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 Photo essay<入間川写真紀行>

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2005.5.1(日)晴れのち曇り。入間川三番、釘無橋など。九時から一時。

釘無橋の少し先、芳野台の工業団地へと向かう、広い農道。道路際に、白くてふわふわしたものが生えている。形は「ねこじゃらし」に似ている。車が通るたびに、いっせいになびく。そのサマがいい。



「チガヤ」という名前らしい。


工業団地のはずれから、土手に上がった。河川敷耕作地が荒れている。去年はまだ、所々に人手の入った田畑が残っていた。田起こしされ、この時期には、田植えの準備がととのっていた。その田んぼにすら、雑草が生えている。打ち捨てられた感じだ。

立ち止まった。廃田の中に、つんつん立っている雑草。その先に、なにやら赤紫色のつぼみ。野アザミだ。そういえば、去年も、このちょっと手前の休耕田で、野アザミの群生に出会った。あとどのくらいで、つぼみが開くのか。そう思うと、気持ちが明るくなった。



帰りに、平塚橋付近の川原道に寄った。

気にかけていた雑木に、葉がついた。





2005.5.3(火)晴れ。いい天気だ。

眼の調子がよくない。外出するのはやめよう。

部屋の壁に、四十枚ほど、写真がはってある。去年、写真展をやるときに用意したものだ。

一枚百円の、A4フォトペーパーをプリンターにかけた。おもいのほか、色がきれいにでている。気をよくしたことを覚えている。

写真はみな、500万画素デジカメで撮った、入間川の風景だ。ちょうどその頃、「入間川写真紀行」の執筆を思いたった。あれから一年がたっている。

四十枚ある写真の中で、今現在、許容できるのは三分の一程度だ。たしかに、空も川も青い。だが、露出の取り方がなってない。枯れ草の色が濃すぎる。それに、画面のバランスが悪い。そうじて、写真としては、弱いような気がする。ほんとうは、張り替えたいところだが、それには、多少の金と労力がかかる。めんどくさい。

いまは、HPを日々更新していくことに精力を使っている。撮った画像を写真にして眺める余裕がない。それでも、ふと、壁の写真が目に入る。必要以上に、空の青さだけを撮った写真だ。

一年たったが、色褪せていない。





2005.5.5(木)晴れ。いい天気だ。

さいわいにも、混濁の進行は止まった。とはいえ、まだかなり濁っている。大事をとって、今日も写真撮影にはいかない。





2005.5.7(土)曇りのち晴れ。番外、越辺川、小沼の橋脚。一時から三時。

天気予報のとおり、昼過ぎから青空が見えだした。左目は、まだよくない。かなり濁っている。が、もう限界だ。坂戸のポピー祭り。一面のお花畑を想像した。出かけよう。

ポピーは駄目だった。まだ咲いていない。来週くらいがいいかもしれない。そんなことを考えながら、写真の位置取りや構図を考えた。背景に、変なお寺を入れよう。金ぴかの、中華風の建物だ。坂戸市のHPにのっていた写真が、たしかそんなふうだった。それにしても、たいしたことはない。期待はずれ。会場をぐるっとひと回りして、早々に引き上げた。

車を走らせた。いい天気だ。このまま、手ぶらで帰るわけにもいかない。越辺川沿いの、工事中の橋脚を撮りに行こう。

先日は、見事に外した。撮りそこねている。何がいけなかったのか。構図だな。今日は、明かりの具合を見ながら、もうすこし丹念に周りを歩いてみよう。






2005.5.8(日)曇り。入間川二番、入間大橋。九時から九時半。

たいした天気じゃない。とはいえ、アトリエにこもっていてもしようがない。出かけよう。

入間大橋の上を歩くつもりでいた。だが、うすら寒い。空を見上げると、雲が厚い。晴れてくる気配はない。無理して、歩くこともないだろう。こんな日に撮っても、ロクなことはない。

引き上げ。右岸の土手道を、カミへ向かって、ゆっくり走る。河川工事をやっている。重機が入れるように、川の両サイドに架設の道ができている。橋もある。そんな状態が、ずっと出丸橋まで続いている。

荒れた河川敷耕作地が、きれに整地されていく。跡形もない。のっぺらぼうの空間だ。そこでふと思った。小鳥達のねぐらを奪っている。文句も言わずに、鳥達は、どこかへ行ってしまった。

以前そこは、うっそうとした木立と竹やぶだった。中に共同墓地があり、竹やぶはゴミだらけだった。その陰気な空間に、架設の道が通った。横っ腹を貫通された形だ。けっか、墓地は、平らなコンクリの土台だけを残して、どこかへ移転。竹やぶも、まっぷたつ。重機でえぐられた。しかしその中で、鶯がしきりに鳴いている。立ち止まって、耳をすませた。実に多彩な鳴き様だった。





