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 Photo essay <入間川写真紀行>

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2004.5.11(火)晴天。陽射しが強くて暑い。久しぶりの青空。

ここのところ、かなり無理をしている。撮影と執筆に入れ込みすぎだ。完全にオーバーワーク。このままではダメだ。つぶれてしまう。

あれやこれや考えた。その結果、作業内容を(写真>文章)から(文章>写真)に変更することにした。つまりはこうだ。一回の写真撮影を、そのつど、文章によって完結していく。文章は長くても短くてもかまわない。写真は、気に入ったものがあれば挿入する。なければ、挿入しない。

どうでもいいことを、言葉にしていくことが好きだ。散歩がてらの写真撮影で、見聞きしたことを書き記す。思ったこと、考えたことを、衒いもなく書き写していく。これが『入間川写真紀行』の主題だった。写真にこだわりすぎていたんだ。

八時半には、右岸、川越橋脇の土手にいた。肩の荷がおりて、心身ともにすっきりしていた。今日は昼から、横浜のギャラリーへ行く。Hさんとの二人展の初日。だから、少しだけ、というつもりで歩きだした。何しろ、天気がいいんだ。

久しぶりに、川越橋の上を歩いた。上流の、青い川越線鉄橋がよく見える。それにいつのまにか、川原が緑で覆われている。ちょっと残念なのは、山並みがぼぉっとしていることだ。とはいえ、これまでで一番の眺めだ。

先ほどから、土手下の道に、自転車が止まっている。その横に、灰色の背広を着た中年が座り込んでいる。ひげが濃くて、メガネをかけている。川のほうを眺めながら、ジュースを飲んだり、タバコをふかしたりしている。中学の、うだつの上がらない国語の教師、という感じだ。もう、九時ちかいわけだから、あきらかに遅刻。仕事のことか、家庭のことか、はたまたギャンブルにのめって、借金でもこしらえたのか、とにかく、なにか悩み事があるようだ。ま、俺の知ったことではないが、たのむから、朝の、爽快な川原の雰囲気をこわさないでくれ。あんた周りだけが、えらく陰気だぜ。

橋の半ばまで行き、戻って来た。今度は、土手を川カミへ向かって歩こう。そう思ったとたん、対岸の土手下の道を、なにかが、ぞろぞろ動いているのに気づいた。目を凝らすと、どうやら、小学生の遠足だ。色とりどりの帽子やザックが、緑の土手にはえている。行儀よく、一列になり、川カミの方へ移動している。これはと思い、撮り出した。来るわ、来るわ、後から後から、まるでアリンコの行列だ。こんな光景は、はじめてだ。

土手の上は、陽射しが強くて、暑い。それでも、いつの間にか、東上線の鉄橋にまで来ていた。ここで、土手がいったん、途切れる。下の自転車道におりて、鉄橋の下をくぐり、また土手に登った。サングラスと帽子で、紫外線対策をしているつもりだったが、これじゃ全然だめだ。ヨコからの陽射しで、頬のあたりがじりじり焼けている。四角い枠の水深計まで、なんとか、行列を撮りながら歩いたが、もう限界だった。立ち止まった。長い長い行列の先頭を、目で探した。ちょうど、カミの初雁橋を渡っている。最後尾は鉄橋の下あたりだ。いったいどこまで行くのだろう。元気なアリンコの行列を、土手の上から見送った。





暑さにまいっていた。鉄橋下の護岸が、かろうじて日陰になっている。ひと休みしよう。周りでは、おじさんたちが釣りをしている。元気なもんで、何人もいる。おりしも、鉄橋の上を電車が走り抜ける。ものすごい音だ。これじゃあ、だめだ。おちおち休んでいられない。すぐに立ち上がった。自転車道を、シモの川越橋のほうへ向かって歩き出した。平日のせいか、誰もいない。ほとんど貸切状態。道の真ん中をずんずん歩いた。自転車道は、橋の手前でU字カーブしながら、土手の斜面を登っていく。こっちは、斜面の、踏み固められた小道を、垂直に登った。おっと、背広の中年がいない。あらためて、辺りを見回した。きれいなもんだ。時計を見た。十時だ。あきらめて出勤したのかな。

車の中がむっとするような暑さだ。窓を開け放って、橋を渡った。そして、左岸側の、川越橋の下へ行った。日陰になった護岸の上に車を止め、時計をみた。十二時過ぎの電車に乗ればいい。まだ時間があった。窓を開けたまま、画像を入力した。それにしても暑い。これからはもっと暑くなるだろう。カンカン照りの中、きちっと帽子を被ったとしても、とうてい、散歩気分では歩けない。と、そのときひらめいた。日傘だ。傘をさして歩けばいい。運転席の横に、いつも一本置いてある。さっそく開いた。ブルーの傘をさして、陽射しの中を少し歩いてみた。これは十分に使える。

何年か前、まだ軽トラの運転手をしていた頃のことだ。この近辺の道で、何回か、変なヤツに出会った。そいつは、あろうことか、白塗りに真っ赤な口紅をつけていた。真夏のカンカン照りの中、黒い帽子、黒い服、黒いこうもり傘をさして、自転車に乗っていた。まるで、別役芝居の登場人物だ。

若い男だったような気もするが、はっきりはしない。見たとき、一瞬、自分の目を疑った。気が狂っている、と思った。でもそうじゃない。あれは、強い陽射しを避けるための方策だ。カンカン照りの中、食料を探して、ほっつき歩くためには、どうしたって、こうもり傘が必要だったんだ。それに、ひょっとしたら、陽射しに弱い体質だったのかもしれない。

あいつの姿を最後に見たのは、雁見橋の下だ。橋の隙間に、布団を持ち込んで、そこで寝泊りしていた。クズ同然の生活用品が、辺りに散乱している。不穏な気配が漂っていた。怖がって、だれも橋の下を通り抜けることが出来ない。俺だって、舌打ちしながら、さけて通った。

あの若いのは、やはり、頭がおかしかったのだろうか?それとも、何か、ほかに理由があったのだろうか?真夏のこうもり傘の疑問は解けたが、依然として、白塗りや真っ赤な口紅の意味は了解できない。





2004.5.15(土)晴れのち曇り。午前中に、少しだけ青空が見える。

八時十五分、家を出る。川越橋を渡り、右岸の土手道を走る。平塚橋の脇から、一般道に入る。坂を下る。そのまま直進。道が、左に大きくカーブする。さらに直進。国道254の下り車線にぶつかる。左折。ひとつ目の手押し信号を右折。(これは間違い。本当は、もうひとつ先の、城西高校の信号を右折するべきだ。)見通しのいい、農道を走る。左手には土手、ポフラも見える。信号を直進。さらにまっすぐ走る。道がせまくなる。大きな道にぶつかる。左折。道なりに、芳野の工業団地の中を走る。工業団地を抜ける。民家がまばら。すぐ、右手の道路際に、水色の壁の住宅が見えてくる。そこを左折。突き当りは土手。ななめに登る。左手には川越清掃工場の煙突、右手には入間大橋。土手が、大きく右に曲がっていく。切り返し。土手下の道へおりる。ひとかたまりの、背の高い雑木が目印。先日の、右岸川シモの写真撮影は、ここで終わっている。

陽射しが強い。さっそく、ブルーの傘をさした。川へと向かう、広めのあぜ道をゆっくり歩いた。カミの、清掃工場の煙突が、小さく見える。あれから何日たっているのだろうか?青い麦畑が、こころもち、黄色っぽくなっている。よく見ると、穂に、いっぱい実がついている。隣は、田植えの終わった田んぼ。苗がきれいに植えられている。おもむろにカメラを構えた。傘をさしているから窮屈だ。ちょっとずつ、立ち位置を変えながら撮った。





