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 Photo essay <入間川写真紀行>

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2004.4.10(土)快晴。スカッとした青空。初夏の陽気。

八時十五分、家を出る。川越橋を渡る。すぐに左折。土手道を、一気に釘無橋の手前まで走る。休憩所前の路肩に車を止める。

身支度。土手下のポプラを撮りに行く。ドブ川のような用水路に、鯉の群れ。両脇に菜の花が満開。





橋の下を抜ける。砂利の土手道に車を止める。川島の煙突の真正面。歩きながら、煙突を撮る。脇の、自転車道にも菜の花。戻りながら、これも撮る。

すこし車を走らせる。土手下の道に下りる。水深計を撮る。つぎに、水位監視塔?を撮る。塔の下にまで行く。周りをうろうろする。しつこく撮る。そのうち電池切れ。予備もない。引き上げ。来た道を一気に戻る。






2004.4.11(日)曇りのち晴れ。青空はない。時々薄日がさすていど。

八時過ぎに家を出る。川越橋の護岸へ行く。車の中で、写真紀行を書くつもりでいた。まずは、靴などを磨いてくつろぐ。そのうち薄日がさしてきた。急に気が変わる。

移動。初雁橋際から、日高県道に出る。秩父方向へ少し走り、的場の交差点を左折。そのまま安比奈新道を直進。柏原の交差点を道なりに左カーブ。さらに直進。昭代橋の際を左折。野球グランドを右に見て、公園ぞいの道路に車を止める。

昭代橋を歩く。

戻ってくる。車を動かす。昭代橋を渡る。左折して16号に出る。少し行って、消防署の脇を左に曲がる。カルフールの裏手だ。道が、右にカーブする。左に、上奥富用水堰、右は、運動公園。ずっと続いている。道路沿いの、ちょっと広くなっている所に車を止める。川っぺりを、昭代橋のほうへ戻るかたちで歩く。小さな分流。

以前ここで、浅瀬に横たわる、緋鯉を撮った。死んだばかりだと見えて、暗い流れの中で、鮮やかだった。行きつけの、写真屋のオヤジがほめてくれたので、言われるままに、写真展にだした。ところが、リバーサルのきれいな写真のなかで、タッチの暗いこの写真は、一枚だけ、完全にういていた。場ちがいな処に出展したのを後悔した。それにもまして、死んだ緋鯉が、なおいっそう無残であった。人目にさらすような写真ではなかったのだ。

すぐに行き止まり。道は、民家の庭先に続いている。ぶらぶら、堰のあたりまで戻る。立ち止まり、対岸を眺める。

ここに立って、発声練習を重ねた。説経節「山椒太夫」の稽古だ。あの頃はまだ、体力に自信があった。今の境遇を、想像だにしなかった。しあわせ、だったのかもしれない。ほんの、五、六年前のことだ。

岩砂利ネットの、急な護岸をななめに歩きながら、水際まで下りていった。十字マークの波消しブロックが、きれいに並んでいる。その上に立って、辺りを見回した。前に比べて、数が少ないような気がする。なんだが、立ち位置がせまい。注意して見ると、破片らしきものが、流れに洗われている。台風の増水で、流されたのかもしれない。ふ〜ん、どんな濁流が、こんなに重いものを押し流すのか、と思いながら、平たいコンクリの上で、ひとつ、ふたつ足を踏んでみた。むろんびくともしない。

川シモに向かって、幅のせまい河原を歩きだした。静かな流れの中に、なにやら、コンクリのかけらが頭を出している。それも、かなりの数だ。なるほど、あの、つるつるの白い十字ブロックが、粉々にされてしまったわけだ。原形をとどめていない。

真ん中に、21とか37とかの数字が、赤いペンキで書き込まれていた。ある時期、よくここに来て、ブロックの上に立ち、継ぎ目に湧く泡を撮った。水流がかなりあったから、あれはやはり、夏場だったにちがいない。そんなことが、本当にあったのだろうか?写真があるし、写真を撮ったという記憶も、まだちゃんとしている。しかし、それもこれも、夢の中の出来事だ、と、言って言えないこともない。

だいぶ疲れている。戻る。移動。運動公園を右に見て走る。狭山大橋の下に車を止める。いちおう、橋の下へ行く。案の定、なんにもない。すぐにもどる。ヨコの、芝生の広場へ入る。ベンチでひと休みする。家族連れが、ボールで遊んでいる。外人の奥さんだ。亭主は、ひょろひょろの、背の高い野郎だ。男の子と小さな女の子がいる。ふ〜ん。無遠慮にじろじろ見る。

立ち上がる。目の前の、ひくい土手を歩いて、清掃工場のほうへ行く。途中から岩砂利ネットの護岸を歩く。川シモに向かって一直線だ。かなり続いている。右は、ずうっと公園。川に沿っている。見通しはいい。だが、対岸にはなにもない。葉のない雑木が何本か、崩れかけた崖っぷちに立っている。その向こうは、一面の枯野。川シモのほうも、たいしたことはない。目に付くモノといえば、巨大なコンクリートブロックだけだ。水際に、まるで軍艦のようだ。なんでこんなところにこんなモノが、と言いたくなるような代物だ。これも、ま、いわば、入間川七不思議のひとつだ。

護岸は、この巨大ブロックのヨコで途切れている。立ち止まって、その場でぐるりとひと回りする。鉄塔があり、煙突がある。両方とも、好きなモノの範疇だが、ここの鉄塔は嫌いだ。高圧的なんだ。煙突のほうも、なぜか、撮る気にはなれない。ましてや、巨大ブロックなんぞは、近寄れば近寄るほど、変哲もないただのコンクリの塊で、まるっきり箸にも棒にもかからない。