2005.5.10(火)晴れ。入間川二番、入間大橋。九時から十二時半。

久しぶりに、スカッと晴れた。この時期にしてはめずらしく、秩父の山並みがはっきり見える。



寄り道。

用水沿いの道路に、電柱の影。

ポプラも見える。

土手をななめに下りる。ここは、工業団地が切れるところ。雑木の間に、芳野台の煙突が見える。先日は、天気がよくなかった。今日こそは、モノにする。




入間大橋の、カミ側の歩道を歩いた。風が強くて冷たい。いつきても、ぱっとしない景色。撮りようがない。信号待ち。ここからは開平橋。下は荒川の河川敷。広々とした田畑。

なかに、一、二反、青々とした麦畑があった。そこに、黒っぽい、不規則な模様。空を見上げた。雲が映っているのかと思ったのだが、そうではなかった。冷たい北西の風が、麦畑を走り回っている。何枚か写真に撮った。すぐにモニター。案の定、何も写っていない。風を、写真にする腕はないのだ。

まだ川は見えない。整然とした耕作地がきれ、今度はゴルフ場。それにしても長い橋だ。立ち止まった。多少良くなったが、左目は万全ではない。長い時間、冷たい風に体をさらしているのが気にかかる。それに、なんだか疲れた。この先、寒い中、最後まで行ったとしても、なにもない。無駄足だ。引き上げよう。



一反。辞書を引く。土地の面積の単位。

一町の十分の一。三百歩、約992平方メートル。

ということは、約10m掛ける10m。

ここのは、もう少し広いような気がする。





2005.5.12(木)曇り。入間川歩行はお休み。

2005.5.14(土)曇り。番外、美里町のポピー。九時半から十二時。

NHKの朝のニュースで、美里町のポピーが紹介されていた。前々から気になっていた場所で、天気がいい日に、撮りに行くつもりでいた。曇り空だったが、思い切って出かけることにした。

先日、美里町のHPを検索した。現場は、寄居町の先、245号沿いあるはずだ。道がすいている。距離が40キロもあったのに、一時間足らずでついた。駐車場は、まだがらがら。入園料200円を払い、目の前の小高い丘に登った。ポピー畑が一望できる。いい眺めだ。これで、日差しがあり、空に色があったなら、気に入った写真がとれたはずだ。残念。

下におりた。ポピー畑の周りを丹念に歩いて、構図をさぐった。おりしも、薄日がさしてきた。真紅のポピーが、目に痛い。



帰りに、越生の五大尊に寄った。ツツジの名所だ。花の盛りはすぎていたが、オオムラサキだけは、満開だった。とはいえ、曇天。空に色がない。撮りそこねた。





2005.5.15(日)曇り時々晴れ。番外、越生の五大尊。一時から二時半。

昨日とり損ねたツツジのことが、頭からはなれない。昼頃、陽射しが出てきた。昼食もそこそこに、車を走らせた。

登山靴に履き替え、山の斜面を上り下りしながら撮った。空模様が不安定。陽がさしたり、曇ったり。一時、天気雨も降った。

どうもいかん。昨日撮った写真の構図を探している。ツツジをみていない。そのうち、遠くで雷鳴。引き上げよう。



一瞬、かっと陽がさした。





2005.5.17(火)晴れ。スカッとした青空。入間川二番、入間大橋。九時から十二時。

いい天気だ。富士山が見える。空の色は水色。ぽっかり雲が、たくさん浮かんでいる。

順番から言えば、今日は、入間川大橋の、歩き残したところだ。とはいえ、なんとなく気が進まない。それに、午後から用事がある。

いつものように、雁見橋際から、土手道に入り込んだ。西側の景色がいい。寄り道をしよう。

車を橋の下に回した。何台か車がとまっている。そのうちの一台。白のがたがたのカローラ。あの場所に、前も止まっていた。たしか、風体のよくない、太った親父が乗っていたはずだ。中に人の気配はない。

橋の上を歩きだした。ここからは、まだ、一枚もモノにしていない。何回も歩いているのに、構図が定まらない。もっとも、たいした景色じゃない。気にかかる建造物もない。邪魔な鉄塔が二本あるだけだ。まてよ、鉄塔だ。






2005.5.19(木)晴れ。陽射しが強い。入間川歩行はお休み。

午前中に用事を済ませ、午後からは写真撮影に出かけるつもりだった。ところが、どうも体調がよくない。風邪をひいたようだ。からだがだるい。やる気が出ない。

昼食後、すぐに昼寝。だが、いくらもしないうちに目が覚める。所在の無い時間。誘惑を払いのけるために、パソコンを開いた。写真紀行2004をHPへ書き込む。

写真は、確実にうまくなっている。ただし、文章に関しては、かなり複雑だ。稚拙な長文。どうでもいいことを、営々と書き続けている。いまの文章に比べれば、かなり読みづらい。だが、迫力はある。気合が入っている。書くことを楽しんでいる。

写真紀行を書きだしたのは、去年の三月だ。14ヶ月たっている。A4の用紙で、およそ300枚の原稿が手元に残った。よく書いた、というべきだろう。これまでの人生の中で、これほど書いたことはない。