すぐに、葉をいっぱいに広げた、カッコのいい雑木の前に来た。距離は10mくらい。緑が、黒い。露出調整したが、だめだ。深々とした緑を撮ろうとすれば、ほかが白く飛んでしまう。しょうがないだろう、ウデがないんだから。あまり深くこだわらずに、今度は、川のほうへ向き直った。どろんとした緑の流れが見える。足元に、踏み込んでいけそうな小道もある。だが、草に覆われている。首を伸ばして、下のほうをのぞいてみた。たいした景色じゃないな。ロクに見もしないで、決めつけた。今日は、気が乗らない。もと来た道を戻りかけ、雑木へと向かう小道をチラッと見た。こちらもなかば、草に覆われている。やはり、踏み込む気になれない。見上げると、天空に青空がのぞいている。うろこ雲がいっぱいだ。これは秋の空だよな?初夏の空じゃない。なにを生意気な、そういうのを固定観念というのだ。カメラを向けようとしたが、やめた。逆光だ。それに、うろこ雲だけ撮ったって、どうということもない。気の遠くなるような感覚、いうならば、一瞬間の美的体験、それだけで十分だ。

川を背にして、車へ向かって歩き出した。左手には、一反の田んぼを挟んで、うっそうとした木立。青竹や雑木のあいだから、墓場がすけて見える。いやな雰囲気で、通るたびに、気にはなっていた。できれば、踏み込みたくない。横目でチラッと見た。逆光の木立の中に、なにやら、黒々とした、テントのようなものが見える。ホームレスか?すい寄せられるように、大きな、黒い塊の方へ歩いていった。

コンクリの塀で囲った墓地が見える。墓石が並んでいる。入り口の前が、少し広くなっている。誰かが、草を刈ったのか?きれいにならされている。辺りをうかがった。ヒトの気配はない。先ほどの、黒々とした物体に、こわごわ近づいた。おいおい、木の根っこじゃねぇか。根っこの部分が露出しているだけだ。『疑心、暗鬼を呼ぶ』。ほっとして、木肌を一、二度、かくる掌で叩いた。つるつるしている。あらためて、あたりを見回した。木々の間には、小型の冷蔵庫などが散乱している。荒れている。墓場のほうへは行かなかったが、そっちはどうやら、手が入っているようだ。それにしても、木株をテントに見まちがえるとは、どうかしている。奥へは行かないで、そのまま戻った。

車のエンジンをかけた。土手の斜面に衣服が散乱している。よく目にする光景だ。誰かが、ゴミ袋に入れて捨てていったものを、これまた、誰かが、袋から出して、あさったわけだ。

土手をななめに登った。切り返して、走り出した。深い砂利道だ。すぐそこに入間大橋が見える。左下には先ほどの木立。本当は、土手下の道を、そのまま走り、木立の後ろに回りこみたかった。ところが、丸太と番線で、道が通せんぼされている。不法投棄をする、不埒な車が、木立に横付けできないようにしている、のだと思う。

ちょっと走って、土手下の道へおりる。おりたところは開けている。といっても、左手に、田植えの終わった田んぼが二反ほどあるだけで、あとは、一面草に覆われた荒地。このまま、まっすぐ行けば、あっというまに、入間大橋の下。橋の下には何回も行ったことがある。たいしたところじゃない。それよりも今日は、脇の、田んぼに沿った川原道を行くことにしよう。なにしろ、この先へは行ったことはない。

道には、タイヤの跡が二本、くっきりついている。行けそうな感じだが、まるで草むらだ。しかも、すぐにT字路。右を見ても左を見ても、行き止まり。その左方向のどん詰まりに、車が一台止まっている。辺りをうかがう。そばまで行く。中には、誰もいない。もぬけのカラ。エンジンを切り、車からおりる。覗き込むように下のほうを見る。どろんとした川。足元の崖をおりていけば、水辺に出られるだろう。この、バックドアが開けっ放しのワゴン車の主は、おそらく、そこで釣り糸をたれているにちがいない。でも、おりて行くのが億劫だ。すぐに引き返した。

まだ、十一時前だ。このまま引き上げるわけにもいかないだろう。さりとて、目の前の、踏み込んだことのない荒地を探検する気にもなれない。暑いし、少し疲れている。冷たい缶コーヒーでも飲んで、ひと休みしよう。赤い自動販売機が、清掃工場の手前、土手下のグランド脇にあったはずだ。

土手をななめに登る。砂利ぶかい土手道を、川カミへ走る。右手は休耕田、というか、荒地だな。手のはいった田畑も、多少はあるが、ほとんどは、ほったらかしになっている。労苦をかけ、それこそ、汗水たらして開墾したであろう田畑が、あっという間に荒廃していく。いや、自然に帰っていく。おっと、そんな休耕田が、うす紫色に染まっている。野アザミが群生している。

缶コーヒーを買い、がぶがぶっと飲んだ。すぐに、土手下の道におり、野アザミの群れに、車を横付けした。あいにく、空には雲がかかっている。青空がない。なに、そんなことは問題じゃない。初めて目にする光景に、気分をよくした。夢中になって撮り出した。そのうち、何か、音がしているのに気づいた。耳を澄ました。すぐ目の前の、野アザミの間から聞こえる。ぱちぱち、という音だ。目を凝らした。これは、菜の花の種だ。真っ黒な、小さくて細長い菜種がはじけている。さらに耳を澄ました。いたるところで、種がはじけている。その音が、うるさいほどだ。ちょっと前まで、ここには菜の花が咲いていた。そして今は、野アザミだ。おりしも、雲の切れ目に、すこしだけの青空。






2004.5.16(日)曇り時々小雨。写真撮影はお休み。何しろ天気がよくない。

いつものように、八時過ぎに家を出た。久しぶりに、安比奈の給水橋の下へ行った。車の中で、紀行覚書を書きだした。十時過ぎに、パソコンから警告音。バッテリーの容量が残り3%。パソコンを閉じた。

給水橋の中洲に草が生えているた。曇天の下、明るい緑が、目に心地いい。それから、親水公園のお花畑が赤く染まっている。ひなげしだ。前にも撮ったことがある。芝生の上を歩いて、そばまで行った。でも、心が動かない。天気がよくないからだろうか?深く考えないことにした。






2005.5.25(火)晴天。雲のない、絶好の写真日和。とはいえ、午後からは眼科の診察。それに、眼の調子も良くない。硝子体が混濁している。今年に入って4回目の発作。症状は、比較的かるいし、致命的なものでもない。だが、いそいそと、写真撮影へ出かける気にはなれない。気分がかなり落ち込んでいる。

いつまでも、ふさぎこんでいては、健康にも良くないだろう。もう、十日ちかく、シャッターを押していない。撮影も休止、写真紀行の執筆も滞っている。気分転換に、少し歩くか。今日は、小一時間、散歩がてらの写真撮影だ。

こういうときは、やはり、近くの、なじみの場所へと向かってしまうものだ。的場の浄水場脇に車を止めた。目の前が、土手下の、細長い公園(明神淵公園)。木陰になったところにベンチがある。ほかにも、水場やトイレ、屋根つきの休憩所などがある。缶コーヒーを飲みながら、入っていく。と、ベンチに座っているジジイが、こっちを見ている。カメラをぶら下げているのが、めずらしいのか?それにしても、不躾な視線だ。完全に無視する。ジジイに背中を向け、ベンチに座る。ひと息いれる。みると、脇に女物の物入れが置いてある。忘れ物だ。なかを開けてみた。タバコと口紅が入っている。すぐに元に戻した。その一部始終を、ジジイに見られているような気がした。

