此岸からの風景 www.sekinetoshikazu.com since 2005

top photo essay gallery 花切手 blog biography contact

 Photo essay <入間川写真紀行>

2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012


2004.10.2(土)秋晴れ。入間川三番、釘無橋3(右岸)。八時半〜十二時半。

どうしたのだろう?言葉が出てこない。気持ちが浮ついている、というわけではない。モノを、つめて考えることができないんだ。億劫。ダラダラと、みたくもないテレビを見ている。とりとめのない時間がすぎていく。






2004.10.3(日)雨。入間川歩行はお休み。

少しは書こう。朝起きたときには、そう思っていた。ところがだ、パソコンの前に座ったとたん、気が変わった。中古デジカメの、ネット検索をやりだしていた。いま使っているデジカメと同じモノを、もう一台、あわよくば、1万円くらいで手に入れたい。スケベ心だ。

ちょうど、おととしの今頃、続けざまに、二台のデジカメを買った。一台は、200万画素の、小さなデジカメ。これは、友人が持っているのを見て、どうしても欲しくなり、衝動的に買った。たしか、3万円くらいだったと思う。しかしすぐに、もっといいのが欲しくなった。500万画素の、本格的なやつだ。とはいえ、手持ちの金が全然ない。10万足らずの金が、どうしても算段できない。

考えた。と、思いついた。押入れに、ニコンのレンズが眠っている。あれはたしか、11万くらいで買ったものだ。すこし迷ったが、ネットで査定をしてみた。3万円くらいだという。うなった。あと4万足らない。どうしよう?また、考えた。中野のカメラ屋の広告を、隅から隅まで、穴のあくほどながめた。すると、新品だが、型が古いので、投売りしているようなモノがある。6万なんぼだ。勇みたった。これならいけそうだ。

その晩は興奮して、よく寝られなかった。つぎの日、朝食もそこそこに、電車に飛び乗った。鼻息も荒く、開店そうそうの、カメラ屋の前に立った。小生意気な店員に、ニコンのレンズを叩き売り、その金で、500万画素のデジカメを買った。

はじめのうちは、型が古い、ということが頭にあって、あまり気に入らなかった。だが、使い込んでいくうちに、愛着がでてきた。色がきれいに撮れる。使い勝手もいい。

あとで知ったことだが、こいつは、世界で初めての、500万画素デジカメだった。手ごろな値段と、性能のよさがウケ、その年のベストセラーを記録し、数々の賞を総なめにしたのだという。ミノルタという、ぱっとしないカメラメーカーの、久しぶりのヒットだ。

値段だけにひかれ、ほとんど衝動買いしたようなカメラではあったが、かような来歴を知るに及んで、愛着の度は、さらに深まった。まさに、愛用のカメラとなった。ところが、酷使と酷暑に耐えかね、一年足らずで、ズーム管が故障した。華奢なつくりだから、致し方ない。しかしそれにしても、修理代が1万5千円、これが痛かった。

おそらく、この調子で使っていけば、近いうちに、また故障するだろう。そのときのためだ、もう一台、1万円くらいの中古があれば、買っておこう。そのほうが、修理するより安い。匹夫の考えそうなことだ。

ところが、検索を続けても、なかなかヒットしない。一件、同型に近いモノが、オークションに出ていた。ただし、2万7千円もする。相場を調べたが、やはり、高い。考えがあまかった。中古とはいえ、ディマージュ7を、1万円台で、手に入れることはできない。ふっと、熱が冷めた。やはり、今使っているモノを、とことん使おう。

2004.10.5(火)雨。入間川歩行はお休み。

デジカメに関しては、気持ちがすっきりした。とたんに、今度は、中古の、安いノートパソコンのことが気になりだした。1万円以下なら、まじめに考えてみよう。

今使っているノートパソコンは、去年の五月に買ったものだ。まだ、七、八回ほどローンが残っている。当時は、自宅にデスクトップがあった。ノートのほうは副機で、もっぱら車の中で使用していた。

ところがだ、今年の三月に、********。(このことは、もう思い出したくない)。そのとき、少し迷ったが、デスクのほうは、*******の置き土産にした。だから、アトリエで暮らすようになってからは、ノートPCを、家と車の両方で使うようになった。

先月になって、アトリエにインターネットを入れた。パソコンをデスクで使う時間が増えた。そのせいか、車の中での使用が、急激に減った。とたんに、持ち運びするのが、億劫になってきた。

メモリーカードも増えている。歩行の途中で、画像をパソコンへ移動することも、今ではほとんどない。となると、使うのは雨の日だけ。車の中で、暇つぶしに文章を書く程度だ。

入間川歩行のときには、パソコンを、車の中に置きっぱなしにする。そのことが、いつも気になっていた。川原で、車上荒らしにあうとは思えないのだが、一抹の不安が残る。それに、炎天下の車の中の温度だ。プログラムが飛んでしまうことだってあるそうな。

結局のところは、こうだ。ワープロと画像保管の機能を備えた、副機としての、ノートPCが欲しい。それも、安ければ安いほどいい。

「中古パソコン」で検索を始めた。いがいにも、すぐに見つかった。三千円台からある。どんなものなのか?CPUがペンタム133、メモリーが24MB、HDDが1.2G、とある。今使っているモノと比べると、ほとんど十分の一以下の性能だ。HDDにいたっては、論外だろう。さらによくみると、紹介文に、入力練習用と記されている。なるほどね、ワープロの機能だけは備えているわけだ。

すこし心が動いてきた。こんどは、メーカーの、東芝のホームページを開いた。過去にさかのぼって、件の機種を検索した。似たようなモノが、96年に発売されている。驚いたことに、当時の値段は、80万だ。うなった。