たまには公園でも歩こうかな。先ほど、脇を抜けたときに、黄色いひと叢を目にしていた。それにたしか、ツツジのようなものも咲いていた。

赤芽の垣根をすりぬけ、公園の中へと入った。向こうに、黄色い塊がある。ふぅ〜とすい寄せられた。これは、そう、レンギョウだ。ふた叢あった。近くでよく見ると、しなだれた細い枝に、袋状の、黄色い花がいっぱいついている。とはいえ、かなりまばらだ。遠目で見た、あの、鮮やかな黄色い塊はどこにもない。はぐらかされたような感じだ。それでも、立ち位置を考えながら、まじめに撮っていた。すると、初老の女性が脇を通り過ぎていく。撮るのをやめて、目で追った。黒い日傘をさして、公園の周りをウォーキングしている。

人影のない、花ぐもりの公園だ。黒い傘が、しだいに遠ざかっていく。六十過ぎの、独身の女性だろう。楚々とした色香が、まだ、あたりに漂っている。

戻るかたちで、公園の中をぬけていった。途中で、ツツジの垣根を撮った。対岸には、たしか、ホームレスの小屋が、三軒ほどあったはずだ。今日は、かすんでいて、見えない。





2004.4.15(木)晴れ。あたたかい。午前中は青空。昼すぎから、雲が多くなる。

八時過ぎに家を出る。安比奈新道から柏原の交差点を左折。県道を道なりに進む。

新富士見橋付近に車を止めようとしている。なかなか見つからない。川沿いの住宅地の中をうろうろする。適当な場所がない。しかたなく、また県道に出る。すこし走る。今度は広瀬橋を渡る。本富士見と新富士見との間に、土手へ入り込む道があったはずだ。16号を注意して走る。本富士を左に見て、さらにいく。と、新富士の少し手前、建材屋の脇に、私道のような道がある。これだな。左折する。行き止まりのような感じだが、すぐに土手にぶつかる。右にいけば、新富士の下、左は、本富士の前で、ちょん切れている。とりあえず、左に曲がる。土手の上、水門の前だ。はぁ〜、もう、九時になっていた。飛行機雲が、青空に真一文字だ。





川にそった道をいく。新富士の橋の下を通り抜ける。土手の階段をあがる。国道16号だ。道の向こうには、でかいスーパーがある。歩道橋を上り下りして、橋の歩道に入り込む。見晴らしがいい。川カミの左手は、狭山丘陵。ここからは見えないが、自衛隊の入間基地がある。ジェット機などが、次々に旋回してくる。轟音もろとも、着陸だ。青空に、飛行機雲が、何本も入れ乱れている。ほんとうは、飛行機なんて、うるさいだけで、好きじゃない。とくに、迷彩模様の軍用機は、そら恐ろしい。「戦争」を思い出す。





お袋の弟が、真冬に、褌いっちょうで徴兵検査を受けた。病状を悪化させ、まもなく死んでしまった。結核だったらしい。

幼い頃、ことあるごとに、この話を聞かされた。褌いっちょうの、小柄で蒼白な伯父さんが、鬼のような兵隊にぶん殴られている。ほとんど泣き出しそうなほど、怖かった。

そんな時、お袋はきまって、虚ろな目をしてつぶやいた。お前もそのうち、兵隊にとられてしまう。その横顔をのぞき見て、自分も大きくなったら、兵隊にとられて、戦争にいって、鉄砲のタマに当たって死んじゃうんだ、と本気で思った。しかも、そんなときにかぎって、暗い貧乏長屋の上を、飛行機が通る。何機も何機も通過していく。爆音で電球のかさが揺れる。もう、ほんとに、身も心も押しつぶされそうだった。

とはいえ、物心がつくと、お袋の話を鵜呑みにはしなくなった。幼い反抗心が芽生えてきたのだ。のみならず、抗弁するようにもなった。戦争なんか起きない、と言い張った。するとお袋は、おまえも二十歳になったら徴兵検査を受ける。そのうち赤紙が来て戦争にいく、ときっぱり否定した。ああ、男の子なんか生まなきゃよかった。どうしても、俺に徴兵検査を受けさせ、戦争にいかせたいらしい。根拠のない確信、妄信だ。しかし、俺の方にだって根拠があったわけではない。戦争にいって死ぬのが怖いから、ただただ、感情的な全否定を繰り返していたにすぎない。

お袋は、そんな俺を、憐れむように見て、また、かわいがっていた自分の弟のことを話し出す。

お袋が戦争話をしなくなったのは、俺が小学校の高学年になってからだ。母子の間に距離ができたからだ。のみらず、日本という国全
体が、戦争の記憶を忘却しつつあった。東京タワーができ、新幹線が走り始めた。

幸運にも、お袋の予言に反して、俺のところには、徴兵検査の通知も赤紙も来なかった。五十を過ぎた俺が、この先、戦争に狩りだされることもないだろう。とはいえ、子供や孫、曾孫の代に、戦争が起こらないという保証はどこにもない。現に今でも、世界のあちこちで戦争をやっている。

お袋の悲観的な妄信も怖かったが、楽観的な妄信はもっと怖い。(哲学帳15より)