空き缶を置きに、いったん車に戻った。そして再度、公園に足を踏み入れた。あれっ、ジジイがいない。見回すと、土手下の自転車道を、ぶらぶら、カミのほうへ歩いている。くすんだ灰色の、作業着の上下を着ている。やせた背中が、貧相なうえに、険がある。朝の散歩という雰囲気ではない。

県道の横断歩道を渡り、初雁橋の歩道に入り込む。おなじみの景色だ。浅瀬の流れ、細長い中州。真正面に、青い、川越線鉄橋が横たわっている。この前撮ったのは三月の半ばだった。あの時に比べて、川原が緑一色になっている。河川敷の「マレットゴルフ」(年寄りたちのミニゴルフ)場も、青々している。とりあえず、同じような構図で、何枚か撮る。ま、これは挨拶代わりだ。

初雁橋も、車道と歩道が分かれている。ただし、歩道は川シモ側にある。したがって、川カミが撮れない。橋の欄干が邪魔だ。のみならず、送電線がダランと垂れ下がっている。絵にならない。ためにしに、400ミリの一眼レフで撮ってみようか?欄干と送電線に仕切られた空間を、ぐっと引き寄せればいいんじゃないの。だが、すぐに考えを打ち消した。ズームをきかせた写真は、どれもこれも全滅だ。とくに風景はだめだ。

今日は天気がいいせいか、川カミが、ずっと見通せる。上流の関越橋と八瀬大橋が重なっている。そのうえに、覆いかぶさるように給水橋のアーチ。さらに、じっと目を凝らすと、狭山丘陵の横っ腹が、かすかに見える。昨日降った雨のせいか、流れも清々としている。ななめからの、強い陽射しをうけ、川原の草木が、なおいっそう鮮やかだ。緑の波濤が、入間川を席巻している。

橋を渡り終えた。右岸の土手に立ち、対岸を眺めた。北西の風だ。強くて冷たい。こんなことなら、ウィンドブレーカーを着込んでくればよかった。少し後悔したが、いまさら戻るわけにもいかない。凍えるほどではないので、我慢することにした。

外秩父の山並みが、土手向こうの、住宅の屋根に邪魔されて、よく見えない。今立っている土手が、多少低いのだろうか?いや、そんなことはない。角度というか、立ち位置が悪いだけだ。などと考えているうちに、斜面の水深柱が目に入った。二本立っている。右の方にも、水深計が何基かある。これらはみな、お馴染みさん。とはいえ、今日はなぜか、土手の緑とあいまって、ひときわ目につく。とくに、川の中に突き刺さっているのが、気になった。そばまで行き、しゃがみ込みこむ。つくづく眺めた。いまだに、どういう使い方をされているのか?よくわからない。というか、あえて、意味不明のまま、そっとしてある。





ここにくれば、あとはきまって、川越線の、橋脚の下へ行く。立ち止まり、ぐっと、上を見上げる。そんなとき、緑色の電車が通ることもある。きまって四両編成。乗客の顔が、はっきり見えるほどだ。そして最後には、石をつたわって、中州へと行き、川シモの東上線鉄橋を撮る。水深計、橋梁、鉄橋、そんなものを、なんとなく眺めている。うかうかと時間がたっていく。写真なんか、別にどうでもいいし、文章だって、書かなくてもいい。それよりも、この場所を、入間川札所一番と名づけよう。本気でそんなふうに思った。





2004.5.29(土)晴れ。薄日。雲がかかっている。青空は見えない。

ここは、下老袋の木立。入間大橋までは、一面、背の高い草に覆われた野っ原だ。ところどころに、田植えの終わった田んぼもあるが、ほとんどは、荒れ放題の休耕田。そのあいだの畑道を、そろそろ走る。すぐに川にぶつかる。深い崖になっている。深緑色の、どろんとした流れ。とうてい、下へおりていく気にはなれない。そのまま、川に沿った悪路を走る。もう道とはいえない。草むらの中、タイヤの跡だけを頼りに、ゆっくり走る。車のお腹が、伸び放題の雑草をなでている。もう二度と走りたくない。

道なき道を進んでいく。と、入間大橋の下にでた。下草が刈り込んであり、ゴミも片付けてある。いつもに比べると、かなり、こざっぱりした感じだ。車からおりて、川を覗き込む。護岸の下、釣り人が二人いる。少し離れて、静かに釣り糸をたれている。辺りを見回しながら、ぶらぶら歩きはじめる。左手は竹やぶ。そこに、なにやら立て札。私有地だから、中の、たけのこを採るな、とある。拙い字に、険がある。しかし、ここは河川区域だぜ。私有地じゃないだろう?続いては、橋脚の脇に、タンスや家電。これも毎度おなじみの光景だ。ふと下を見ると、エロ雑誌のきれっぱしが落ちている。女が男の上に乗って、もだえている。ふ〜む、実に扇情的だ。ふぅ〜。顔を上げた。土手からおりて来る道がある。そこに、丸太に番線の柵。まえ来たときにはなかったはずだ。今日のところは、車が通れるようになっている。だが、ぶっとい鎖と南京錠が、よこっちょにある。錠をかって、不法投棄者を締め出すつもりだ。むろん、だれも文句はつけられないだろう。ついでに、そこの、橋の隙間からはみだしている、ボロボロの布団や汚らしい生活用品も撤去すればいい。寝泊りしているホームレスを追い出せば、ここの不穏な空気も少しは解消するはずだ。

ま、人権にかかわることだ。言葉を慎んだほうがいい。気分は悪いが、危害を加えられたわけじゃない。放っておけばいいんだ。

土手を登り、橋の歩道に入り込んだ。歩道は、車道をはさんで、シモ側とカミ側にある。今日は、カミ側を歩く。といっても、これがまた、たいした景色じゃないんだ。川の色は、いつ来てもどろんとした緑色。流れが、少し先で、ぐぅっと左に曲がっているから、さして見通しもよくない。川をはさんで、右手は、しろっぽい河川敷グランド。左手は、雑然とした野っ原。そうじて、つかみ所のない景色だ。それでも、挨拶代わりに、何枚かは撮った。いいや、来るたびに撮っている。記念写真を、どうしても撮りたくなってしまう。某年、某月、某日、私はこんな景色をみました。いったいだれに見せようというのだろう。

橋の上を歩いていくと、信号がある。むろん、先にもいける。開平橋があり、下は荒川だ。だが、そこはもうテリトリーの外。あっちには、よほどのことがないかぎり、行かないつもりだ。それよりも、いま気になっているのは、左右の土手道だ。右の土手道は、一直線の自転車道。車は入れない。ただし、曲がってすぐに、右下の河川敷へ下りていくことができる。さもなければ、左下のガタガタ道へ行く、という手もある。一方、左の土手道は、ちゃんと舗装された一般道で、車の往来が激しい。どこまで続いているのか、よく知らない。もっとも、その下に広がる荒地は、入間川きっての秘境で、とうぶん入り込むつもりはない。あそこは、最後の最後までとっておく。

橋を戻りはじめた。たんに、行って、帰ってきただけだ。また、右岸に戻り、土手の上を、川カミへ歩きだした。べつに、写真に撮りたいような景色ではない。一度はこの足で歩いてみようと、気まぐれに思っただけだ。しかしながら、すぐにあきて、土手下のがたがた道へおりた。道の、おおきな水溜りなどを、ひやかし半分に撮りながら、辺りをぶらついた。そうそう、でかいカラスが、田んぼの中にいた。きれいな苗の間を、ちょこまか動き回っている。それも撮った。草深い畑道のほうにも行ってみた。立ち止まり、辺りを見回した。綿毛をいっぱいつけた草が目に付いた。立ち枯れている。よくみると、野アザミだった。ちょっと驚いた。場所はちがうが、休耕田を、一面うす紫色に染めていたのは、ちょっとまえのことだ。