人生が、動いている。





2005.5.21(土)晴れ。初夏の陽気。入間川二番、入間大橋。九時から一時半。

右岸、入間大橋の手前から、土手下の道に下りた。放棄された河川敷耕作地。荒れている。それでも、去年までは、ところどころに田んぼがあった。この時期には、田植えが終わっていたはずだ。それが、今年は、田起こしもされずに、放置されている。キツネアザミ、ハハコグサ、スズメノテッポウ、ジシバリ、ヘビイチゴ。雑草が繁茂している。

堤防整備のため、このあたりの耕作地は、すべて、国土省によって買い上げられた、のだと思う。これは、見方によっては、河川敷耕作地を一掃する大義名分である。河川管理の手間が省ける、というわけだ。

ノアザミと思っていたものは、じつは、キツネアザミだった。廃田につんつん立っているやつだ。何とか写真にしたいと、前々から思っていた。ところが、密集度が低いうえに、花が小さい。なかなか絵にならない。ここはひとつ、頭を切り替えて、接写してみよう。

接写は、目が疲れる。ほとんどの場合、腰をかがめて撮るので、体もしんどい。たまに撮っても、ほとんどが失敗作。保存さえしていない。それが今日は、かなり粘れた。



土手際から、入間大橋に入った。すこし走ると信号。この先からは、橋の名前が変わる。開平橋。下は荒川だ。橋の歩道を歩くつもりだったが、気乗りしない。車で流すことにする。ゴルフ場なんか見たかない。

対岸に渡った。ここは、上尾市平方。ぐるっと、回り込む形で、橋の下に出た。すこし川カミに、ゴルフ場のクラブハウスがある。川沿いに、車がたくさん止まっている。小さな橋もある。たらたら走っていくと、行き止まり。橋は、カート専用で、河川敷のゴルフ場へとつながっている。ゴルフ客専用、というわけだ。なんとなく苦々しい。

車を回転した。こんどは、川沿いの道を、川シモへ向かって走った。右手は、河川敷耕作地。左手は、広々とした田畑。清掃センターの煙突も見える。車を止めるところを、目で探しながら行く。ところが、一本道。すれ違いができないほど狭い。うかうかしているうちに、行き止まり。なんだか気乗りしない。すぐに回転。今来た道を、脇眼もふらずに引き返す。

開平橋を渡る。信号を右折。入間川の、左岸の土手道。下の川原を、横目でチラッと見る。工事中。きれいに整地されている。そこに入り込んで、ゴルフの練習をやっている奴がいる。チェッ!おりていく気になれない。そのまま走る。道が大きく右に曲がる。坂を下る。一般道となる。

右手の、荒川の土手道に入り込みたいのだが、どこから入ったらいいのか、迷う。あれよあれよという間に、かなりやり過ごす。ままよ。田んぼ道に車を乗り入れる。すぐに回転。来た道を戻る。民家の庭先のようなところを、左折。やっとのことで、土手にぶつかる。

土手下の砂利道を、たらたら走る。車を、道路っぱたに止める。様子をみに、土手に上がる。あ、そうか。土手は自転車専用。森林公園まで行ってるやつだ。車で流そうと思っていたのに、ああ、かんちがい。

天気はいい。このまま帰る気にもなれない。それじゃあ〜、また、左岸の土手道に戻ろう。地元の気安さ、釘無橋まで、ゆっくり走ろう。何かあるかもしれない。






2005.5.22(日)曇り時々晴れ。入間川歩行はお休み。

親水公園へ行き、車の掃除。陽が少し出てきたので、花畑のポピーを撮る。なんとなく気合が入らない。案の定、ろくな写真がない。





2005.5.24(火)晴れのち曇り。薄い雲がかかっている。青空は少ない。入間川一番、上江橋。九時から十二時。

雁見橋際から土手道に入る。薄日が差している。今日は、順番から言えば、入間大橋から、川カミへ向かって、左岸の自転車道を歩くことになる。右手は河川敷グランド、左手は、モトクロスのコース。う〜ん、気乗りしない。寄り道しよう。

土手に車を止め、コウゾリナやノアザミを撮る。落合橋のたもとでは、北側の景色を撮る。なおも、砂利の土手道を、たらたら、釘無橋まで行く。土手を下りる。廃車の脇に車を止める。あたり一面、麦畑だ。



農道を行く。突き当りは川。その手前で、いつもラジコンをやっている。だが、今日は誰もない。これさいわいと、車を進める。

小さな吹流しがある。麦畑のヨコが、ちょっとしたラジコン広場になっていた。悪路を、さらに行く。と、ふいに視界が開けた。入間川と越辺川との合流点。ああ、ここに出るんだ。

堰があり、護岸が続いている。向こう岸からは、いつも目にしていた。歩くのは、今日が初めてだ。川カミには、釘無橋。その上を車が走っている。ただし、たいした景色じゃない。川も、空も、それに橋までもが、くすんだ色をしている。撮りようがない。