話を戻そう。

右岸の、新富士橋から昭代橋までの土手を歩く。右手は、土手と16号とにはさまれた住宅、ずっと続いている。左は川。流れは見えない。対岸に順光。きれいな青空。明かりはバッチリだが、たいした景色じゃない。土手があって、そのうえに、倉庫や工場の屋根が見えるだけだ。

水門のあたりで小休止。土手の階段に座る。飛行機が、ひっきりなしにやって来る。ここからだと、米粒くらいの大きさだ。爆音の音も小さい。目の下には、家庭菜園。じっさまが、耕している。周りには、タンポポや小さな紫の花がいっぱい咲いている。

行き止まりまで行く。土手の上にもタンポポ。踏まないようにして、戻る。水門のところから、水際へおりる。バシャッと、鯉の群れ。白いのもいる。また土手に上がる。ぶらぶら歩く。下水がある。二本のドカンから、水がちょろちょろ流れている。さほど汚い水ではない。臭いもない。下の、たまり水の中に、四匹ほどの鯉。川との間に、誰かが石を積んで、せき止めている。一番大きいのは、背中の所々が白い。病気だな。

橋の下で、ウインドブレーカーをぬぐ。あつい。かなり疲れている。






2004.4.22(木)晴れ。あつい。空は、青みがかった灰色。

先週の土曜日、左目が混濁した。そのあとも、風邪が、胃腸にきたのか、腹痛。今日になっても、体調は十分ではない。とはいえ、もう一週間近く、写真を撮っていない。うずうずしている。

安比奈新道を左折。柏原ニュータウン通りに入る。そのあとは、川に沿った県道、日高狭山線(はじめて知った)を走る。広瀬橋のたもと、ヤオコーの交差点を直進。一つ目の手押し信号を左に入る。住宅の間の、細い道をゆるゆる走る。すぐに、自転車道にぶつかる。それをまたぐかたちで、河川敷に入っていく。左は、ゲートボール場、右は公園、前は川だ。

川沿いの、ガタガタ道を広瀬橋のほうへ行く。日陰の橋の下に車を止める。なんだかあつい。ウインドブレーカーなどは着ない。白い長袖のYシャツにベスト(釣り人がよく着ている、ポケットがいっぱいついているやつ)。下は、おきまりの黒のジャージー。ポーチの中から、小物入れと手袋を出し、ベストのポケットにしまう。あとは、ツバつきの帽子とサングラス。靴の紐をきちっと結んだ。

橋の脇から土手を登る。隙間に、なにやら、布団。ほかにも、汚らしいものが散乱している。ホームレスだな。

広瀬橋を歩きはじめる。両側に、広い歩道がついている。車の往来を気にせずに、ゆっくり景色を楽しむことができる。川シモ側の歩道を歩く。九時。明かりは対岸に順光。





橋を渡り終える。橋の下には、ブルーシートで四面を囲んだ小屋。バイクがおいてある。右岸の土手を、川シモへ歩く。右は小学校、左下に田島屋堰。土手をななめにおりる。堰に立つ。浅瀬を歩いて、真ん中までいく。足を滑らせないように気をつける。対岸の住宅などが、川面にうつっている。きれい、ではある。

土手にあがる。カンカン照りの中を歩く。水門のようなところに人影。ホームレスらしき人物。痩せ型長身。黒っぽいポロシャツを着用。トランジスタラジオを耳に当てている。なにかを燃やした模様。足元に、黒っぽい燃えカスが見える。いやぁ〜、たんに、強い日差しを避けているだけなんじゃないの。

さらに土手を歩く。本富士見橋まで行く。橋の下におりる。ここにもホームレス。おいおい、もういい加減にしてくれよ。こっちのほうは、復員兵のような格好。リックを背負っている。日陰の橋げたに寄りかかり、新聞を広げて読んでいる。俺の足音に驚いたのか?ふっと、腰を浮かしている。べつに、その筋の人間じゃない。おどおどするなよ。見てみぬ振りをして、橋などを撮る。おりしも、自衛隊の飛行機が、次から次へと、目の前を通過していく。

飛行機は、まず、ぐるっと旋回してくる。それから、順番に、着陸態勢に入る。目印は、対岸のひときわ高いマンションだ。次第に高度を下げ、建物の脇をかすめるようにして、がぁ〜と来る。超低空で、パイロットのヘルメットが、はっきり見えるくらいだ。頭の上をこえて、あっという間に、右手の小高い丘のなかに消えていく。そこが基地だ。

たまったもんじゃないな、この騒音は!

橋際の護岸に、太い竿が二本並んでいる。そのうちの一本に、魚がかかった。鈴がなっている。と、おっさんが、どこからともなく、すっ飛んできた。竿を持ち上げ、糸を巻き上げている。そばで、一部始終を見物することにした。

元気そうな、二尺近くの鯉だ。鱗がきらきら光っている。見ていると、おっさんは、鯉の口から、丁寧に針を抜き取っている。不躾に、食べるんですか?とたずねる。泥臭くて食べられませんよ。むさ苦しい身なりのわりには、言葉遣いがちゃんとしている。二言、三言、言葉を交わす。リリースの際には、鯉にも言葉をかけていた。またね、とかなんとか言って、見送っている。答えるかように、鯉は、尾ビレを元気よくふりながら、深みへと消えていった。