綿毛が、風に吹かれて、ふわふわと空を舞っている。それも、かなりの量だ。昔見た、フェリーニの映画を思い出した。あれから30年以上もたっている。





2004.5.30(日)晴れ。陽射しが強くて暑い。

入間大橋を渡り、信号を右折した。左岸の、広大な河川敷グランドへと下りていく。ソフトボールの試合をやっている。それも一組や二組じゃない。見渡す限りだ。

いままではずっと、右岸の土手を歩いてきた。理由はいたって簡単、午前中は、左岸に明かりがきているからだ。ところが、入間大橋の手前あたりから、川がぐぅっと南下しはじめる。こんどは、右岸に明かりがくる。ほんとうは、右岸を全部歩きおえて、それから左岸、といきたいところだ。しかし、写真を撮っている以上、そうもいかない。逆光では、空の色が飛んでしまう。きれいに色が出ない。

土手にあがった。自転車道だ。浦和武蔵丘陵森林公園自転車道、というそうな。長たらしい名前だが、地図にそう書いてある。なるほどねぇ〜、一直線に上江橋のほうまで続いている。入間川も、そろそろ終わりだな。上江橋の先で、荒川に合流する。それにしても、だだっぴろい。取り付くひまがない。川の流れなどは、ほとんど見えない。景色が一変してしまった。

日よけの傘をさしながら歩いた。ヨコをサイクリング車がひっきりなしに通り過ぎていく。しばしば立ち止まり、対岸に向けて、シャッターを切った。はじめてみる景色だった。

今日は、グランドの切れているところまで歩こう。あと二回歩けば、入間川の終点だ。






2004.6.3(木)晴れ。薄日。

上江橋から飯能の高根橋まで、およそ35キロの区間を、一回につき、二時間ほどで歩ける範囲に細分化する。そして、そのひとつひとつに番号をつける。さしずめ今日は、入間川一番、上江橋、ということになる。

なぜ、そんなことを思いついたのか?ひとつには、書くことに、少し飽きてきたからだ。その日の体調や気分で、書きたくないときもある。無理に書こうとすれば、気分が重くなり、窮屈だ。

書きたくないときは書かない。この大前提にしたがって、調子の出ないときには、その日の天気と歩いた場所だけしか書かない。場所の説明は煩雑だから、まえもって、記号化しておく。これならば、そうとう楽だ。

知らず知らずのうちに、自分を追い込んでいた。楽しく書いて、楽しく読む。そうでないならば、やめたほうがいい。





2004.6.5(土)晴れ。多少、雲がある。さわやかなだ。・入間川二番、上江橋からの土手道(1)。

左岸、上江橋の下に車を止める。自宅からここまで、車で30分、16キロの道のり。いがいに近い。

陽射しが強いので、傘をさしていくことにする。高い土手に登る。一直線の自転車道。対岸の景色を見ながら、ゆっくり川カミへ向かって歩く。サイクリング車が、ひっきりなしに横を通り過ぎていく。





土手は、入間川と荒川との間にある。下は、左右どちらもゴルフ場。川の流れはほとんど見えない。でも、どろんとした緑色にきまっている。ふと思った。これだけの芝生を管理するのに、どれほどの農薬が使われているのだろうか?見当もつかないことだが、いえることは、その農薬によって、土壌や川が汚染されている、ということだ。もっとも、釣り人がたくさんいるところをみると、川に魚がいるのだろう。とはいえ、ひっかかりは取れない。

芝生が青々している。きれい、ではある。だが、その代償に、どれほどの生命が圧殺されているのだろうか?きれい、と感じてはいけないような気がする。

そんなゴルフ場に、あとから、あとから、プレー客が数珠つなぎだ。自前で、休日ゴルフを楽しんでいる人間たちを見て、今では、ほとんど心が動かない。ただし、写真からは、二本足のアリンコのような生物を、容赦なく排除した。






2004.6.7(月)曇り時々小雨。アトリエにいる。

懸案になっていた、入間川の区分けが完了した。

 入間川一番、上江橋。

 入間川二番、上江橋からの土手道(1)。

 入間川三番、上江橋からの土手道(2)。

 入間川四番、入間大橋と上老袋の木立。

 入間川五番、芳野台の煙突と畑の一本木。

 入間川六番、水位監視塔と水深計。

 入間川七番、川島の煙突と合流点。

 入間川八番、釘無橋。

 入間川九番、ポプラと土手道。

 入間川十番、落合橋と水深計。

 入間川十一番、落合橋からの土手道(1)。

 入間川十二番、落合橋からの土手道(2)。

 入間川十三番、平塚橋と寺山用水堰。

 入間川十四番、雁見橋と浅間堰。

 入間川十五番、川越橋からの土手道。

 入間川十六番、初雁橋と関越橋。

 入間川十七番、八瀬大橋と廃線。

 入間川十八番、増形の土手。

 入間川十九番、入間川大橋と仮橋。

 入間川二十番、公園と狭山大橋。

 入間川二十一番、上奥富用水堰と昭代橋。

 入間川二十二番、新富士見橋。

 入間川二十三番、本富士見橋と田島屋堰。

 入間川二十四番、広瀬橋。

 入間川二十五番、豊水橋。

 入間川二十六番、笹井の堰と水深計。

 入間川二十七番、鍵山の土手道。

 入間川二十八番、新豊水橋。

 入間川二十九番、仏子の河原と桜並木。

 入間川三十番、中橋と上橋。

 入間川三十一番、阿須運動公園。

 入間川三十二番、八高線鉄橋と加治橋。

 入間川三十三番、矢川橋から矢久橋。

 入間川三十四番、飯能河原。





2004.6.8(火)曇り。入間川三十番、中橋と上橋。

これまでだったら、天気のよくない日には、お気に入りの護岸に車を止めて、写真紀行を書いていたはずだ。ところが、今日はちがう。迷うことなく、入間川へと車を走らせた。心の中がすっきりしたからだ。入間川歩行を、四国巡礼に擬することで、これまでの徒労感が、いっぺんに吹き飛んだ。歩くだけでいい。べつに、写真とか文章とか、そんなものは二の次だ。入間川を歩くことに意味がある。そう確信できたからだ。

草がまばらに生えている河原を歩きはじめた。川カミの、上橋のほうへ向かっている。気になっているのは、その手前の、昔の西武線の鉄橋だ。レンガをしっかりと積み上げた橋脚で、趣がある。何回も撮りに来ているのだが、まともに撮れたためしがない。並行している、今の西武線の鉄橋が邪魔なんだ。それに、いつ来ても、明かりの具合がよくない。いやぁ〜、そんなことじゃないだろう。横着して、歩きやすい右岸からしか、撮っていないからだ。よし、それじゃ、今日は左岸側から、レンガ鉄橋ににじり寄ってみよう。

河原がぐっとせばまってきた。そこに、アカマンマが群生している。腰くらいの高さだから、突っ切っていくわけにもいかない。少し後戻りした。草むらの小道をたどり、河川敷グランドにあがった。きょうは、ゲートボールの大会をやっている。あたり一面、年寄りだらけだ。その数に、ちょっと気負けした。伏せ目がちに、グランドの縁を歩き、また河原におりた。

いやぁ〜、これは河原とはいえないな。波打った泥岩が露出している。しかも、脇の用水路から、水が勢いよく流れ込んでいる。またしても、生活廃水を垂れ流しにしている。流れている水をじっと見た。比較的きれいで、ドブくさい臭いもしない。ふ〜ん。

地図で確認したら、これは「藤田掘」というそうな。

ぬめぬめした泥岩の上を、ゆっくり歩いて、鉄橋の前まできた。みると、ちょっとした段差になっている。上は、コンクリを打った、橋脚の地盤だ。ひょいと飛びうつった。鉄橋の真下だ。すぐに電車がやってきた。頭の上を通り抜けていく。耳をふさぎたいほどの轟音だ。とはいえ、これでやっと、遮蔽物なしで、レンガ鉄橋を眺めることができる。

天気がよくない。空に色がない。それに、この位置取りは、ほぼ逆光だ。晴れていたとしても、きれいな写真は撮れない。ということは、曇天の、今日しかない。気合を入れなおし、撮りはじめた。かなり粘ったが、ちゃんと撮れているのだろうか?