ま、それでも、護岸が切れるところまでは歩いた。立ち止まり、振り返った。やはり、なにもない。その場にしゃがみ、川面をぼんやり眺めた。中ほどの水面で、しぶきがあがっている。風もないのにと、よく見ると、そこは浅瀬になっている。小魚の群れが、人間の気配を察して、騒いでいる。これから、自転車道を歩くのか?もう、十二時近くになっていた。いや、きょうは、いいだろう。少し疲れている。腹も減っている。引き上げよう。





2005.5.26(木)晴れ。スカッとした、いい天気。入間川一番、上江橋。九時から一時半。

今日こそは、自転車道を歩こう。そう思いつつも、寄り道。平塚橋から、右岸の土手道に入った。左下の川原を見下ろしながら、ゆっくり走る。河川敷耕作地の花などを撮りながら、入間大橋まで行った。

天気がいい。陽射しは強いが、さわやかだ。五月晴れ。土手を、川カミへ向かって、ぶらぶら歩きだす。はるか彼方に、上江橋が見える。散歩気分だ。






2005.5.28(土)曇り時々晴れ。入間川一番、上江橋。九時から十二時半。

左岸、上江橋の下についた。入間川は、この少し先で、荒川に合流する。これ以上、先に進むことはできない。

高い土手の上にのぼった。橋に背を向けて立ち、川シモを眺めた。左手に入間川、右手に荒川。河川敷は、いずれもゴルフ場。土手の自転車道は、ほぼ一直線、入間大橋へと向かっている。今日歩く予定のところだ。

たらたら歩き始めた。どうも気乗りしない。撮るものがない。いや、ゴルフ場なんか、見たくもないし、撮りたくない。

去年来たときには、初めてということもあり、かなり慎重に歩いた。土手の上から、ゴルフ場の立ち木などを、さかんに撮った。天気がよかったせいか、芝生もきれいに撮れていた。とはいえ、気に入ったものは、一枚もない。ゴルフ場の景色は、好きになれない。自分の撮った写真を見ながら、つくづく思った。

そもそも、ゴルフもゴルフ場も好きではない。いいや、好き嫌いの問題ではなくて、善し悪しの問題だ。施設管理のために、多量の農薬を使う。猛毒が地中から、川へ流れ込む。人間のお楽しみのために、生物が圧殺されている。ゴルフは、もう二度としない。以前、公害関係の本読んでいたときに、心に決めたことだ。くわえて、最近では、写真を撮っていることもあり、河川敷を特定の人間たちが占有していることが、どうにも面白くない。

河川敷耕作地なら、ヒトがいないのを見計らい、写真も撮れる。川の景色に溶け込んでいる感じだ。それに比べて、ゴルフ場は、まずもって、関係者以外立ち入り禁止。むやみに入り込めない。しかも、あきらかに、川の自然や景観をそこなっている。社会的にみれば、必要悪でさえないものだが、自分にとっては、産廃の山と同じくらい、憎々しいものだ。そんなものに、どうしてカメラを向けることができようか!

荒地がきれ、鉄塔が目の前にある。ここからは、左右前後、どこを見回してもゴルフ場だ。うなった。順番だからといって、無理に歩くこともあるまい。自分に、そう言い聞かせた。

くるっと背を向け、もと来た橋のほうへ歩き出した。向こう岸の、荒川の川原に、旧上江橋の橋脚が、一本だけ残っている。遺構として、残したものだろうが、廃材の山の横にあって、なんとも、変な感じだ。あれを見に行こう。



朝一番で撮った、麦。

ちなみに、向こう側の土手下には、河川敷耕作地がある。

一度だけ話をした、白いトラックの親父がいる。

今年もまた、畑仕事に精を出している。





2005.5.29(日)晴れ。少し雲は多いが、いい天気だ。入間川一番、上江橋。九時から十二時。

きょうは、橋の上を歩く。そう決めていた。右岸、上江橋際の土手、ちょっと広くなったところに、車を止める。

川カミ側の歩道を歩く。去年完成した、片側二車線の長大な橋だ。道がいいせいか、車がスピードをだす。いい気になっていると、白バイに捕まるぞ。

橋の下には、さえない自動車教習場がある。来るたびに撮ってはいる。はたして、今日は、ものにできるのか?さらに行く。団地、土手の自転車道、ゴルフ場の鉄塔、お馴染みさんを撮る。橋は、まだまだ続いている。このまま行ってもいいが、オシッコだ。しかし、いくらなんでも、ここで、立ちションするわけにもいかないだろう。人はほとんど来ないが、脇を、車がビュンビュン走り抜けていく。戻ろう。

あとで考えれば、このまま、あっさり戻って、すぐに、用を足せばよかった。それが、明かりの具合がよくなったからといって、橋の上で長居をした。何度も尿意を我慢した。おそらくはそのせいだ。帰宅してから、尿の出が悪い。しかも、尿道の辺りに異和感がある。気のせいだろうか?