これで、かなり本気になった。もう、ほとんど購入する気になっている。ただし、ネットショッピングは初めてなので、多少の不安がある。販売元のページを開いて、よくよく確かめた。保障とかメンテナンスとか、いろいろなことが書いてある。かなりきめ細かな説明だ。少なくとも、バッタ屋のような感じはしない。ま、引っかけられたとしても、5千円前後の買い物だ。

いつもなら、ここで、今一度冷静になり、もうすこし調べてから購入するのが流儀だ。ただし、このときはなぜか、それをしないで、ぱっと、注文してしまった。朝からずっと検索を続けてきた。頭がすこしぼぉっとしていたのかも知らない。

注文し終えた。ひと息ついた。もう取り返しがつかない。はたして、どんなモノが届くのか?それからは、期待と不安で、落ち着かない日々を過ごした。おりしも、雨が続き、入間川歩行も滞っていた。

二、三日してから、待ちに待った、格安パソコンが届いた。夜遅くまで、動作確認やカスタマイズをした。わかったことは、こうだ。OSにウィンドウズ98が入っていて、ワード2000が使える。文章を書くのには、まったく支障がない。ただし、PCスロットを使っての、画像保存はできない。こちらの画像サイズが大きすぎて、処理に時間がかかりすぎる。一番心配していたのはバッテリーだが、これは幸いにも生きていた。二時間くらいは、バッテリー駆動で動きそうだ。あと、液晶画面がすこし色焼けしている。だが、文章入力に影響はない。外観もきれい。クリーニングで、使用痕跡が払拭されている。大きな傷もない。作りも、しっかりとしている。それどころか、存在感すらある。

あとでわかったことだが、こいつは、TECRA(テクラ)720CTといって、東芝が96年3月に出した、当時の、世界最高水準のノートパソコンだった。値段は、88万もした。愛着がわいてきた。大切に使うつもりでいる。





2004.10.7(木)晴れ。入間川歩行はお休み。親父の眼科付き添い





2004.10.9(土)朝から雨。入間川歩行はお休み。大型の台風22号、夕方には、関東地方を通過。

雨ばかりだ。入間川歩行が滞っている。かれこれ、一週間になる。写真も撮っていない。その間、いったい何をしていたのか?格安の中古パソコンを買った。動作確認やカスタマイズをした。それに、また悪い癖が出た。パチンコ。ただし今日は、朝から腰を据えて、写真紀行を書いている。いまさっき、先週の日曜日と火曜日の分を書き上げた。とりあえず、ノルマは果たしつつある。

しだいに、雨あしが早くなってきた。

木曜日の分は、二行で終わらせた。あとは今日の分。しかしまぁ、取り立てて、書くこともない。とはいえ、今日のことは、今日のうちに終わらせよう。それが原則だ。

「数息」が、完全に生活に定着した。それにくらべて、「説経節」のほうは、あれっきりだ。今の心境が、如実に反映されているようで、考えさせられる。

黙って座る。ただ数を数える。いとも簡単なことだ。しかしそれだけで、深い、精神的な安らぎを得ることができる。これが「数息」のいいところだ。一方、「説経節」を語るには、心身の集中力が要求される。かなりのエネルギーを使う。他者や社会への、積極的な態度も不可欠だ。

おもうに、いまの自分には、そうした態度がない。それどころか、体を動かすのが、億劫ですらある。人生の興味と関心が、己一身のことに限定されてきて、心身の安楽を、ただただ願っている。これが本音だ。

人生が、大きく、右に旋回している。





2000.10.10(日)台風一過。にもかかわらず、曇り。入間川二番、入間大橋1(橋上)。





久しぶりの、入間川歩行。とはいえ、気分はさえない。台風一過の、スカッとした青空を期待していたからだ。こういうこともあるさ。したかなしに、橋の上を歩いている。うすら寒い。

川が増水している。ゴルフ場が水浸しだ。これで、空に色があれば、気に入った写真が撮れたはずだ。まぁいい、まぁいい。たまには、体を動かそう。散歩だ。

少し迷ったが、境界を踏み越え、開平橋に入り込んだ。下は、荒川。こっちも、かなり増水している。川の水が、まっ茶色。ゴォ〜ゴォ〜音を立てている。

これまでは、土手と土手にはさまれた、入間川の川原だけを見て歩いていた。これだと、右岸はいいが、左岸は、いつも逆光になる。きれいな写真が撮れない。そこで、思い切って、川に背を向けてみた。西を向いたわけだ。すると、広々とした田園風景がひろがっていた。これが、けっこういい。

歩行の順路を確定したことで、川と川原に限定されていた視界が、流域にまで広がってきた。見過ごしていた景色が、目に入ってきた。今日だって、そうだ。気まぐれだが、テリトリー外の橋の上を歩いている。そのことに、心理的な抵抗がない。これも、入間川流域の景色だ。

長い橋だ。橋の向こうは、上尾市平方。大げさだが、文化圏がちがう。さすがに、あっちには、行きたいとはおもわない。この辺りから、眺めているだけで十分だ。





2004.10.12(火)曇り。入間川歩行はお休み。





2004.10.14(木)曇り。入間川歩行はお休み。





2004.10.15(金)快晴。久しぶりの青空。十一時、アトリエ。

さっきから、雑記帳2003(2)を読み返していた。昨年の今頃は、なにをしていたのか?ふと、気になったからだ。驚いたことに、パチンコの記述が多い。心は空っぽ。かろうじて、「随想」などを書きつないで、気持ちを紛らわせていたようだ。