2004.6.10(木)曇り。入間川三十一番、阿須運動公園。

右岸の駐車場に車をおく。川シモへ向かって歩く。上橋を渡る。今度は、左岸を、川カミへに向かって歩く。上流の阿岩橋を渡り、グランド脇の茶店で、缶コーヒーを飲む。あとは、運動公園のなかをぶらぶら歩いて、車まで戻る。ほぼ三時間の行程。かなり撮ったが、どれもこれも記念写真の域をでない。とはいえ、気分はいたって平静。これまでのように、どっと疲れがでるようなことはない。ただし、左目がゴロゴロする。気になる。





2004.6.12(土)曇り時々晴れ。青空はない。薄日がさすていど。入間川三十二番、八高線鉄橋と加治橋。

気分が乗らない。本当は書きたくない。足取りだけ、ざっと書いておく。いつかまた、詳しく書く気になるかもしれない。

車を運転しながら、なぜか、捨て鉢な気分になった。家族も家庭もない。友人も知人も、誰一人として、頼りにできる人間はいない。上等じゃねぇ〜か。

阿岩橋際に、年寄りのやっている店がある。近くの中学生相手にパンなどを売っている。その脇の、町会グランドが、なにやら騒がしい。若い人が百人くらいいる。車が何台も止まっている。映画のロケだ。しかたなしに、少し戻り、阿須運動公園の西側駐車場に車を止めた。

阿岩橋を渡りながら鉄橋を撮る。橋の下におり、また撮る。川カミへ向かって、左岸を歩く。川に沿った、崖ぎわの一般道だ。ぞっとするほど高い。すぐに、線路が目の前にみえる。その下を、くぐる。崖に、階段がかかっている。おりていくと、川沿いに小道。すぐに広くなる。車が入ってこられそうな感じ。左には民家がずっと続いている。なんでも、この河川敷は、国から有料で借りているものだから、ゴミを捨てたり、無断で車を止めたりしないでくれ、というような看板が立っている。掲文の主は河川敷組合。面倒だ。短く書こう。

そのままいくと、加治橋。橋の上を歩きながら撮る。成木川との合流点が見える。橋の下には、ホームレスの小屋。その前に、車が二台止まっている。白い軽自動車は秋田ナンバー。さっき、橋の上を歩いていた、ひげ面のジジイが、おそらくは、そこの住人だ。

右岸の低めの土手は、桜並木になっている。アジサイなどが咲いている。といっても、いまは草深くて、とてもじゃないが入り込めない。脇の砂利道を歩く。左側は、高校と中学の校庭。若者たちが泥だらけ。サッカーや野球の練習をしている。

鉄橋の脇に、屋根つきの休憩所がある。ひと休みしようか、と思ったのだが、やめにした。何かを燃やした跡がある。それにゴミだらけだ。荒れている。

グランドを横切り、河原へ下りる。近くから、鉄橋を撮る。グランドを歩いて、車のほうへ戻る。先ほどの一団はいない。アルミの二トン車だけが残されている。うしろに、日大芸術学部、とあった。






2004.6.22(火)台風一過。晴天。

先週の火曜日に、左目に発作が起きた。症状は、いつもの硝子体の混濁ではない。中心部のゆがみがひどく、見えない部分が増大している。また、眼底に出血しているかもしれない。そうなると、ことは重大。それに、時々、目の奥がずぅ〜んと痛い。いわゆる鈍痛。重ったるい感じがして、うっとうしい。気分が落ち込んだ。ところが、翌朝、おそるおそる鏡を見ると、少し元にもどっている。増悪するどころか、一夜にして回復の兆し。ほっとした。でも、念のために、一週間は入間川歩行を自重することにした。

その間ゆっくり、写真紀行でも書こう。と思っていたのだが、物事は、うまく運ばないものだ。なにしろ、パソコンの画面を、少し見ているだけで、目が、ものすごく疲れてしまう。鈍痛だ。それに、ゴロゴロ感がひどくて、書くどころの騒ぎではない。これは、目をつぶって、静かにしているしかない。そう諦念した。

ときどき、気分転換にと、胡坐を組んで「数息」をやってみた。でもこれとて、一回につき60分もやれば限界。あとは、ただひたすら時間が過ぎるのを待つばかり。左目の回復を願うばかりだ。そんな取り留めのない時間の中で、ふと思いついたことがあった。以前書いた、「四国回遊記」という文章を読んでみたくなったのだ。これは、2000年の春に、四国の遍路道を歩いた時の記録だ。少し書いて、すぐに放り出してしまったので、枚数はいくらもない。そのファイルが、どこかにあるはずだ。ガサガサやっていると、すぐに見つかった。と、そこに、「関根俊和の演劇年譜」なるファイルもあった。なんでこんなものを書いたのか?くわしいことは思い出せない。なかば、おふざけで作ったものだろう。むろん、人に見せたことはない。

年譜に目を通した。じぃ〜んとしてきた。なんだかんだといいながら、芝居がらみの人生だった。

年譜は、1996年で終わっている。そのあとの歳月を、一年、一年、頭の中でおってみた。2001年の暮れに、左目の大発作に見舞われ、説経節を断念した。そのときの放り出し方に、ちょっとひっかかった。座して、語るだけ、といっても、全身汗だくになるよう激しい稽古を、続行できるような健康状態ではない。しかし、そのことを言い訳にして、ひよった、のではないのか。

あんたは、説経節を語る、主体的な意味をつかみそこねていた。

2002年になってからも、左目の大発作は続いた。視力は、ほとんどなくなった。まさに、心身ともに危機的な状態だった。にもかかわらず、いや、だからこそ、「モロイ」の朗読をはじめた。気力をふりしぼった。健康状態を考慮しての、ささやくような語り口で、懸命に稽古をした。

ところが、その「モロイ」すら、途中で放り出してしまった。なんとなく、おもしろくなくなってしまったのだ。というか、やはりここでも、「モロイ」朗読の、主体的な意味をつかみそこねていた、といわざるを得ない。

先に進もう。2003年からは、写真と文章に、人生の主力をおくことにした。詳しいことは省略するが、とにかく、自分のために撮り、自分のために書く、ということを、掛け値なしにやってみようと思った。非公開を前提にした写真であり文章だ。人には見せない。自分が見て、いいなぁ〜と思える写真を撮る。自分が読んで、楽しくなる文章を書く。もう、世間も他人も、知ったことではない。世のため、人のためになるようなことは、しなくてもいい。生き物としての自分が、日々快活に、元気よく生きていくことができればいい。そのための写真であり、文章だ。