そういえば、ここのところずっと、足腰を冷やしている。モモヒキからステテコに穿き替えるのが、早かったのかもしれない。膀胱炎、あるいは、尿道炎。さらに悪化するようなら、明日は、医者に行くようだ。電気を消し、布団に入った。寝よう、寝よう。






2005.5.31(火)曇りのち晴れ。体調不良のため、入間川歩行はお休み。

痛みはないが、依然として、尿道の辺りに異和感がある。オシッコの出も悪い。今日は一日、アトリエにこもって、HPの制作をしよう。

午後の二時を、少し回ってから、陽がさしてきた。青空も見える。写真撮影に出かけようか。一瞬、そう思ったが、やめにした。大事なところが、心もとない。元気が出ない。

けっきょく、外へは一歩も出ずに、夕方まで、PCに向かっていた。しかし、そのわりには、作業がはかどらなかった。予定の半分しか、仕上がらない。とはいえ、少量ながら、原稿を表に出せたわけで、気分はすがすがしい。

あたしからは六月。紫陽花と菖蒲の季節だ。遠出の予定としては、越生のアジサイ公園。一度も行ったことはないが、山道に、ずうっと、アジサイが植わっているようだ。ほかにも、近場で、いいところがあるかもしれない。





2005.6.2(木)曇り。午後から小雨。入間川歩行はお休み。

今日も曇り。HPの制作をしよう。

「入間川写真紀行2004(4)」。これは、昨年の五月に書いたものだ。久しぶりに目を通した。歩いた場所や、見聞きした出来事を、逐一書きとめようとしている。いきおい、長文になる。推敲が不十分な、冗長な文章だ。

挿入されている写真の数も少ない。しかも、みな出来がよくない。ウデがないのに、曇りの日に、風景を撮っている。明かりの具合を、ほとんど考慮していない。露出の取り方も、なってない。とはいえ、文章も写真も、いまさら変更できない。これはこれで、いい。いや、開き直っているわけではない。至らなさを自覚するのには、もってこいの材料だ。

写真も文章も、去年よりは、今年のほうがよくなっている。努力もしていないのに、なぜか?月並みだが、継続しているからだと思う。なかば無意識のうちに、感性が磨かれ、思考が展開されている。だから、今年よりは来年のほうが、もっとよくなるはずだ。かなり楽観的だ。

五十を過ぎてから、あらゆる面で下降気味だ。悲観論がはびこるなか、写真紀行のおかげで、一脈の光がみえた。写真と文章のウデが、多少なりとも上がった。おまけに、自分自身を取り戻しつつある。

稚拙な文章と写真を、あつかましくも、HPに掲載している。ヒトの感想を聞きたいからではない。己の拙さを、世界に公開することが、励みになっている。





2004.6.4(土)曇り。入間川歩行はお休み。

今日も一日、HPの制作。「2004入間川写真紀行3」。思いのほか手間がかかり、夕方になっても、仕上げることができなかった。

写真は少ないのだが、文章は長い。よくもまぁ、これだけ書いた。自分でも感心するほどだ。いちおうは、校正しながら読み直した。といっても、ほとんど手は入れなかった。多少のことで、印象がかわるとは思えない。稚拙ではあるが、ウソはない。最低限の約束は、果たしている。





2005.6.5(日)曇り時々晴れ。番外、玉川村のショウブ園、越生のアジサイ山公園。

朝起きたら、うっすらと陽がさしている。今日は出かけるぞ。いそいで、遠出の準備をすませた。地図で道順を確認し、玉川村へと車を走らせた。

小一時間でついた。ところがだ、思ったよりも場所が狭い。そのうえ、花がほとんど咲いていない。時期が早かったようだ。ま、それでも、車を駐車場へ入れ、中をひと回りした。たいしたところじゃないな。にもかかわらず、朝っぱらから、アマチュアカメラマンが、けっこう来ている。みな、花の接写を楽しんでいる。

菖蒲園の縁を、太陽を背に、ゆっくり歩きだした。自分が撮りたいのは、花でなくて、花に彩られた風景だ。低い山がある。少し青空も見える。カメラを構えた。だが、肝心要のショウブが、ほとんどない。撮るのをあきらめた。

車に戻った。地図を見た。越生のアジサイ山公園への道順を確認した。三十分ほどでついた。ところが、こっちは、まだ一輪も咲いていない。時期が、二週間ほど早い。しかたない。ちょこっと下見をして、すぐに引き上げた。





2005.6.7(火)曇り時々晴れ。入間川一番、上江橋。九時から十二時。

天気があまりよくない。気合が入らない。上江橋から入間大橋まで、右岸の土手を、車で流そう。対岸はゴルフ場。たいした景色でもないが、いちおうは順番だ。

川越橋付近で、道草。ついでに、雁見橋や寺山用水堰なども撮る。う〜ん、それにしても明かりの具合がよくない。曇り空、青空がない。時々薄日がさす程度。はたして、狙ったものは、撮れているのか。

平塚橋の脇から一般道へおりる。あとは、いつものルート。左に土手を見ながら、一気に走る。右岸、上江橋際で、また土手に上がる。教習所が一望できる処だ。そこからななめに下り、土手下の道を行く。グランドがあり、水門がある。ところが、行き止まり。以前来たときには、たしか、ぬけられたはずだ。