あれから一年、気持ちは、今のほうが安定している。入間川歩行や写真紀行の執筆が、生きがいとなっている。

人間関係を、ほとんど絶った。だが、ヒト恋しくはない。ひとり住まいの寂しさも、克服した。*****、居候生活、これらも、なんとか、こなしている。それもこれも、自分がやりたいこと、やるべきことが、ちゃんとしたからだ。

芝居を断念することが、なかなかできなかった。それほどに深く、芝居は、人生に食い込んでいた。しかし、*****と健康状態をおもって、もう限界だと、自分に言い聞かせた。つらい日々が続いた。他人を、社会を恨んだ。悲しかった。

今年に入って、何枚か、気に入った写真が撮れた。青い空と青い川を、画面いっぱいに取り込んだ。入間川の風景写真だ。そしてとうとう、三月には、入間川写真紀行の執筆を思い立った。おりしも、人からの誘いを受け、写真展もやった。人づてに聞いたことだが、ワリと評判もよかったそうだ。

入間川歩行が、人生の「よすが」となっている。写真と文章に、人生の主力を傾けている。と、言いたいところだが、ここ何日かは、パチンコにのめっていた。アホがきわまっている。入間川歩行を再開せよ。(想念草子2004より)。





2004.10.16(土)曇り。薄ら寒い。入間川二番、入間大橋2(右岸)。九時〜十一時。

いつのまにか、川原一面に、セイタカアワダチ草が繁茂している。ただし、写真に撮るような景色じゃない。陽射しがないので、全体的に色がくすんでいる。とくに、アワダチ草の、黄色の花房がよくない。もわっとしている。





2004.10.17(日)秋晴れ。ぬけるような青空。入間川二番、入間大橋3(右岸)。八時半〜二時。

久しぶりに晴れた。九月の末から、ずっと天気がよくなかった。こんなことは、今までになかったことだ。写真紀行の執筆が滞ったのも、きっとそのせいだろう。そういうことにしておく。

何しろ、ほとんど書いていない。写真もろくなのがない。ふうっと、気がぬけて、ほかのことに興味が移っていた。それどころか、写真にも文章にも、懐疑的になっている。いくらやっても、駄目だ。うまくならない。へたくそだ。嫌気がさしてきた。とはいえ、ほかにやることもない。四の五の言わずに、決められた順路を歩けばいい。写真も文章も二の次だ。





土手の向こうに、煙突が見える。手前では、アワダチ草たちが、風になびいていた。

土手下の道に車を止めた。うしろは、下老袋の木立。外に出る。風が冷たい。ウィンドブレーカーを、上下着込む。軽登山靴の紐をぐっと結び、リックを背負った。やる気になっている。なにせ、久しぶりの青空。気分はいい。






2004.10.19(火)朝から雨。入間川歩行はお休み。

土手の上。対岸には、川島の煙突。車の中で、ゆっくり文章でも書こう。そうおもって、朝、いつもの時間にアトリエを出て、まっすぐ、ここに来た。

TECRAのカスタマイズもほぼ終了した。今日は、本格的に文章を入力してみよう。

ほぼ二時間、バッテリー駆動で、使用できた。ただし、残量10パーセントをきったあたりで、突然、警告音が鳴り出し、画面が消えた。すぐに、車のAC電源で、充電したものの、なんだか様子が変だ。元の画面に戻るのに、相当時間がかかった。仕様書の注意書きに、バッテリーが消耗すると電源が入らない、とあったが、このことかもしれない。

依然として、雨はやまない。ほん降りだ。十一時半、引き上げ。車を運転しながら、取り留めなく考えた。はじめのうちは、おもしろがって、足取りなどを詳しく書いていた。ところが、あとで読み返すと、全然おもしろくない。どこを、どう歩いたのか。そのとき、なにを想い、なにを感じたのか。そんなことに、たいした意味はない。お得意のアリバイ工作を、またやっている。

それでは、ほかに、何か、書くことがあるのか。いいや、とりあえずは、なにもない。ろくに書くこともないのに、ノルマだ、ということで、文章をでっち上げている。これで、本当にいいのだろうか。じつに疑問だ。

十二時帰宅。昼食もそこそこに、写真紀行の制作。といっても、写真を並べるだけ。文章のほうは、かなり手を抜いている。いや、ろくでもないことを書くよりは、そのほうがいいかもしれない。

あ〜あ、まだ、半年もたたないのに、もう飽きている。なかだるみ。しかしながら、こんなところで、ギブアップするわけにもいかない。なにせ、先は長い。





2004.10.21(木)朝のうちは小雨。午後からは、台風一過、晴れるだろう。

土手で待機中。場所は、川島の煙突の真向かい。九時半頃、ここに着いた。いつもの時間にアトリエを出て、途中、何枚か写真を撮っていた。外秩父の山並みに、雲がたなびいている。なんともいい。

川が増水している。とくにこの辺りは、越辺川との合流点なので、水かさが増している。そのためか?近くの百姓どもが、河川敷の耕作地を、心配そうに見回っている。それに、さっきから、水辺付近に、でかい四駆と軽トラらが止まっている。立ち往生しているのか。いや、どうも様子がおかしい。気にして見ていると、そのうち、長靴のオヤジどもが三、四人集まってきた。

釣り人のようだ。しかし、なんでまた、あんな所に止まっていたんだ。濁流が、すぐそこまで来ている。釣りどころじゃないだろう。なんか胡散臭い。そう言えば、先日も、あのでかい四駆は、あの場所にいた。ま、どうでもいいことだ。