そのうち、目の状態も回復し、また、入間川を歩くことができるようになるだろう。写真も撮れるし、文章を書くこともできる。それまでの辛抱だ。とはいうものの、一抹の不安が残る。いや、一抹どころか、時として、矢も楯もなく不安になる。今後もし、右目に発作が起きたら、写真も撮れなくなる。パソコンの文字が見えなくなれば、文章も書けなくなる。ふと、説経節のことを思った。あれなら、目が見えなくなってもやれる。

説経節を、己の魂を鎮めるために語る。りきまずに、肩の力を抜いて、声を張ることもなく、ただひたすらに、言葉の流れに没入していく。恐れも不安もない。魂の平安だ。

関越橋の下。本来なら、台風一過の絶好の写真日和だから、是が非でも出かけたいところだ。ところが、こういう日に限って、予定がある。十一時からは、お袋の買い物同行、午後からは、眼科の診察。もっとも、左目の状態が、おもったより回復していないので、まだ、炎天下を歩く元気がでない。車の中で、写真紀行でも書こう。それに、けさは、もっとほかにやることもある。

空が青くてきれいだ。うっすらと山並みが見える。川カミの八瀬大橋と、その向こうの給水橋のアーチがよく見える。流れも、いつになく滔滔としている。アホどもが散らかしていったゴミは、台風の増水で流されている。河原が清々している。強い陽射しを受け、草が青々としている。

車に戻った。中で胡坐を組み、目をつぶった。稽古を始める。説経節「安寿と厨子王丸」の一段目。長らく手放していた、大切なものが戻ってきた。






2004.6.24(木)晴れ。空の色は、青みがかった灰色。

八時十五分、家を出る。飯能方面へ走る。今朝は、圏央道の側道を走ってみた。あとはいつものコース。仏子の中橋を渡り、阿須の運動公園をヨコに見て、加治橋のたもとに出る。

左目の状態は、十分ではない。が、もう発作から十日近くたっている。そろそろ大丈夫だろう。入間川歩行を開始しよう。今日は、入間川三十三番、矢川橋から矢久橋。ただし、暑い中を歩くのが、正直言って億劫だ。頑張れないこともないが、あえて、頑張らないことにする。

右岸の加治橋の下を抜けたい。橋の隙間にバラックがあるところだ。この前来たときには、車が二台止まっていた。うち一台は、秋田ナンバーだった。それが、今朝は三台に増えている。気が進まない。と思っていたら、ほらいた。背中を向け、朝の歯磨きだ。白い手ぬぐいを首にかけている。もうひとりは、水際で草を刈っている。顔をあげ、こっちを見ている。目つきの鋭い、頬のこけた、白髪まじりのジジイだ。ちょっとびくついている感じだな。なにしろ、こっちだって、短髪にサングラスだ。いや、そうじゃないだろう。河川パトロールの車と間違えたんだ。

ちょっと先の、道が広くなったところに車を止めた。外にでた。目の前が川だ。みると、水際にアメンボがいる。その数に驚いた。しかも、みな一様に、水面でじっとしている。でかい蚊のようで、気味が悪い。おっと、元気な鯉が、金色の腹を見せている。川幅はけっこうあるのに、ここは浅瀬だ。それになんだか、水がきれいだ。さらさらしている。

薄日の差す、蒸し暑い中を、ぶらぶら歩きだした。川カミへ向かっている。すぐに川原道は行き止まり。成木川との合流点だ。ただし、成木川に沿って、小道がある。左のほうへ曲がっている。そっちには行かないで、下におりた。ちょっとした河原になっている。川カミの、矢川橋に向かって、カメラを構えた。たいした景色でもないが、いちおうは、記念写真だ。と、どこからともなく、合鴨が一匹、ひょこひょこ、こっちへやってくる。周りに、直火の跡がたくさんあるから、おそらくは、デイキャンプの人間から、エサをもらったな。ものほしそうな目をしている。関わりたくなりたくないので、知らん顔した。すると、ちょっと離れたところで、うずくまってしまった。だが、こっちが歩き出すと、またついてくる。とはいえ、相手にされていないことがわかるのか、すぐに立ち止まり、また、その場でうずくまっている。横目でチラッと見ると、ぶるっと、白い羽を震わせている。威嚇しているようでもあり、怒っているようでもある。

対岸にも、ちょこっとだけ河原がある。そのむこうには、民家が並んでいる。ちゃんとしたコンクリの護岸で守られている。垂直の護岸には、梯子などもかかっている。一番ハジは、造り酒屋だろう。黄色や赤のケースが山のように積まれている。看板に、「天覧山」とある。ほとんど何も考えずに、シャッターを押した。これもまた記念写真だ。というか、風景を、頭の中に記憶しておく儀式のようなものだ。しかしいったい、こんな変哲もない景色を記憶して、なんの役に立つのだろう。わからない。とはいえ、なんでもかんでも写真に撮っているわけでもない。

暑い。河原の縁に、葉の生い茂った木が何本かある。日陰になっている。下に行くと、涼しい。ひと息入れて、川のほうを向いた。ありゃ、合鴨と目があってしまった。やっこさん、急いで、こっちへ走ってくる。勘弁してくれや、お前にあげる食べ物を持っていないんだ。そんなことにはおかまいなしに、合鴨は、お尻をぷりぷりさせている。ふ〜む、食べもののかわりに、写真を撮ってあげよう。動くなよ。かなりてきとうではあったが、二、三枚撮った。わるいな、と言って背中を向け、川原道にあがった。下の、取り残された感じになった合鴨は、わけもわからずに、じっとこっちを見ている。その小さな黒い目が、悲しそうでもあり、不気味でもあった。

車に戻った。様子をうかがいながら、橋の下を通り抜けた。テーブルがあり、その上に、水のペットボトルと缶コーヒーが置いてある。男が二人、向かい合わせに腰掛けている。ひとりは、さきほどの歯磨きオヤジ。もうひとりは知らない。草刈ジジイでないことはたしかだ。おそらくは、三台目の、白い軽トラの主だろう。それにしても、橋の下には、バラックのほかに、サロンまであったわけだ。

成木川にかかる、新大橋という小さい橋を渡った。浄化センターの脇を通り抜けると、視界が開けた。交通量のほとんどない広い道路だ。右下に川が見える。矢川橋まで見通せる。急な崖になっているが、下は護岸で固められているから、おりていけないこともない。でも、草ぼうぼうだ。適当な小道もない。景色だって、それほど好いわけじゃない。それよりも今日は、対岸に行ってみようかと思っている。まだ足を踏み入れたことのない場所だ。

ここから見ているとかぎりでは、水際には、おりていけそうにもない。河原もないし、護岸もちゃんと整備されているとはいえない。川から、なんとなく一段高くなったところに、ゲートボール場や家庭菜園があり、その向こうには、住宅がぎっしりつまっている。ま、行ってみるさ。

矢川橋を渡る。渡る前に、道路わきに車をぶっとめ、橋を歩きながら、カミに向かって何枚か撮った。飯能大橋と、その先の小高い丘までが見通せる。ふと気づいたのだが、今歩いているのは、歩行者専用の橋だ。といっても、ずいぶんと幅が広い。目の下の、車が通る矢川橋と比べても遜色がない。ま、写真を撮るには、非常に都合がいい。

すぐに右に曲がる。住宅の間のせまい道路。道なりに進んでいく。まずは、車をとめる、場所探しだ。ところが、なかなかそれらしき場所がない。給食センターが右手にあり、ありゃりゃ、ゲートボール場の前で行き止まり。仕方なく、その場で回転。こんどは、来た道の、もう一本、川よりの道路を走る。こっちはもっと狭い。対岸から見た家庭菜園などがある。脇に小道があるから、なんとか水際に下りていけそうな感じだ。でも、車が止められない。通りすごしてしまった。だめだ。そのうちまた、車を、橋の手前の広い道路に止めて、歩いてこよう。