ここから入れないとすると、車ではもう駄目だ。土手道には、入間大橋際、上江橋際、それぞれに車止めがある。なおかつ、一般道から、直接ななめに上がる小道にも、すべてポールが取り付けられている。あとは、歩くしかない。

川カミの、入間大橋が、かすんで見える。距離がありすぎる。天気がよければ、ぶらぶら歩きながら撮る、という手もある。たいした景色じゃないが、青空に、ぽっかり雲でも浮かんでいれば、何とか写真になる。だが、あいにく、今日は曇り。無駄足になる。保留しよう。

まだ十一時前だった。このまま帰る気にもなれない。上江橋の下を抜けた。国道の脇をすこし走り、古谷の田んぼへ出た。田植えの終わった、広大な田畑。用水路に、勢いよく水が流れている。

だだっ広いだけで、これといったものはない。ま、あるとすれば、電柱、それに川越線の線路。車両基地になっているらしく、電車が、ひっきりなしに来る。あとは、そうだ、思いだした。道路際に、でかいボーリングのピン。テレビで紹介されていたのを見て、撮りに来たことがある。ずいぶん前のことで、フィルムカメラを使っていた。はたして、まだあるのか。



あった。健在だ。





2005.6.9(木)曇りのち晴れ。薄い雲がかかっている。青空はほとんどない。入間川歩行はお休み。

いちおう、八時半には家を出た。天気がよくない。なんとなく、やる気がでない。越生のアジサイ山公園にでも行くか。

車を運転しながら、まざまざと想った。三分咲きのアジサイが、舗装された山道に沿って、ずうっと並んでいる。人の気配はない。曇天。さびしすぎる。

やはり、順番だ。上江橋から、右岸の土手を歩こう。川原の墓石とゴルフ場の変な雑木。あれは、どうしても撮りに行く必要がある。でも、空に色がない。写真にならない。曇り空の下、だだっぴろい所に一人ぼっち。さびしい思いをするのにきまっている。

それじゃ、飯能河原へ行くか。入間川一番、上江橋はもう終わりにして、入間川二十六番、飯能河原からの逆打ちだ。まずは、市民会館の駐車場に車を置く。ぶらぶら坂道を下り、信号のある横断歩道を渡る。そのまま、狭い路地に入っていく。突き当りはみやげ物屋。さびれている。左に曲がり、河原に出る。ふた昔前の、庶民的な観光地。川遊びなどができる。しかし、いつきても、貧乏臭い雰囲気だ。どこを見回しても、写真に撮るような景色はない。しかたないので、少しシモの、赤い割岩橋の上から、河原を一望して撮る。だが、空がしらっ茶けている。写真にならない。来るんじゃなかった。後悔しながら、引きあげる。

こうなれば、あとは、第四の選択だ。パチンコ屋へ行くしかない。車を回転した。





2005.6.11(土)曇り。入間川一番、上江橋。九時から十時。

対岸のゴルフ場に、一列に並んだ雑木がある。それに、川原の石碑。これだけは、どうしても見に行かなくちゃならない。でないと、先に進めない。気持ちに区切りをつけるためだ。曇り空の下、車を走らせた。

右岸、入間大橋から上江橋までの距離。およそ四キロ弱。土手道は通行止め。土手下の一般道を行くしかない。だが、その道が狭い。車のすれ違いができない。路肩の少し広くなったところで、対向車をやり過ごす。

車をどこかに止め、土手に上がりたいのだが、適当な場所がなかなか見つからない。かなり走る。右手に、工場と資材置き場にはさまれた脇道が見える。あそこなら大丈夫だろう。車を、工場の万年塀に横付けした。そういえば、このあたりは、去年の秋に歩いたところだ。電柱や、田んぼの中のダルマポンプ撮った。

高い土手が見える。除草されている。その、柔らかな斜面を登った。土手道は、ずうっと、簡易舗装されている。工事車両のためだろう。しかし、そもそも、何の工事なのか。かなり前から、一般車両を締め出してやっている。河川工事にはちがいないが、詳しいことはわからない。

土手からの見通しはいい。三百六十度、ぐるっと見渡せる。ただし、今日は曇り。お目当ての、ゴルフ場の雑木も、なんとなくさえない。それに、あれ、川原の石碑がない。きれいに撤去されている。おいおい、ほんとうかよ。

河川側の土手、斜面には、芝生が植えられている。立ち入り禁止のロープが、土手っぷちに、ずうっと渡してある。そのさきに、なにやら、お墓のようなものが見える。近づいていった。

川原の石碑が、土手の上に移動されていた。白御影の柵が周りを囲んでいる。脇に、立派な碑もある。しゃがみこんで、碑文を読んだ。移動したふたつの石碑についての、丁寧な説明。右の大きいやつ。これは、法界供養塔。水害で落命した農民を供養している。左の小さいのは、馬頭観音像。これは、農耕馬を供養したもの。豊作祈願、無病息災、厄病よけの意味もある。側面に、「河越 十丁」とあるのは、道標の役目も果たしている。昔この場所に、入間川の渡しがあった証である。なるほど、やはり、謂れがあった。