ほかにも、何人か、釣り人が護岸を行ったり来たりしている。そんなことにはおかまいなしに、こっちは、護岸をななめに歩きながら、飛行機を撮り続けた。






2004.4.24(土)午前中は、快晴。午後からは、すこし雲が出てきた。

広瀬橋の下に車を止める。橋の上を歩きながら撮る。風は北風。寒い。山が、手にとるように見える。





土手道を、カミのほうへ歩く。左は野球場、続いて、中学校の運動場。土手は、すぐにが途切れる。河川敷には、一面だけの、さえない野球グランドがある。





土手をおりる。安普請の管理事務所のヨコを通り抜ける。平屋の、貧乏くさい共同住宅が、道の向こうに並んでいる。その脇に、植え込みで仕切られた小さな公園がある。

そうだ、思い出した。

段差をまたぐ。あれだ。吊り輪のような遊具。あの時のままだ。鎖の先に、赤や青の、まるいワッカがついている。ぶらんぶらんしている。

人気のない公園で、ブランコや鉄棒を撮っていた時期がある。「不在」とか「不安」とかの言葉が、頭にはあったはずだ。本当は、おもいっきり、さびしかったんだ。

ちょっとのぞいただけで、公園をあとにした。そのまま少し歩き、河原へとおりていった。すぐに、霞川との合流点。堰になっている。でかい瓦のようなブロックが、きれいに並んでいる。その上を歩いていくと、目の前には、背丈くらいのコンクリの壁。水が滴り落ちている。どうもぱっとしない。が、まぁ、はじめての場所ということもあり、振り返って、挨拶代わりに、二、三枚撮った。

入間川に戻った。こんどは、水の引いた川床を、豊水橋のほうへ向かって歩いた。なんだかドブ臭い。左の崖っぷちには、ホームレスの掘っ立て小屋もある。こんなところにもいるのか。

水際の、十字ブロックと鍋蓋ブロックの上を歩いた。並行して、小高い林が続いている。あんまり雰囲気がよくない。それでも、小道があったので、あがってみた。すぐに抜けられた。アスファルトの道路があり、向かいは、フェンスで仕切られた、広い芝生のグランド。立ち止まって、ちょっと考えた。きょうは、行かないことにする。

林の小道に戻った。イヤな感じだ。ちょっと先で、竹やぶになっている。警戒しながら近づいていくと、やっぱり、掘っ立て小屋だ。フェンスでそこだけ囲んである。もうこれ以上は踏み込めない。

また水辺におりた。いま来た川床に戻った。合流点の浅瀬を渡り、こんどは、中州に入った。広瀬橋のほうを向いている。おっと、足元に、黄色やピンクの花が咲いている。踏まないようにして、水際まで行った。首を伸ばし、左右を見る。カミもシモも、写真に撮るような景色ではない。と、いきなり、バシャッという音。浅瀬で鯉がはねている。ビクッとした。

辺りを見回した。護岸がある。橋の下まで続いている。あの上を歩いて戻ろう。

中州を突っ切るかたちで歩き出した。大きな水溜りがある。それをまたいで、護岸にあがった。腰を下ろし、何気なく、視線を下に向けた。水の中に黒い塊がある。燃えカスのような感じだ。いやちがう。動いている。おたまじゃくしの群れだ。うじゃうじゃいる。頭の黒いやつが、ちょろちょろ動き回っている。じっと見る。心が、ふっとゆるんだ。









2004.4.25(日)快晴。雲ひとつない青空。ただし、風は冷たい。

川越橋を渡る。左に折れて、右岸の土手道に入る。少し先の、休憩所前の路側帯で身支度。黒のウインドブレーカーの上下、毛糸の帽子、手袋もつける。あとは一気に、釘無橋の先、芳野台の煙突まで行く。

土手の片側に、杭が十数本並んでいる。先っちょが黄色い。それを、煙突にからめて撮るのが、おきまりになっている。ところがきょうは、並走している自転車道の両側に、菜の花が咲き乱れている。明かりの具合は、川カミに順光。バッチリだ。煙突をいれて、かなり撮る。三、四十分粘る。その間、サイクリング車が、ひっきりなしにヨコを走り抜けていく。





二百メートルくらい先の、大きな水門の下へ移動。先客がいる。スポーツタイプの車が止まっている。若いヤツのだ。人は乗っていない。

水路ぞいに、ぶらぶら行く。川のほうへ向かっている。カミのほうを見ると、麦畑の中に、木が一本立っている。空は青い。外秩父の山並みも見える。煙突を入れて、夢中になって撮る。





ひと息いれる。歩き出す。すぐに行き止まり。崖になっている。水辺には、おりていけそうにもない。下を覗き込んでいると、若いヤツが、不意に視界に入ってきた。向こう側の、水路際の護岸にいる。流行のフィッシングスタイルだ。気にいらねぇ〜若造だ。わざと無視する。

引き返す。水路にかかっている、小さな橋を渡る。また、川のほうへ歩き出す。案の定、この道も行き止まり。ただし、崖っぷちを五、六歩いけば、護岸へ入り込める。この際だ、行くか。とんでもなく急な護岸を、用心しながら、ななめにおりた。あやうくすべりそうになったが、何とかこらえて、無事に水際まで達した。

周りを見回した。どろんとした緑の流れだ。ただし、水量は多い。対岸も崖。ところどころに菜の花が咲いている。が、それだけだ。川シモも川カミも、よく見えない。

ちょっとまってくれ、なんか変だぞ。というのも、本来、水際にあるべきはずの十字ブロックが、川の真ん中にある。しかも、横一列に、きれいに並んでいる。波消しの意味が全然ない。

なるほど、水門からの激しい水流が、あそこにあたって、分散されるというわけか。べつに流されたわけじゃない。ちゃんと波消しの役割を果たしているんだ。記念に何枚か撮った。