外が、少し明るくなってきた。だがまだ、雨がぽつぽつ降っている。もうすこし、待機だ。

三時。この間、いろいろなことがあった。でかい蛇との遭遇。車を田んぼにはめる。難儀しているところを、長靴の若い女性に助けられる。車の掃除。そして、青空。






2004.10.23(土)晴れ。昼から、急に雲が出てくる。入間川二番、入間大橋5(左岸)。九時から二時。






2004.10.24(日)快晴。入間川二番、入間大橋6(左岸)。九時から二時。

初めての土手道。農村風景。火の見櫓を見つけた。






2004.10.26(火)雨。入間川歩行はお休み。

いまは、十時二十五分、左岸、釘無橋の下にいる。

いつもの時間にアトリエを出た。芳野台の煙突の横を抜ける。土手に上がり、出丸橋を渡る。下見がてら、左岸の土手道を、川カミの釘無橋まで流してみよう。

雨粒のついたガラス越しに、土手下の農村風景を眺める。刈り取りの終わった田んぼ。道路をはさんで、民家が点在している。さらに行く。田んぼの中に、朱色の屋根の、小さなお堂が建っている。ブロックで囲われた、大きな共同墓地もある。晴れていれば、まちがいなく、カメラを向けている景色だ。

牛舎もあった。二棟、道路に面している。中の牛どもは、横になって、口をもぐもぐさせている。みんな、シロとクロのぶちだ。

土手は、砂利道で狭い。車のすれ違いができないほどだ。うかうか、浄水場まで来てしまった。でかい水門の前。路肩に車を止め、外に出る。振り返って、いま来た道を眺める。

河川敷側の土手下には、溜池と雑木があった。それらは、ずうっと、土手に並行している。雑木は、対岸への視界を遮り、ドブのような溜池には、家電などが投げ捨てられている。うっとうしい景色だ。

この辺りの、広大な河川敷耕作地は、意外にも、民有地らしい。ところが、農業の後継者が居ないので、どんどん荒れ果てている。先日、出丸橋付近で、小豆の収穫をしていたおじさんから聞いた話しだ。

水門の下におりた。ぬかるんだ農道を、進んでいく。すぐに行き止まり。しかたなしに、回転。タイヤを、泥田に落とさないように、神経を使う。そんなことを、何度も試みる。だが、どうしても、水辺に辿り着けない。

小雨が降っている。原野のような河川敷耕作地。人っ子一人いない。





2004.10.28(木)快晴。入間川二番、入間大橋7(左岸)。九時から二時半。

釘無橋を渡り、左岸の土手道に入り込む。少し行って、河川敷へおりる。広いグランドの前。川越市内の女子高の運動場らしい。看板がたっている。こざっぱりしている。

ぬけるような青空。気持ちがいい。ゆっくり時間をかけ、あたりを歩こう。

土手に上がった。清掃工場、浄水場、それに、オブジェのようなリサイクルプラント。じっくり眺めた。それから、水路に沿った道を歩いて、とうとう、水辺にまで達した。川は、少し濁っていたが、おもいのほか、水量は豊富だった。

こんどは、土手を川シモへ向かって歩き出した。今しがた、除草作業が終わったようだ。草の匂いがする。

風が少し冷たい。最高の歩行日和だ。





2004.10.30(土)朝から雨。入間川歩行はお休み。九時十五分、左岸、釘無橋の、途切れた土手の上。

朝、いつもの時間にアトリエを出る。今にも降り出しそうな空模様。にもかかわらず、川原のいたるところに人影。ゴルフの練習、釣り、犬の散歩、農作業、橋の下にはホームレス。それから、川原道の行き止まりに、野良猫の親子。子猫が三匹、あとは、親猫らしいのが二匹。真っ白いのと、うす茶色のやつ。子猫たちは元気だが、親猫たちは、なんとなく目が変。おそらく病気だ。

誰かが餌をやったとみえて、キャットフードの缶などが置いてある。少し迷ったが、ポテトチップスを持っていたので、あげることにした。

袋をもって近づいていくと、すぐに、猫たちがすり寄ってきた。地べたの食品トレイに、ばらばらっとまいてやる。ところが、匂いをかいでいるだけで、食べようとはしない。ま、しょうがない。

鉛色の空を見あげた。とうとう雨だ。車に戻ろう。少し行きかけて、振り返った。茶トラの子猫が、ちゃんとおすわりして、こちらを見ている。目がくりくりしている。一瞬、つれて帰りたいと思ったほどだ。

子供の頃には、捨てられた子猫がかわいそうで、よく拾って帰ったものだ。あのときに比べれば、気持ちが強くなっている。いや、野良猫より、自分のほうが、よほどかわいそうだ。今では、本気でそう思っている。

エンジンをかけた。車の下に入り込んだ子猫が、しっぽを丸めて出てきた。その後から、いつ入り込んだか、耳の先がただれた、白い親猫が出てきた。二匹そろって、家族のいる、元の場所へと戻っていく。その後姿を見守った。気持ちが和んだ。

念のために、車の下をのぞいた。猫はいない。さあ〜てと、引き上げだ。久しぶりに、橋の下で、文章でも書こう。





2004.10.31(日)曇り。入間川二番、入間大橋8(左岸)。九時から二時。





気分が乗らない。天気がよくないからか?それもある。
なるほど、飽きたわけか。

雨上がりの河川敷耕作地。廃車は、ダッツァン。
面白半分に、運転席の中をチラッと見た。
シートが、めくれあがっている。中の詰物が露出している。
透明な、細い糸が、絡まりあっている。うぅ〜、気味が悪い。