碑文は、地元の自治会長が書いたものだ。文面から察するに、郷土史家だろう。こういう人が居なければ、川原の石碑は、ただの、じゃまっけな石ころだ。シャベルカーに粉砕されないで、ほんとうによかった。とは言うものの、思い描いていた構図が、永久に、この世から消え去ってしまった。

手前の、草深い川原に、かしいだ石碑。暗緑色の、どんよりとした流れの向こうには、変な形の雑木。一列に並んでいる。ちょうどゴルフ場のキレるところで、プレーを終えた客が、土手の階段を登っていく。そんな時だ。一瞬、かっと、強い陽射しがくる。あわてて、シャッターを切る。

土手の上に安置された、二体の石碑。粉砕はまぬがれたが、居心地がよくない。そう言って、こちらに背を向けている。事実、土手道からは、裏になる。人間と同じように、川の流れを見下ろしている。

当てが外れた。そう思いながら、未練がましく、少し川カミへ向かって歩いた。だが、すぐに引き返した。今にも降り出しそうだ。しかし、こんなときに限って、被写体が、向こうから飛び込んでくる。今日の場合、それは、これまでに見たことのない雑草で、頭に、うす紫色の小さな花をつけていた。


クマツヅラ(熊葛、馬鞭草)らしい?


これは、オニタビラコ(鬼田平子)。名前がなかなか覚えられない。

ふと思った。気のよくない日には、山野草の接写。入間川植物紀行だ。





2005.6.12(日)晴れ。暑い。入間川一番、上江橋。九時から十二時。

右岸、上江橋から入間大橋までの土手道。きちっと紫外線対策をして歩く。サングラス、白の長袖シャツ。頭に、白タオルをかぶり、つばの長い帽子で押さえ込む。風が来ると、タオルが頬の辺りでひらひらする。涼しい感じがする。

タバコ、紫外線、ストレス。眼を悪くした原因だ。30年間も吸っていたタバコは、三年前にきっぱりやめた。失明か禁煙か。躊躇なく、禁煙を選んだ。以来、一本も吸っていない。

紫外線にたいしては、色の濃いサングラスを常用。屋外に出たときには、必ずかける。あとは、ストレス。心身に、負荷をかけないようにしている。ようするに、無理はしない。それから、人間とは、なるべく接触しない。人間関係での軋轢、これが最大のストレスだ。

飲料水を入れたザックを背負い、靴の紐を固く結ぶ。久しぶりに、やる気になっている。






2005.6.14(火)曇りのち晴れ。入間川歩行はお休み。

誘惑に負け、ギャンブルに走る。大負け。目が覚める。パチンコで勝つより、自分に勝つほうが、何十倍も気持ちがいい。久々ぶりの、自己洞察だ。

誘惑に弱すぎた。ギャンブルだけじゃない。人生の、さまざまな誘惑。もういい加減、御免こうむりたい。





2005.6.16(木)小雨のち曇り。入間川歩行はお休み。

いつもの時間に家を出る。笠幡の菖蒲園で、少し撮る。そのあと、入間川大橋の下で、雑草を撮る。雨が降り出したので、十一時前に引き上げ。

雨の日、曇りの日は、アトリエにこもって、写真紀行の執筆。少し前に、そう決めたのだが、修正しよう。曇りの日は、草花の撮影。マクロ機能を使い、肉眼ではよく見えない、小さな花を撮る。雑草のコレクション。入間川植物紀行と名づけてもいい。

展望が開けた。目の前が明るくなったような気がする。晴れた日には、風景を撮る。曇りの日には、草花を撮る。そして、雨の日には、写真紀行を書く。誘惑に負けないで、粛々と歩いていこう。



川原に、つんつん立っていた。小さくて、眼ではよく見えない。

イヌムギの花?





2005.6.18(土)曇り。入間川歩行はお休み。

昨日から、左目の調子がよくない。また、混濁した。二、三日は、様子を見よう。写真撮影も中止。こうなると、あとはもう、文章を書き、HPの制作をするだけだ。ただし、根を詰めると、目によくない。ほどほどにしたほうがいい。

「作文」「習字」「絵」「歌」、これほど苦手なものない。小中高と、コンプレックスを持っていた。とはいえ、高校に入り、「習字」と「絵」からは、開放された。選択科目を「音楽」としたからだ。次に、大学。「歌」からも開放された。しかしながら、「作文」に関しては、これまで以上に、恥をかく機会が増えた。演出家を志したわけで、文章を求められることが多くなったからだ。

大学の卒論までは、人並みの文章を、ただの一枚も書いたことがない。もっとも、それ以後だって、「作文」に対するコンプレックスが消えたわけではない。消えたのは、つい最近だ。読み書きを習い始めたから、四十五年以上は経っている。

これまでに、稚拙な原稿を何百枚も書いてきた。手元にないもの、破棄したもの、ホコリをかぶって押入れで眠っているもの、思い起こせば、懐かしいが、今は、目を通す気にはなれない。自分でない、他人が書いた文章のような気がしている。本当のことを書いていない。いや、書けなかった。