車に戻った。中は暑かったが、画像メモリーを一枚だけ、急いで入力した。暑くてしょうがねぇ〜よ。すぐに外に出た。土手の階段に腰掛けた。ひと息ついて、辺りを眺めた。川は見えない。が、そのあたりに、車が何台か止まっている。釣りをしているな。ということは、水際におりていくこともできる。そう見当をつけて、土手下の道を、すこし移動した。左に農道がある。車一台、やっと通れるほどだ。そのまま行くこともできたが、歩いていくことにした。

すぐに突き当たり。右にだけ、川に沿った道がある。車が通れる。左は行き止まり。竹やぶになっている。そこに、頭から突っ込んだかたちで、軽ワゴン車が二台止まっている。そばに、変なジジイがいる。鍬の小さいやつで、地面を掘っている。でかい声を出して、竹やぶの中の、姿の見えない相棒と話をしている。筍を掘っているんだ。貧相な身なりで、なんだか、ホームレスっぽい。

見てみぬフリをして、右のほうへ行く。崖になっている。そうとう高い。下をのぞいてみた。釣りをしている。おりていこうか?ちょっと迷った。やっぱり面倒だ。どうせ、たいした景色じゃない。やり過ごす。道が右に曲がっていく。また農道になる。正面は高い土手。その下に白い車が見える。俺の車だ。

いい天気だが、もう、疲れている。集中力がない。時計をみると、十二時を回っていた。秩父の山並みも、少ししらんできた。引き上げよう。





2004.4.29(金)快晴。あたたかい。雲ひとつない青空。ただし、山並みは多少しらんでいる。

八時、家を出る。安比奈新道から日高狭山線に入る。いつものルートだ。根岸の交差点で左折、豊水橋を渡る。渡りきったところで、左回転しながら、橋の下へおりていく。あれれ、きれいになっている。古い橋は、跡形もない。残骸も撤去されている。風通しもよく、清々している。ゴミひとつ落ちていない。ただし、真っ白な橋げたの脇に、ガタガタのワンボックスが止まっている。おそらくは、車上生活者だ。

橋の、カミ手側の広い歩道を歩く。山並みが手に取るように見える。川が、空をうつして青い。これはと思い、ねばって撮る。限界まで撮る。





目が疲れた。ぶらぶら戻りながら、橋からの景観を楽しむ。河川敷が、ずっと向こうまで運動公園になっている。これも、何枚か撮った。





車に戻る。中で、さっそく画像の入力。すぐに終えて、移動。こんどは、右岸のテニス場にそった道を走る。左手は、先日歩いた、雰囲気のよくない林。ずっと続いている。右手はフェンス。広場の向こうには、なじみの高層住宅が二棟ある。二十階建てくらいのヤツで、近くで見るとかなりでかい。

道が、行き止まりになっていることは知っていた。が、行けるところまで行ってみよう。すぐに、霞川のちいさな土手にぶつかる。あとは、土手を登っていくしかない。左にいけば、先日来た合流点。もういいだろう。回転。いま来た道を戻る。

川沿いの竹やぶの中に、バラックが点在している。柵などもしてある。どんなヤツがいるのかと、ゆっくり走る。すると、中に、ジャージー姿の親父が、四、五人いる。一見して、ホームレスのような感じではない。となると、俺の勘違いかもしれない。バラックは、運動用具か何かの、物入れなのかもしれない。

すこし行って、車を、道沿いの木の下に止めた。外にでる。みると、こぶし大の石を敷きつめた小道がある。林の中へと続いている。何でこんなところに、と思いながら、その上を歩いていく。林を突っ切り、水辺へと通じていた。

水際は、波消しブロックで固められていた。釣り場、といったふうである。カミ手の豊水橋まで続いている。その平らなコンクリの上に、なぜか、こぶし大の石が、ぼこぼこと突き出ている。歩きづらくてしょうがない。

辺りを見回した。対岸は、うっそうとした茂み。ところどころに、背の高い木が生えている。シモ手もカミ手も見通しはいい。左には豊水橋。右には、広瀬橋が小さく見える。とはいえ、写真に撮りたいような景色ではない。ま、それでもいちおう、お愛想で何枚かは撮った。

変なブロックがきれた。せまい河原になっている。水際を、さらにいく。と、目の前に、垂直なコンクリの壁。せき止められた流れが、ほとばしっている。橋の真下が堰になっている。





ここからはみえないが、向こう側には、「魚道水道」がある。いわば、魚の通り道だ。おもしろい造作なので、来るたびに撮っている。でも今日はいいだろう。

日差しが強い。いささか暑かったので、ほとばしる水流に、清々した。それにひきかえ、目の前の豊水橋は、なかなか絵にならない。何回もカメラを構えなおしたが、やはり撮れない。

来た道を戻った。こんどは、右岸上流の、水際を歩くつもりでいた。橋の上からみたところでは、釣り場だ。川に沿った道があり、車はどこにでも止められる。ところが、走り出して気が変わった。たいした景色じゃないだろう。それよりは、笹井の堰のほうがいい。

運動公園の中をぐるぐる回った。どん詰まりに、堰へと向かう川原道がある。そこを、さらに行くと、堰の真横で行き止まり。車を、平らな護岸の上に止めた。

堰の上にあがる。と、ふと思い出した。この奥にヘンなものがある。水深計のようなモノだが、なんとも形容しがたい。五、六年前に発見したのが、すでに破損していた。撤去されているかもしれない。