逆光だ。空が、白く飛んでいる。なに、かまうものか。
ほかに、撮るものなんかない。

オカメどんぐりが、いっぱい落ちていた。ふぅっと、見上げる。
たしか、櫟、というお名前でしたよね。





2004.11.2(火)晴れ。入間川歩行はお休み。理由は、書きたくない。





2004.11.5(木)秋日和。ぬけるような青空。入間川一番、上江橋1(橋上)。九時から二時。





写真のタッチを、少し変えた。これまで以上に、好き勝手にさせてもらう。なにしろ、良し悪しをきめるのは、自分だ。自分が納得しなければ、意味がない。とはいえ、その「自分」が、なんとも頼りない。ほとんど、内実がない。それなのに、思想写真、哲学写真、などと強弁している。





2004.11.6(土)曇りのち晴れ。入間川歩行はお休み。理由は、書けない。





2004.11.7(日)晴れ。まずまずの青空。入間川一番、上江橋2(右岸)。九時半から二時。

ろくな写真がない。いい天気だったのに、撮りそこねた。ま、それでも、歩行だけは果たした。気分は、さほど悪くない。

入間川と荒川との間、高い土手の上。ここは、サイクリングロードになっている。車は通れない。のんびり歩こう。

休日とあって、ひっきりなしのサイクリング車。両側のゴルフ場にも、たくさんのゴルファー達。水辺にも、釣り人が居て、時々、小さなエンジンをつけた、一人乗りの舟が、入間川をさかのぼっていく。そのたびに、深い緑色の川面に、大きな波紋が起きる。

入間大橋の脇、モトクロス場付近が、人と車でごった返していた。大会があるようだ。いまは、少し冷たい風に乗って、レースのアナウンスが、手に取るように聞こえてくる。

それぞれの人間が、秋日和の休日を、それぞれに楽しんでいる。リックを背負った、あのサングラス野郎は、鳥でも撮っているのだろうか?





2004.11.9(火)晴れ。まずまずの青空。入間川一番、上江橋3(右岸)。九時から十二時。

高い土手の上を歩いている。逆光。遠くの橋が、かすんでいる。ふと思いついて、土手をおりた。ここは荒川の河川敷。砂利道があり、向こうには、モトクロス場がある。気になっているのは、道路際のシャベルカー。産廃の小山の上で、野ざらしになっている。昔なら、すぐにも近づいて、撮っていた。ところが、いまはちがう。チラッと見ただけで、背中を向けた。休耕田のぬかるんだ畦みちを、水辺へ向かって歩いている。遠目から、ゆっくり、眺めよう。

十一月に入ったのに、暑いほどだ。最高気温が、二十度をこえる日が続いている。十月中旬の陽気らしい。





2004.11.11(木)曇り。入間川歩行はお休み。親父の眼科付き添い。





2004.11.13(土)晴れ。木枯らし一号が吹く。入間川一番、上江橋4(右岸)。九時半から一時半。





朝のうちは、木枯らし一号が吹いたせいか、抜けるような青空だった。外秩父の山並み、さらには、武甲山までもが、手に取るように見えた。ところが、十一時をすぎると、南西方向から、巨大な雲の塊が、次から次へと押し寄せてきた。陽が翳り、青空が、あっという間に見えなくなった。とたんに、世界は輝きを失い、あたりには、薄ら寒い景色が広がっている。さかんに露出を調整したが、だめだ。ウデがない。気分も、一気に急降下。もう撮る気がしない。





2004.11.14(日)曇り。寒い。入間川歩行はお休み。

曇りの日には歩かない。そう決めた。強がることはない。雨の日同様、曇り日も、車の中で文章を書こう。それに昼寝だ。





2004.11.16(火)晴れ。午後からはスカッとした青空。入間川一番、上江橋5(右岸)。九時半から一時半。

土手下の、刈り取りの終わった田んぼ。久しぶりに、手漕ぎポンプを撮った。

写真を撮り始めた頃、一時、さかんに撮ったことがある。たしか、このあたりにも、撮りに来たはずだ。





ある時、生まれ育った、前野町の三軒長屋に、威勢のいい井戸掘り職人達がやってきた。泥だらけになって、家の裏手に井戸を掘った。その井戸端に、真新しい手漕ぎポンプが取り付けられた。

興味津々、目を輝かせて、近づいた。誰かに促され、おそるおそる、取っ手をつかんだ。力いっぱい、ぐいっと押した。水があふれ出た。わけもなくうれしい。げらげらと、笑い転げた。





2004.11.18(木)曇り。入間川歩行はお休み。





2004.11.20(土)晴れ。秋日和。入間川一番、上江橋6(右岸)。九時半から二時。





画像に「題」をつけ始めた。もっとも、以前から、公開アルバムの画像には、「題」をつけていた。だがこれは、かなりいい加減だった。たとえば、「青い用水路」。まさに、そのものズバリ。「題」というよりは、言い換えだ。同義反復。これは、トートロジーといって、ほとんど意味のないことだ。

もうすこし、センスのいい「題」をつけられないものなのか。ところが、センスがない。いいや、「センス」などという、上っ面の感覚を軽蔑している。それならば、「題」などはつけずに、放っておけばいい。「符号」としての、何か、わかりやすい文言をつけるだけでいい。ま、開き直っていたわけだ。

ところが、先日、「哲学写真」、などという言葉を思いついた。ふいに、写真と文章の、あらたな方向性が見えてきたわけだ。こうなると、これまでの、あまりにもいい加減な「題」のつけ方が、鼻についてきた。いや、「題」をつけるのにも、頭を使おうとおもった。けっか、「青い用水路」は「清清」となった。画像を見ているうちに、思いついた言葉だ。多少は、よくなったのだろうか。





