道を左折。広瀬橋を渡った。左側に小学校。道路に面した入り口から、敷地に入りこむ。駐車場沿いに少し行くと、川原が見える。土手を下る。重機がとまっている。日曜だから、工事はお休み。橋の下をくぐる。太った犬が二匹、ウロウロしている。飼い主は、めがねのやせた男。川原のゴミを、ひとりで拾っている。額に汗。イライラしている。いやな感じだが、すぐ脇に車を止める。 外にでる。川シモの川原道を確認する。行って行けないこともないが、大きな水溜りがある。両脇に、雑草も生い茂っている。視界がない。行く気になれない。ぶらぶら戻り、水辺に近寄る。浅瀬が、重機にえぐられている。水辺の雰囲気じゃない。工事現場だ。すぐに引き返す。 川カミへ向かう。今年の冬、何枚か、気に入った写真が撮れた場所だ。ところが、今日は、ぜんぜん駄目。空の色も、川の色も、鉛色。さらに行く。堰をのぞいてみよう。ところが、雑草が生い茂っている。そばまでいけない。したかない。護岸のふちに立ち、カミの景色を眺めた。せき止められた流れが、白っぽく光っている。とたんに、やる気を失った。さびしい想いをするために、来たんじゃない。 蒸し暑い、曇りの日。歩く気にはなれない。さりとて、写真も撮れない。意味がないだろ。虚しさと寂しさが入り混じった。居ても立ってもいられない。理性が吹っ飛び、魔界からの誘いに、やすやすと身をゆだねた。一気に走り、一時間後には、いつもの店で、玉をはじいていた。
2005.8.30(火)晴れのち曇り。イチプラ霞、十時から二時半。 火曜日は出ない。よぉ〜く、わかっている。にもかかわらず、のこのこ出かけていった。誘惑に弱い。さいわい、大負けはしなかった。マイナス4K。とはいえ、もう行かない。店はがらがら、ほとんど出してない。勝てる気が、まったくしない。 パチンコはやめた。少し前に、そう書いた。それなのに、またやっている。これはもう、本当にバカなのだ。だから、少し負けたくらいで、絶対にやめる、なんてことを言うのはよそう。どうせ、できっこない。 先日、自治会の祭りの警備をした。といっても、路地裏で三時間ほど、人の出入りを見守っていただけだ。その際、常連のおババに出っくわした。向かいの家が知り合いらしい。双方、ともにとぼけて、ひと言ふた言、言葉を交わした。そのおババに、今日は、気安く、声をかけられた。いつものところでやらないの。300番台のことだ。ふと、そっちのほうを見る。と、常連のおじさんが座っている。 おじさんとは、300番台をめぐって、再三ニアミスを起こしている。ほとんどの場合、自分のほうが、整理券番号が早い。ゆえに、先に台を確保してしまう。そんなことが、三、四回あった。あの台は、おじさんの指定席なの。おババが耳元でささやく。出ても出なくても、必ず朝から来て、昼過ぎまで打って帰る。昨日なども、散々突っ込んだ挙句、夕方には、ほかの客に出されてしまったのだという。ふ〜ん、そうだったのか。 おババのことは、またそのうち、詳しく書くとして、今は、このおじさんのことだ。抽選時間になると、折りたたみ自転車を、くるくるこいでやってくる。短めの白髪を、ポマードかなにかで、きっちりオールバックにしている。白のハイネックを着ていることが多く、めがねをかけている。がっしりした体格。日に焼けた四角い顔。実直そうな感じだ。とはいえ、自分としては、件のいきさつがあるので、印象はよくない。 それにしても、300番台が、おじさんの指定席だとは知らなかった。ヒトが、毎朝打つのを楽しみにしている台を、横取りしていたことになる。これは、相当に悪感情をもたれている。恨まれているかもしれない。でもちょうどよかった。300番台は、もう打たない。一昨日打った感じでは、台の調子が落ちている。これからは、ニアミスすることもないだろう。 おじさんに対する、冷ややかな感情は消えた。それどころか、謝りたいくらいだ。気分転換に、時々、おじさんの様子を見に行った。300番台は、やはり、出てない。昼過ぎに、2連荘したが、全部飲まれたようだ。二時半、おじさんの姿はなかった。朝からの大当たり回数は、2回。完全に、ハマリモードだ。今日も二、三万、負けている。いやいや、ヒトのことを心配している場合じゃない。ただいま、四連敗中。
Written by sekinetoshikazu in Kawagoe Japan. |