堰の脇を通り抜け、ひとの踏み固めた小道を歩いていく。すぐに水辺。流れが、水鏡になっている。静かだ。対岸は高い崖。住宅が並んでいる。おっ、あった。以前とたいして変わっていない。ただし、葉の茂った高い木が後ろにある。周りが、ぐるっと茂みだ。う〜ん、距離がとれない。それでも、台座に足をかけ、ふんばりながら撮った。





ついでに、その先にも行ってみた。流れが、左へおおきく曲がっていく。水際が、ブルドーザーできれいにならされている。はじめて歩く場所だ。左手は深い木立。遠くに、重機などが見える。工事中だ。

戻った。また堰で立ち止まり、下流にカメラを向けた。と、自転車に乗ったヤツが、こっちへ向かってくる。なんだか胡散臭い。俺の車をじろじろ見ている。横に自転車を止めた。あっ、姿が見えなくなった。車の陰だ。おいおい、車上荒らしじゃないだろうな。一瞬あせった。俺の大事なパソコンが。

だが、男はすぐに姿をみせた。護岸に突っ立ち、対岸を見ている。かとおもえば、ふいに背中を向け、こんどはシモのほうへと歩きだす。ぶらっと行って、あれ、また戻ってきた。やっぱり、なんだか怪しい。そのうち、自転車を引いて、もと来た方へ帰っていった。

車に戻った。向こうから、自転車がくる。さっきの野郎だ。すれちがいざま、窓越しに顔を見た。無精ひげには、白っぽいものが混じっている。が、おどろくほど精悍な面構え。歳は、六十そこそことみた。黒いTシャツの背中に、ひらがなで「むげん」の文字がうき出ている。

車からおりて、それとなく、男の様子をうかがった。男は、道の行き止まりまで行った。堰の真下だ。ちょっと木陰になっている。自転車を止め、上を見上げている。ほっとしたような様子。その瞬間、すべてを了解した。ホームレスではないにしても、日雇いか何かをやっている男で、涼しい場所を探していたんだ。いや、焚き火の跡があったから、この辺りで野宿をするのかもしれない。

むやみに人を疑った自分を恥じた。急いで車を回転させた。バックミラーで、男をチラッと見た。あいつが「モロイ」かもしれない。





2004.5.1(土)晴れ。あつい。薄日。青空は見えない。陽が昇るにつれ、しだいに雲がうすくなる。ところどころに青空。

今日は、久しぶりに車のワックス掛けでもしよう。そう思って、八時過ぎに家を出た。ところがすぐに気が変わった。今日よりは明日、明日よりはあさって、天気は下り坂のようだ。ほんとうは、朝っぱらから、車の掃除なんかしたくない。予定変更。

いつものルートで、豊水橋まで一気に走った。橋の下を抜ける。ほんとうに、きれいで気持ちがいい。とはいえ、案の定、昨日と同じところに、胡散臭いワンボックスが止まっている。やはり、車上生活者だ。運転席に人影はない。

川沿いの、広い道に車を止めた。木立が少しあって、すぐに水辺だ。サラリーマン風の中年が、ちいちゃなイスに座って、キャンバスに向かっている。後ろから近づいて、横目でチラッと、その絵を見た。川を描いている。構図のとり方が、ま、ありきたりだな。自分のことのように、恥ずかしかった。あえて、日曜画家の顔は見ずに、水辺に沿った小道を歩いた。

木立の中には、常連の釣り人が作ったのだろうか?ベンチやテーブルなどがある。湖畔のキャンプ場のような風情だ。対岸では、四、五人、おじさんたちが釣りをしている。何か、大きな声で話をしている。そんなことにはおかまいなく、川の真ん中を、二羽の鴨が、す〜っと泳いでいる。うしろで、小さいのが二羽、るるるるる、と鳴いている。コガモかな?立ち止まって、見ていると、そうでもなさそうだ。鴨たちは、向こう岸へ行く。小さいのは、その後を追わないで、さらに上流へと泳いでいく。るるるるる、なんとも切ない鳴き声だ。親鳥を探して、さ迷っているとしか思えない。

小道が、だんだん怪しくなってきた。草むらになっている。行こうと思えば、行けそうな気もするが、臆病になった。蛇でもいるんじゃないの。引き返えそう。護岸へ向かって、二、三歩きはじめた。足元に、小さな白い花。一面に咲いている。踏まないように気をつけたが、いくつかは踏みつけてしまった。

平らな護岸の上を歩いた。すぐに行き止まり。用水路があり、向こう側へは行けない。ふとよこを見ると、護岸の下に小道がある。水辺の方へ行けそうだ。踏み込んでいくと、案の定、流れのひいた河原になっていた。その瞬間、近くで、ばしゃと音がした。浅瀬に鯉が何匹もいる。おどかすなよ。

足元が、多少ぬかっている。靴をとられないようにして歩いた。草むらの陰に、水溜りの大きいのが、ふたつ、みっつあった。姿は見えないが、そこにも鯉がいた。取り残された感じだ。

明かりは対岸に順光。だが、撮るような景色はない。川カミに、笹井の堰が小さく見えているだけ。ただし、すじ状の雲がいい。一枚だけ撮った。





護岸をつたわって、上にあがった。まだ早いのか、運動公園には誰もいない。これさいわいと、野球場に入り込んだ。といっても、きれいにならされたクランドに、足跡をつけるようなマネはしない。ネット裏から回り込んで、屋根つきの、青いベンチの前を通り、内野と外野との境にまで行った。立ち止まり、広々としたグランドをながめた。うっすらと山も見えた。