文章の権威に負けていた。それもある。でも、それだけじゃない。世間や他人の目を気にしすぎていた。性格的なものもあるが、遠慮して、自分の本音を出さなかった。あわせていた。意にそわぬことでも、ニコニコしながら、相槌を打っていた。自己を疎外していることに、気づかなかったのだ。

遠足の「作文」を書けと、先生から、原稿用紙が配られる。三ますあけ、題名を書く。いや、題名が思い浮かばない。やっとのことで、遠足、とだけ書く。その下に、たどたどしく、自分の名前を記し、原稿用紙に向かう。だが、一行も書けない。なにを書いていいのかわからない。白い升目が、目の前に広がっている。時間だけが、どんどん過ぎていく。あせる。あせればあせるほど、文章が書けない。言葉すら浮かんでこない。これはもう、悪夢だ。

「作文」の書き方を、教えてもらった覚えがない。同様に、「絵」の描き方、「歌」の歌い方も教えてもらったことがない。だからといって、小学校の先生に、恨みはない。おそらく、先生がたも、教え方を知らなかったのだろう。いいや、おしゃべりをしていて、聞きそこねたのかもしれない。





2005.6.19(日)晴れ。入間川歩行はお休み。

左目の調子がよくない。外には出ない。今日も一日、HPの制作。「2004入間川写真紀行3」を仕上げ、その後は「哲学帳3」へ進む。

哲学帳を書き始めたのは、2002年の6月頃だ。翌年の、2003年6月までに48章まで書いた。気負って始めたわりには、それまでの著述同様、中途半端な感じで終わっている。書くことに、飽きてしまったようだ。

思い出したくもないほど、いやなことばかりが続いた時期だった。50歳という節目の年が、人生最悪の年だった。そのせいか、文章が硬い。内容が暗い。

これまで、けっして口にしたことのない、少年時代のことを書いてみた。あの時代、面白おかしいエピソードはいくらでもある。ところがだ、文章にしてみると、どれもこれもが、暗い。現在の心境が、反映されている。読み返すたびに、気分が、ますます重くなる。とうとう、書くのをやめてしまった。

文章力に問題があった。ようするに、うまく書けないわけだ。しかし、それだけではない。カッコをつけている。嘘を書いていることに、気づいていない。書くしかない、という決意が空回りしている。

2002年11月。文章を書く意味を、たしかにつかんだ。自分を支えるために書く。内なる文学の権威を吹っ飛ばした瞬間だ。しかし、それ以後も、ろくな文章を書いていない。読み返すのが、億劫なものばかりだ。「モロイ」の朗読をはじめたのが、いけなかったのかもしれない。

演劇という、過去の幻影にとり憑かれていた。まだ、文章に己を託す覚悟はできていなかった。





2005.6.21(火)晴れ。薄い雲がかかっている。空の色は、淡い藤色。夏至。暑くなりそうだ。左目不調、それに、午後からは眼科診察。今日も、入間川歩行はお休み。

これといって、なにも思いつかない。無理して書くこともないだろう。時間まで、HPの製作でもしよう。





2005.6.23(木)小雨のち曇り。入間川歩行はお休み。

八時五十五分、親水公園南側の駐車場。朝から、アトリエでくすぶっていても仕方ない。そう思って、出てきた。左目は、まだよくならない。天気もよくない。写真を撮る気にはなれない。久しぶりに、車の中で、写真紀行でも書こう。

何ヶ月かぶりに、TECRAを使っている。去年、ワープロ用に買った、初期のノートパソコンだ。あまり活用されずに、机の上で待機させられていたが、今日、やっと出番が回ってきた。バッテリー駆動で、一時間以上は使えるはずだ。

今朝は、ふたつの誘惑に勝った。虚しさと寂しさ。人間を駄目にする、ギャンブルと女。

雨がやんだ。ぶらっと、菖蒲でも見に行こう。



小畔川流域、笠幡菖蒲園。





2005.6.25(土)晴れ。猛烈に暑い。番外、越生のアジサイ山公園。九時から十二時。

陽射しが、きつい。左目が、まだ本調子ではない。しかも、今年一番の暑さ。それでもなんとか、一番上の見晴台まで行く。

斜面のアジサイは、五分咲き。ゆるゆる登りながら、アジサイ色を堪能した。






2005.6.26(日)晴れ。今日も、猛烈に暑い。右目不調。入間川歩行はお休み。

頼みの右目に鈍痛。写真撮影どころではない。静かに過ごそう。





2005.6.28(火)晴れのち曇り。猛烈に暑い。番外、桶川のベニ花畑。九時から十一時。

期待はずれ。花畑が小さい。どれもこれも二、三反足らず。しかも、道路際にある。絵にならない。体調がよくないせいか、花そのものにも、興味がわかない。暑い中での、接写が億劫。けっきょく、一枚も撮らずに引き上げ。

さいわいにも、右目の鈍痛は消えた。だが、左目は、まだよくなっていない。それに、急な暑さで体調を崩している。体がだるい、元気がない。入間川歩行、写真、文章。やる気になるまで、待とう。


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