車を走らせながら考えた。強い陽射しではないが、かなり暑い。もう、ぶらぶら歩く、というわけにもいかないだろう。あとはポイント撮影だな。

いつものように、矢久橋を歩き、飯能大橋を歩いた。帰り際に、矢久橋脇の案内板も撮った。いわく『飯能付近の河岸段丘 この付近は、入間川が秩父山地から平野部に流れ出す谷合にあたり、長期間にわたる河川の浸食によって、形成された河岸段丘がよく発達している。このうち、北方の段丘は高く、南には低い段丘があり、高いものから順に、下末吉段丘、武蔵野段丘、立川段丘を形成している。ここ矢久橋のたもとから下流の河床に出ると、河床に砂利が少なく、白色の凝灰岩層が露出している。この凝灰岩層は、加治丘陵をつくる、飯能れき層の比較的下部にあたる。凝灰岩を見ると、軽石粒があり、ルーペでこの形や色をよく観察してみると、細長い結晶で、角せん石であることがわかる。昭和五十五年三月 埼玉県』。ふ〜ん。





赤い自販機が目に入った。冷たいコーヒーを一本飲みたいとろだが、我慢した。ガソリンメーターの白い針がレッドゾーンにかかっている。一気に自宅近くのスタンドまで走った。





2004.6.26(土)曇り。蒸し暑い。入間川三十四番、飯能河原。九時から十一時半。高根橋の先、浄水場まで行く。

飯能河原まで行くと、帰りに、必ず寄るところがある。市民会館の近くにある、鉄腕アトムの銅像を見に行くのだ。





鉄腕アトムを作ったのは、お茶ノ水博士だったのか?いや、どうもちがうような気がする。そう、たしか、アトムの身長を測っている科学者がいた。漫画のひとこまだ。頬のこけた、冷酷そうな科学者は、アトムの背丈が、いくらたっても伸びないことに腹を立てている。横で、アトムは悲しそうな目をしていた。その後、アトムはどうなったのか?

鉄腕アトムという漫画は、それほど好きではなかった。「伊賀の影丸」「サイボーグ009」「サスケ」「カムイ外伝」、「巨人の星」や「あしたのジョー」の方が、はるかに好きだった。だだし、テレビアニメのアトムには、強烈な印象を受けた覚えがある。

小学校六年生の頃だ。スポンサーは明治製菓で、製品のラベルを何百円分か送ると、アトムやウランちゃんの、きれいなカラーシールが返送されてくる。何枚も何枚も集めた。もったいなくて、はがせない。ことあるごとに、机の奥から取り出して眺めていた。アトムの青いパンツ、赤いブーツが目に焼きついている。

そのアトムが、銅像となって目の前に現れた。四十年近くの年月が流れていた。相変わらず、アトムの背丈は伸びていない。そう、たしか、アトムを作った科学者は、子供を亡くして、その代わりにアトムを作ったのだ。ロボットなのだから、背が伸びるはずもない。悲しみのあまり、多少、気がおかしくなったのか?それとも、ロボットではなく、人間を作ったと思い込んでいたのか?いずれにしても、そう、アトムは壊されてしまう。パッチリした目が閉じられ、横たわっているアトム。漫画のひとこまだ。

あの、大切なアトムのシールは、いったいどうなったのだろう。誰かにあげた記憶はない。はがして使った覚えもない。もちろん、破いて捨てたりはしない。どこかにしまってあるはずだ。机の中だろうか。赤羽の薄暗い家具屋で、お袋に買ってもらった、茶色いデコラの机。もう、とうの昔になくなっている。あの机の上で、頬杖をして、アトムを眺めていた。目が輝いていた。洋々たる未来があった。

そうなると、あの、鼻のでかい、いかにも人のよさそうな、お茶ノ水博士というのは、アトムとどういう関係があるのだろうか?おそらく、破壊されたアトムを再生させた科学者なのだろう。悪人から、人間と人間の社会を守るために、アトムに十万馬力の力を与えたのだ。

ロボットを、つまりは科学を、私的に利用しないで、もっと社会全体のために役立てる。これが、鉄腕アトムの主題だったのか。

十万馬力、か。(「哲学帳8」より)







2004.6.27(日)曇り。入間川二十九番、仏子の河原と桜並木。九時から十時四十五分。左岸の桜並木を、行き止まりまで歩く。





2004.6.29(火)曇り時々晴れ。入間川二十八番、新豊水橋。九時から十一時。

急に暑くなったせいか、ここ何日か、体がだるい。何もやる気になれなかった。とくに、頭を使うことができないでいた。写真紀行はもとより、覚書(写真紀行の下書き)すら書けなかった。

「数息」と説経節を日課としたせいかもしれない。「数息」は朝30分、夜60分。説経節は30分の読み込み。起床も一時間早め、六時にした。生活のリズムが多少狂った。疲れがでたのだろう。今日になって、やっと、頭も体もすっきりしてきた。

左岸、新豊水橋の下に車を止めた。橋の下から、川カミの水際、五十メートルほどが、ブルドーザーでならされている。護岸を作るのかもしれない。石ころの混じった土砂の上を歩きはじめる。ふかふかしている。橋の下を抜ける。あれっ!右手の茂みに、洗濯物が干してある。と、人影が動いた。やせた背中だ。掘っ立て小屋のようなものもある。人目を避け、ひっそり生きている。ホームレスだ。

さらに、足元のよくない水際を歩いた。右手の、少し高くなったところには、霊園の木立。川に沿って、ずっと続いている。おっと、行き止まりだ。立ち止まり、川カミを眺める。仏子の河原が、半分くらい緑になっている。先週の日曜日に歩いた、川沿いの、芝生の公園が、ちいさく見える。豆粒が動いているから、今日も、年寄りたちがマレットゴルフをやっている。対岸にはセメント工場。その向こうには小高い山。たいした景色でもないが、ここまで来た以上、撮らないわけにもいかない。

車に戻った。いつの間にか、幌の軽トラが止まっている。人の気配はない。うしろの荷台に、平たい金属の板が立てかけてある。バイクを下ろしたんだ。ちょっと近づいて、荷台の中をのぞいてみた。工具箱やガソリンタンクなどがある。それにしても、バイクの音がしないな。ま、そんなことよりも、と、頭の上を見上げた。二本のでかい橋。手前が圏央道、並行しているのが新豊水橋。新豊水橋の歩道に入り込みたいわけで、辺りを見回した。何とか行けそうだ。

白い、つるつるの土留めコンクリをななめに登った。さらに、その先の草むらを歩いた。ちっちゃい畑のわきを通り過ぎ、やっとこさ、橋の歩道にたどり着いた。でもここは、視界のない川シモ側だ。まずは、右方向の車の確認。来ない。中央分離帯まで走る。次に、左方向の車の確認。来ない。川カミ側の歩道まで走る。わずらわしいことだ。

橋の歩道を登り始めた。川カミの見通しがいい。うっすらと、山の中腹に白い建物が見える。欲を言えば、空の色がほしい。立ち位置をずらしながら何枚も撮った。だがすぐに、防音壁だ。見通しがまったくない。この前は、ここで引き返した。でも今日は、さらに歩いた。お目当ては、防音壁にある窓だ。なぜか、壁に二枚の引き戸がついている。それも二箇所ある。

一箇所目の窓は閉まっていた。といっても鍵がついていないので、ガラガラッと開けた。ふ〜む、はじめてみる景色だ。おりしも薄日がさしてきた。これはと思い、集中して撮った。