今日で、一回目の、入間川歩行が終了した。明日からは、入間川二十六番からの、逆打ちになる。戻って来るつもりではいるが、先のことは、だれにもわからない。





2004.11.21(日)晴れ。小春日和。入間川二十六番、飯能河原。九時から一時半。






2004.11.23(火)晴れ。小春日和。入間川歩行はお休み。理由は、書きたくない。





2004.11.25(木)晴れ。小春日和。入間川歩行はお休み。理由は、書かない。





2004.11.26(土)晴れ。ぬけるような青空。入間川歩行はお休み。理由は、書きたくない。





2004.11.28(日)晴れ。ぬけような青空。入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。九時から十一時。

途中、中橋、阿須運動公園、八高線鉄橋を撮る。ところがだ、現地に着いたとたん、どっと疲れがでた。どうしたのだろう。歩く気になれない。

もう、いいだろう。隠す必要もない。

ここのところ、パチンコにのめって、入間川歩行をサボっている。久しぶりの大勝に、神経がたかぶり、よく寝られなかったほどだ。

晴れの日には入間川歩行。雨、曇りの日にはパチンコ。自分と交わした密約さえ守れない。そのことで、罪悪感を感じている。寝つきが悪く、体調もよくない。

パチンコへの誘惑が強く、それに抗することができない。葛藤している。このまま、入間川写真紀行が頓挫してしまうのか。不安でもある。

あぁぁぁ〜、もう聞きたくない。入間川歩行よりも、パチンコのほうが面白い。いまは、そんなふうに思っている。ならば、パチンコをやるべし。罪悪感なんかは吹っ飛ばせ。スカッとしよう。

というわけで、入間川写真紀行は、当分の間、開店休業。また、歩きたくなったら歩く。撮りたくなったら撮る。書きたくなったら書く。






2004.11.30(火)曇り。眼科診察のため、入間川歩行はお休み。

今日で十一月も終わり。月の半ばからは、パチンコに入れ込んで、入間川歩行をサボっている。スッテンテンになるまで、やめられそうにない。

歩行を断念したわけではない。ちかいうちに、必ず、戻ってくる。





2004.12.2(木)晴れ。寒い。ぬけるような青空。入間川歩行はお休み。

八時半、小畔公園の駐車場。絶好の写真日和だというのに、パチンコ屋の開店待ち。もっとも、この寒い中、川原を歩くのは、かなり億劫だ。

パチンコがなければ、おそらく、飯能方面へ、車を走らせていたはずだ。さしずめ今日は、入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。

河原の、河岸段丘の上に立ち、川カミの紅葉にカメラを向けていたかもしれない。あるいは、高い崖の階段を昇り、逆光に手をかざしながら、対岸の景色を眺めていたかもしれない。そんなとき、秩父颪が吹きぬけていく。頬や耳たぶが冷たい。青空。憂いが、天空に立ち上っていく。

さもありそうなことだ。しかしながら、今日はパチンコ。いや、今日もパチンコ。ゲンを担いで、財布には、万札が二枚、逆さかに入っている。





2004.12.4(土)晴れ。多少雲がかかっている。入間川歩行はお休み。理由は、パチンコ。

けさがた見た夢を、「想念草子」から転記しておく。

体育館のようなところ。ジュラルミンケースがたくさん置いてある。設計図を見ながら、組み立てている。ところが、完成まぢかで、上のほうから崩れる。下に並べたケースが押しつぶされる。光が出る。その瞬間、ズボンのポケットのあたりが黄色くなる。中の携帯が破損している。放射能が出ている。急いで取り出し、川向こうの土管の中へ投げ込む。何とかしなくては、とあせる。マンションの、長い廊下をかけていく。

屋上のようなところ。ディーラーの先輩セールスたちがいる。みんなでゴルフに来ている。だが、人数がそろわない。またの機会、ということで引き上げる。みな、屋上から、建物の中へ入っていく。上司に言い訳をしにいくようだ。自分だけは、脇の階段から下に降りる。後ろで、あいつはどうした、などという声が聞こえる。

図書館のようなところ。秒針の音がする。館内に響き渡るほど、大きな音だ。あせって、ポケットからポケベルを取り出す。すぐに電池を抜く。そのときに、少し手を汚す。放射能が漏れている。気が動転する。

入間川歩行を棚上げにして、パチンコにうつつを抜かしている。罪悪感が、夢に反映されている。開き直ったつもりだが、実はそうじゃない。やましさは、払拭されていない。

歩行よりは、パチンコのほうが面白い。確かなことだ。とはいえ、これは、条件付の面白さだ。かなり危うい。危険ですらある。だから、心から楽しんでいる、というのではない。それに、負い目も感じている。安逸なほうへ流れている。それでいいのか。と問い詰めてくる奴もいる。気持ちの上では、スカッとしたつもりだが、じつは、そうじゃない。心の中は、ぐちゃぐちゃだ。





2004.12.5(日)晴れ。不安定な空模様。入間川歩行はお休み。理由は、パチンコ。

昨晩は、季節はずれの嵐。

不定形の巨大な雲が、大空に展開している。隙間から、神々しいまでの青空。実にすがすがしい。とはいえ、今日も公園の駐車場で、パチンコ屋の開店待ち。なんとも複雑な気分。いっそのこと、このまま入間川に出るか、とも思う。だが、今はまだ、機が熟していない。パチンコのことが頭から離れない。