すぐうしろに、これはサッカー場との境界線なのか?背丈のまちまちな皐月が、ずらっと植わっている。ところどころに白い花をつけている。そこまで下がり、記念に何枚か撮った。





車に戻った。移動。用水路に沿った道を、ぐるっと一周して、向こう側に出た。テニスコートのヨコだ。これは、中高年のテニス教室だな。品のいいおじさんたちが、若いコーチに手ほどきを受けている。

草むらのなかを歩いた。水辺に出られるかもしれない。ところが、ちょっとした崖になっている。下にはおりられない。すごすごと引き返した。しかたなしに、川に沿った、ひくい護岸の上を歩いた。目で、水辺へと通じる小道を探した。すると、すぐにあった。ただし、途中に、自転車が止まっている。突っ立って見ていると、向こうから、若い女性が歩いてくる。黄色のTシャツ、手には、野草を何本か持っている。だが、無愛想な感じだ。すぐに自転車を引いて、目の前を通りすぎていった。

小道を歩きはじめた。すぐに河原。先ほどのよりは広い。カミへと向かって歩き出す。とたんに、ばしゃばしゃっという音がした。浅瀬に鯉の背中が半分くらい見えた。そおっと近づいて、流れの中に目を凝らした。どこにもいない。さらさらという水音ばかりだ。

中州になっていた。真ん中に草が生えている。緑の帯だ。下を見ながら歩いていくと、小さな草に、白い花がいっぱいついている。まばらに生えているから、踏みつけることなく歩くことができた。笹井の堰が、すぐそこに見える。





川の中ほどで、鯉の群れが、さかんに音を立てていた。産卵期だ。対岸では、中年が一人、釣りをしている。その向こうで、なにやら声がした。と、新緑の木立のあいだから、真っ黒な犬があらわれた。黄色の首輪をしている。すぐに飼い主も出てきた。白いポロシャツを着ている。顔はよく見えないが、しきりに、犬を呼んでいる。でも、犬は全然きかないで、どんどん水際のほうへ走ってくる。そしてとうとう水の中に入って、ばしゃばしゃやっている。そのうち、ご主人が、犬のそばにまでやって来た。腕白な男の子をたしなめるような口調で、何か言っている。犬は水からあがると、ぶるぶるっとからだを震わせ、ご主人のほうへ行きかける。が、どういうつもりなのか、すぐにまた反対のほうへ逃げていく。そのまま、どんどん離れてしまうのかな、と見ていると、また戻ってくる。そんなことを何回も繰り返している。あげくのはてには、水際でウンコだ。この間にも、ご主人のほうは、ひっきりなしに声をあげている。ワンちゃんは、といえば、用を済ませた後、後ろ足で砂をかけることもしない。なぜか、その場でお座り。すぐ近くの、中年の釣り人をじっと見ている。そこへ、しかたなしに、というふうに、またご主人が戻ってくる。しかし犬は、置物のようになって、じっと釣り人を見ている。釣り人が、そんな犬の気配に恐れをなし、あわてて場所を移動し始める。この一部始終を、積み石の上に立って、見物しているヤツがいる。短髪で、サングラスをかけた、黒っぽい野郎だ。たしか、首からカメラをぶら下げていた。
小鳥たちが、木立の中でさかんに鳴いていたような気もする。

河原から、草ぼうぼうの小道にあがった。ふと見ると、パソコンがおいてある。忘れ物かな。きれいだ。すくなくとも、雨露にはやられていない。ひょっとしたら、まだ使えるかもしれない。そう思いながら、道路っぱたにでた。ありゃ、こんどは、ゴミと一緒に、ケーブルと充電器がひとまとめになって落ちている。これはと思い、いそいで、パソコンを拾いに戻った。ケーブルの類もまるまる一抱え、よく見もせずに拾いあげ、脇に抱えた。周りをチラッと見た。逃げるようにしてその場をあとにした。まるで泥棒だ。

車の中で、ドキドキしながら電源を入れてみた。ダメだ。何度試しても画面がうつらない。そうだ、川越のパソコン屋へ持ち込んで、使えるかどうかみてもらおう。

もう写真どころではない。16号を小一時間ほど走り、店に入った。カウンターの若い店員に、知り合いにもらったと説明して、動作確認を頼んだ。けっか、内部が破損しているので、修理には五、六万かかる、とのこと。あ〜あ、おつかれさん。そんなうまい話はないよな。あさましいかぎりであった。





2004.5.2(日)朝のうちは曇り。しだいに薄日がさしてきた。

五時ころ目が覚めた。布団の中でぐずぐずしていたが、思いきって、六時におきた。いつもより一時間早い。どうやら今日は曇りだ。写真撮影は中止。川で車の掃除でもしよう。あとは、小一時間、車の中で、写真紀行を書く。帰りには、スーパーへ寄って、食料の買出し。そんな段取りをつけて、八時ころ家を出た。駅前で缶コーヒーを買い、親水公園へ向かった。車の掃除をするつもりでいた。が、なぜか、急に気が変わった。曇りといっても、けっこう明るい。写真を撮りに行こう。頭にあったのは、昨日撮りそこねた、ヘンな水深計のことだ。かえって、曇っていたほうがいいかもしれない。

一気に豊水橋の下まで走った。今日もまた、橋げたに寄り添うかたちで、れいのワンボックスが止まっている。なんとなく、苦々しい。運動公園の中をぐるっと走る。堰へと向かう小道の脇に車を止めた。