さらに、もう一箇所へと、気持ちが急いた。ところが、鍵がかかっている。さび付いた、小さな南京錠所だ。ご丁寧に、ふたつも付いている。無理を承知で、引き戸を開けようとした。むろん、開きはしない。もう一度、南京錠の掛かり具合を見た。留め金にバールをはさんで、ぐぃっとやれば、一発だ。でも、そんなことまでする必要はないだろう。こじ開けて、たいした景色じゃなかったら、後悔するぞ。そう思い直し、戻ろうとした。が、ふと気が変わった。ちょっと先に、防音壁が切れている所がある。緑色の手すりがみえる。あそこからは、どんな眺めなんだ?また、すたすた歩き始めた。ところが、こんどもだめだ。住宅の屋根ばっかし。下は道路で、ヨコを西武線が走っている。向き直って、防音壁の歩道を見上げた。ダラダラと、つま先上がりにずうっと続いている。もういいだろう。

来た道を、たどるようにして、橋の下に戻った。幌の軽トラは、そのまま。さほど強い陽射しでもないが、ぶらぶら歩く気にはなれない。川沿いの川原道を、車で流そう。対岸は鍵山の土手、それに、市民の森。たいした景色ではないが、いちおうは順路だ。

走り出した。左手に、しょぼいクランドが二面ある。どっかで、かっぱらってきたようなベンチがいくつもおいてある。道は、川の蛇行に沿うようにして、大きく左に曲がる。所々に水溜り。悪路だ。と、不意にバイクが目に飛び込んできた。チラッと顔を見た。おとなしそうな中年。だが、頬を高潮させている。軽トラの主だな。オフロードを楽しんでいる。

さらに行く。左手に、大きな木立がある。そこへと向かう道もある。前に一度行ったことがある。じめじめした林だ。廃棄物などが、それこそ山のように捨てられていた。くさい臭いもした。あんなところに入り込んでもしょうがないだろう。川に沿った道を、行けるところまで行こう。

丸太の柵をなんなくすり抜ける。と、なんだか荒れた家庭菜園のようなところに出た。小道があり、よく見えないが、奥のほうに、廃車などがある。資材置き場なのかもしれない。前をみると、視界は開けている。笹井の堰が見える。釣り場のような雰囲気ではあるが、なんとなく、いやな予感がする。

川原道には、何台か、車が止まっていた。みな、ドアを開け放し、周りにバケツなどを取り散らかしている。そのかげで、釣り人らしきジジイが、何かゴソゴソやっている。いっぽう、川へ向かっては、太い竿が何本も並んでいる。水際一帯が占拠されている感じだ。

深い溝。これ以上は進めない。いや、溝の向こうに、軽ワゴンが止まっているから、行って行けないこともない。とはいえ、なんとなく、進入するのがはばかられる。バックして、道の少し広くなったところに車を止めた。

ここから先は、まだ踏み込んだことがない。気おくれしている。たが、行くしかない。帽子にサングラス、カメラを首にかけ、傘を手にして歩き始めた。左岸の崖がぐっと迫ってくる。かなり高い崖だ。うえは道路になっている。すぐに川原道はなくなり、崖と川とは、護岸できっちりと仕切られてしまう。その上を歩いて行く。白い廃車がある。周りはゴミだらけ。と、うしろで声がした。携帯を首からぶら下げた、腹の出た男が、こっちに向かって何か言っている。俺じゃない。日陰にしゃがみ込んでいる貧相な男にだ。野郎、腰を浮かしている。間に立って、様子を見ていた。腹の出た、手配師のような男が言った。そんなところでなにをしているんだ。はやくこっちへ来い。手招きしている。貧相な男は、血相を変えて、すっ飛んでいく。溝の前に止めた、茶色のワゴン車の脇で、なにやら二言、三言話しをしている。そしてすぐに、二人して車に乗り込んだ。切り返してもせずに、バックのまま、がぁぁぁぁ〜と、ものすごいスピードで走り去っていった。

男がしゃがみ込んでいたところを通り抜けた。崖の上に、大きな木が二、三本生えている。日陰になっていて涼しい。それに、崖の露出した地肌からは湧き水だ。ま、そこまではいいとしても、その前に、ベニヤのテーブルや小汚い椅子がある。釣り道具やゴミなどが散乱している。アジトのようになっていて、竿などが何本も立てかけてある。いまいましい感じがする。

薄日が差していた。かなり蒸し暑い。平らになった護岸を、さらに歩いた。二メートルほど下の水際に、十字の波消しブロックが、たくさん沈んでいる。歩くたびに、なにやら、バシャバシャと水面から音がする。カエルかな、と思って、目を凝らすと、でかいお玉じゃくしだ。頭のおおきさが、足の親指ほどもある。そんなのが、波消しブロックに、いっぱい張り付いている。見渡すと、かなりの数だ。後ろ足が生えているのもいる。足音に驚いて、いったんは姿を消す。だが、また、ふぅ〜と浮いてきて、なぜか、水面すれすれのところでじっとしている。どうやら、天敵もいないようだ。一族で、この水辺を完全に掌握している。でかすぎて、かわいくもないが、見ていると、愉快な気持ちになってくる。

平らな護岸がきれた。十字ブロックが雑然と重なっている。その上を這っていけば、また平らな護岸だ。もっとも、その先は、すぐに行き止まり。どうしようかな?曇天。せき止められた流れが、わずかに光っている。静かで、驚くほど幅が広い。目の右端のほうに、小さく、豊水橋も見える。車が走っている。建物がかすんでいる。

その場に傘を放り出した。這っていくには邪魔だ。まさに、文字通り、四つん這い。ブロックの間を進んだ。これはもう、フィールドアスレチックだ。しかし、さして苦にもならない。すぐに、平らなところにたどり着いた。左側は、高い石塀。民家の庭先のようだ。そんなことはどうでもいい。さっそく、川シモへ向かって、シャッターを切りはじめた。明かりの具合は最悪、ほぼ逆光。きれいに撮れることはないだろう。だが、そんなことは問題ではない。今、ここで、この景色を見た、ということが大切なんだ。





戻った。先ほどの日陰に、こんどは、べつの男がいる。こいつも小柄で貧相だ。何か燃やしている。脇を通り抜る。横目でチラッと見る。エロ雑誌のヌードグラビアが、炎につつまれている。男と目が合った。薄ら笑いを浮かべている。

いやなものを見てしまった。車に戻りかけた。横の、赤い車が目に入った。ホンダの高級車、プレリュード。だが、型式は、相当古い。パンクはしていないものの、塗料がはげている。もう、エンジンはかからないだろう。ハンドルには、薄汚れた黄色い手ぬぐいがかけてある。そういえば、この車は、前にもみかけたことがある。そうか、あの野郎は、釣り人じゃない。車をネグラにしているホームレスだ。知らず知らずのうちに、俺は、やつらの領域に踏み込んでいたんだ。

向き直った。川に竿がかかっている。一本はリールつきの太いヤツ。もう一本は竹ざお。そこに、小鳥が並んで止まっている。と、思った瞬間、ぱっと空に散った。目で追うと、ツバメだった。

我に返った。川面に、対岸のマンションや住宅が映っている。背景は小高い丘。ただし、空に色がない。曇天、しかも逆光。何もかもがぼんやりとしている。到底写真にはならない。そう思ったが、妙な心持だ。女の、豊満な肉体が、炎につつまれている。苦しんでいるような表情が、ふうっと、脳裏をよぎる。それを打ち消すようにして、カメラのシャッターを押した。何回も押した。








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