また、なんのわだかまりもなく、雲の流れに同調できるようになるのだろうか?おもいっきりの寂しさが、天空に立ち上っていく。そんな感覚が好きだ。あせることはない。





2004.12.7(火)冬晴れ。今日もぬけるような青空。入間川歩行はお休み。理由は、・・・もう書かなくてもいいだろう。

以前から、ホームページを持ちたい、という思いがあった。写真や文章を公開してみよう。とはいえ、カネの問題、あるいは、制作の手間ひまを考え、いつも二の足を踏んでいた。それが、どうしたのだろう?急に、制作会社のネット検索を思い立った。これもまた、罪悪感のなせる業なのか?検索を続けた。





2004.12.9(木)曇り。いまにも降り出しそうな空模様。入間川歩行はお休み。

曇りの日はホッとする。歩行を休む、大義名分があるからだ。しかしながら、これは、おかしいだろう。少し前なら、鉛色の空を見上げて、ため息をついていた。入間川に出たところで、きれいな写真は撮れない。薄ら寒い川原を歩いたところで、なんの面白味もない。気分が滅入る。だが、ほかに行く所もない。やることもない。我慢して、歩くしかない。

しかしながら、こんなことは、長く続かなかった。厭なことは、やらなくてもいい。そうつぶやいて、自分を懐柔した。そしてとうとう、密約を交わした。晴れの日には入間川歩行。雨、曇りの日にはパチンコ。

気晴らしと暇つぶしをかねた趣味、そう割り切って、また、パチンコをやりだした。ま、ここまでは許せる。問題は、この先だ。久しぶりの大勝に、脳細胞が、えらく興奮してしまって、入間川歩行のことが、頭から吹っ飛んでしまった。その結果、絶好の写真日和だというのに、朝からパチンコ屋に入り浸っている。なんとも情けない話だ。

人知れず、入間川を歩き、だれに見せることもない写真を撮り、文章を書く。もうひとつは、スッテンテンになるまで、ギャンブルにのめる。そして最後には、小汚いアパートで、一人さびしく死んでいく。あんたは、どっち人生を選ぶのか?いやいや、どちらの人生も、徹底できない。行ったり来たりだ。迷いに迷いを重ねる人生だ。





2004.12.11(土)冬晴れ。ぬけるような青空。入間川歩行はお休み。

無料のホームページサービスを使い、とりあえずは、自分のWebサイトを持つことができた。そのトップページは、やはり、この「入間川写真紀行」だった。もっとも、容量が少ないため、画像は掲載できない。苦肉の策として、ニコンの公開アルバムを、リンクする形をとった。だから、フォトエッセーとしての写真紀行は、画像と文章とが別々になり、中途半端なものになった。ま、これは、いたしかたない。なにせ、金はかけない、さりとて、ホームページ作りの技量があるわけでもない。右も左もわからないまま、とりあえず、ということではじめたことだ。

暇を見つけて、ゆっくりとやるさ。





2004.12.12(日)曇り。寒い。入間川歩行はお休み。

昨晩、誤った操作により、想念草子2004(12)のファイルを駄目にしてしまった。ホームページにアップロードするため、メモ帳なるものへ、コピーしようとしていた時だ。操作がうまくいかないので、ごちゃごちゃやっていたら、文章すべてが、変な記号に変わってしまった。もしやと思い、オリジナルを点検した。案の定、こっちも変換されている。正直言って、あせった。

夜中だったが、時間も忘れて修復を試みた。でもだめだ。ええ〜い、めんどくせえ〜。一時は、ファイルをあきらめかけた。だが、今一度冷静になり、修復の方法を考えた。とりあえず、月曜日に、サポートセンターに電話を入れ、泣き付いてみよう。わずらわしいが、それしかない。

想念草子2004(12)に、なにを書いたのか?どのくらいの分量だったのか?すぐには思いつかなかった。だから、なおさら後悔したのだと思う。それにしても、これが、写真紀行のファイルでなくて、本当によかった。

想念草子も写真紀行も、自分にとっては、ともに大切な文章だ。人生の時間を、不遜にも、そこに刻印しようとしている。いわば、「天空にバラをさす」ような行為だ。ファイルの削除は、その行為の痕跡すら失うことで、これは、耐え難い。いや、あまりにも悲しすぎる。

夜中の三時だ。部屋の明かりを消し、冷たくなったベットにもぐりこんだ。その瞬間、あっ、と心の中で叫んだ。もしかしたら、ワープロがわりに使っている、TECEA用のフロッピーにコピーしてあるかもしれない。そうだ、たしかに、コピーしたはずだ。

飛び起きた。バックからフロッピーを取り出した。パソコンの電源を入れ、横っ腹に挿入した。あった。ファイルは無事だ。胸の辺りで、わだかまっていたものが、すうっと、腹のほうへおりていった。気分がよくなった。





2004.12.14(火)晴れ。雲が多い。入間川歩行はお休み。

写真は撮らない。さりとて、入間川を歩くこともしない。それなのに、写真紀行に書いている。ここで、筆を止めたら、本当に終わってしまう。そんな不安があるからだ。

本来なら、想念草子に書くべきことを、ここに書いている。したがって、想念草子のほうが、お留守になっている。いや、じつを言うと、ゆっくりモノを書く態勢にない。物理的な時間もないが、それよりも、心が乱雑になっている。徒然、パソコンに向かうということがないわけで、文章が書けるわけがない。それもこれも、パチンコのせいだ。わかっている。わかってはいるが、どうにもならない。

寒風をついて、入間川の川原を歩く。どうしても億劫だ。





2004.12.16(木)晴れ。入間川歩行はお休み。

ぬけるような青空。外秩父の山並みが、手に取るように見える。それなのに、パチンコ屋の開店待ち。まったく!と、いいたい所だが、最近、徐々に罪悪感が消えつつある。青空が、今朝はもう、他人事。大切なものを見過ごしている、とは思わない。

善悪の物差しで計れば、よくない事だ。正誤の基準からすれば、完全に間違っている。しかしながら、煩悩を断ち切ることができない。抑圧すれば、欝になる。それがこわい。だからいまは、成り行きに任せるしかない。自己正当化だ。言い訳をしている。





2004.12.18(土)晴れ。朝は冷え込む。入間川歩行はお休み。

どのみち、今のところは、歩く気になれない。せめて、頭の中にイメージだけでも思い浮かべてみよう。

入間川二十四番、加治橋から矢川橋。

飯能方面へ向かう。仏子の中橋を渡り、阿須運動公園の脇を通り過ぎる。八高線の高架をくぐり、信号を右折する。すぐに加治橋。橋際から、川原へと下りたい。だが、橋の下にはホームレスの小屋がある。朝から、むさくるしい光景を見たくない。だから、車は林業センターの裏に止める。流れに沿った桜並木の道だ。

加治橋の上から、川カミを眺める。すぐそこで、成木川と合流している。対岸には、コンクリの、がっちりした護岸。造り酒屋などが見える。ま、写真に撮るような景色でもない。

バカらしい。やめよう。





2004.12.19(日)晴れ。入間川二十五番、飯能大橋と矢久橋。九時半から十一時。

歩行を再開する。

車を運転しながら考えたこと。(歩行>文章>写真)を(文章>写真>歩行)に変更する。

寒い中、我慢して、かわっぺりを歩くことはない。いつのまにか、入間川歩行が苦行になっていた。生真面目な性格が災いして、自分で自分の首を絞めていた。

四国巡礼を敷衍して、入間川歩行を思い立った。だが、実行するにあたり、もうすこし、心身の状態を考えてもよかった。なにがなんでも、決められた順路を歩く。観念が硬直している。

体調がよくない。気分が乗らない。そういうときには、融通を利かせる。もっと自由自在であっていい。辛いことは、長続きしないわけで、これは、十二分に承知していたはずのことだ。

たとえば、また、四国を旅することがあるとすれば、それは、季節の良い、春か秋だ。真夏や真冬に、巡礼しようとは思わない。もっとも、必死の覚悟で、炎天下、寒風を突いて歩いている遍路者はいる。しかし、どう考えても、それは、自分の流儀ではない。となれば、入間川歩行だって、同じことだ。寒い中、無理して歩くことはない。

歩行や写真は、天候に左右される。文章には、それがない。とはいえ、気持ちに一番左右されやすいのが、文章だ。ただし、書くことで、気分を変えていくことができる。最近つかんだ、コツのようなものだ。

静かな部屋でパソコンに向かい、どうでもいいようなことを言葉にしていく。現況の心身状態をおもえば、これが一番、安楽だ。






2004.12.21(火)晴れ。ぬけるような青空。寒風。入間川二十四番、加治橋から矢川橋。九時から十二時。





寒くなると、川の色が青くなる。これは気のせいなのだろうか?いや、そうではない。科学的な事象だ。空気が澄んでいるとか、太陽の位置が低いとか、そういった、自然現象に由来することだ。

また、入間川に戻ってきた。もう、生真面目な歩き方は、よそうと思う。散歩がてらの写真撮影。気ままにやろう。心身の健康のためだ。

水辺に近づいた。久しぶりに、川の中をのぞいてみた。驚くほど、水がきれいだ。勢いもいい。誰に憚ることもなく、その場にしゃがみ込んだ。待望の、青い空と青い川だ。





2004.12.23(木)晴れ。入間川歩行はお休み。お袋の介護。

ホームページのトップ、入間川写真紀行の文章を、頻繁に差し替えている。どの時期から掲載するべきか、迷っている。

三月から書き始め、クリアブックに六冊、A4用紙で、240枚もの原稿だ。むろん、すべてを掲載することはできない。HPの容量がないし、それに、何万字もの文章を、打ち込む気にもなれない。

はじめは、キリのいいところで、十二月の頭から、と考えた。二、三回分書き込んだのだが、パチンコの記述ばかり。トップを飾る文章としては、いささか弱い。次に、十月の頭から、と決めた。書き込み始めたが、たまたま、長い文章だったので、一度には打ち込めない。適当なところで区切りをつけ、その日はページを閉じた。なんだか中途半端な感じだ。

毎日、少しでも、書き込みをするつもりでいる。今日は、その続きを打ち込むはずだった。でも、ふと、ひらめいた。(抄)という形をとろう。これならば、冗長なもの、生硬なものは、掲載しないですむ。

もっとも、ホームページに掲載したとしても、ほとんど、読まれることのない文章だ。神経質になることはない。とはいえ、おかしなもので、不本意なものは見せたくない、と思いはじめている。見栄がでてきた。

本棚に、黒い背表紙のクリアブックが並んでいる。近くのスーパーで、一冊、二百円足らずで買ってきたものだ。たまに開いて、ぱらぱらと拾い読みをする。写真も文章も、人に見せるほどのものではない。ため息が出る。この程度のものに、人生の主力を傾けているわけだ。天から与えられた時間を、浪費しているようにも思う。その、無残な残骸の一部を、ホームページに公開している。どういうつもりなのか、正確なところは、自分でもよくわからない。





2004-4  2004-4.5  2004-5.6  2004-7  2004-8.9  2004-10.11.12



2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012


此岸からの風景 www.sekinetoshikazu.com since 2005

top photo essay gallery 花切手 blog biography contact

Written by sekinetoshikazu in Kawagoe Japan.
Copyright(C)2018 Sekine Toshikazu All rights reserved
.

inserted by FC2 system