ひくい護岸の、平らなところを歩く。水辺におりる小道を、目で探した。一面、草むらだ。すぐに堰の前まで来た。そこに、なにやら、人の踏み固めた小道がある。草を足で払いのけながら、下へおりていった。堰からの水量が少ないせいか、川床が所々に見える。大きな石の上をつたわりながら、川を突っ切るかたちで進む。すぐに、堰の真下。川の真ん中辺だ。見上げると、真一文字の、コンクリの壁。その急勾配の下には、これまたコンクリの石畳。落差は、背丈の倍以上もある。さらに行くと、流れの中に、泥岩のようなものが露出している。目の前の、一段と高くなった所は、その堆積地だろう。少し登ってみたが、深い草むらになっている。踏み込むのをやめ、すぐにおりた。

河原の草は、みな、花をつけていた。咲き乱れている。

こんどは、河原から石畳に登った。みると、コンクリの継ぎ目に、一叢の草が繁茂している。赤い、小さな花をいっぱいつけている。





辺りを見まわした。依然として、目の前には、背丈以上のコンクリの壁がある。その上に立てば、せき止められた川の流れを見ることができる。思いきって、挑戦してみた。反り返っているうえに、滑りやすい。二度挑戦したが、登れなかった。堰に背を向けた。下流の河原で、子供たちの喚声。バーベキュウをやっている。

岸にもどった。堰のヨコ、堤防のような所に立ち、何枚か撮った。さらに、うしろの崖をのぼり、道に出た。高い所から堰全体を俯瞰した。





道は、自衛隊の、笹井水源地分署(地図にそう書かれている)へと続いている。ぶらぶら歩き始めた。柵のなかには、りっぱな詰所ある。窓から、男の頭だけが見える。こっちを見ているような気がする。施設に沿って、道は左のほうへ曲がっている。工事中みたいだ。立ち止まった。背伸びをして、柵越しに施設の中をのぞいた。河原にあった、変な水深計が、いっぱい並んでいる。浄水場の光景に似ている。よこっちょでは、バイクで来たおばさんが、道路脇で何かやっている。水道の検針かな?その横を通りぬけ、こんどは、川原へとおりていった。うしろで、おばさんと隊員との話し声が聞こえた。

川沿いの道を歩いていく。左は深い木立になっている。すぐに、れいの水深計だ。台座にのぼる。後ろには高い木がある。枝が邪魔だ。ふと見ると、根元に、なにやらゴミが捨ててある。もっとよく見ると、小さなテーブルの上に、白い軍手が丸めて二個、それに、未使用の乾電池が何本か置いてある。さらに、枝には雑巾が一枚かけられ、ゴミだと思ったレジ袋からは、黄色いお弁当箱が顔を出している。あたりに人の気配はない。どうにもイヤな感じだ。引き上げよう。

ブルドーザーでならされた、水際を歩き出す。流れは、大きく左へと曲がっていく。今日は、行けるところまで行く。とはいえ、すぐに護岸。ずっと向こうまで続いている。はは〜ん、護岸工事をしているな。

左手は、さっきからずっと、深い木立。その向こうから、なにやら、声が聞こえる。中学生の部活だ。学校がある。さらに行くと、案内板。なになに、「市民の森」云々〜入間市。さらに歩く。どうも、土手の上を歩いているようだ。今度は道が大きく右に曲がっていく。川の蛇行に沿っている。そのうち、道が広くなる。ちょっとした広場になっている。屋根つきの休憩所もある。そしてまた案内板。「ふれあいサンクチュウア」云々〜入間市。なるほど、どっと前が開けている。ただし、対岸に大きな木立があって、その向こうが見えない。たいした景色じゃない。

左手の深い木立は、いつの間にか終わっていた。かわりに、公共施設のような建物が続いている。土手道のほうは、急に細くなる。桜の並木道だ。斜面に花がいっぱい植えられている。ベンチがいくつも並んでいる。涼しい。でも、並木道は、あっという間に用水路で切断される。むろん、下の河原におりていって、また登ればいい。ただし、そこからは、カンカン照りの、広い土手道だ。カミの新豊水橋まで続いている。

土手の下は、整備工場のようだ。バラックのような建物があり、車が何台も止まっている。おりていって、脇の自動販売機で、冷たい缶コーヒーを買う。そのまま、用水路に沿って、道路を少し歩く。右手の建物は、水道局の施設だった。(地図でみたら、鍵山浄水場とあった)

戻った。河原におりていった。じいちゃんと、小学生の孫たちが遊びに来ている。じいちゃんはご機嫌で、鼻歌まじりに、草笛を孫たちに聞かせている。護岸には、なぜか?二メートル以上もある鉄の棒が、一本だけ突っ立っている。目盛が打ってあるから、水深柱?かも知れない。ひらけてはいるが、取り留めのない景色の中で、ひときわ目につく。何枚か撮る。だがどうにも絵にならない。ずいぶんと歩いた。もう引き上げよう。

水際を歩きながら戻った。意外に早く、堰の近くまで来た。流れがせき止められている辺りだ。見ると、雲が、ほんわかしている。対岸の、横一列に並んだ、おもちゃのような家々を入れて、何枚か撮った。十二時近くになっていた。






2004.5.5(火)曇りのち晴れ。

今日は、親水公園で車のワックスがけ、その後は、写真紀行の続きを書く。そんな心積もりでいた。ところが、またまた気が変わった。曇ってはいるが、けっこう明るい。写真を撮りに行こう。

いつものルートで、一気に根岸の交差点まで走った。左折して、豊水橋を渡り、一つ目の信号を右折。車を止める場所は、この前ちゃんと下見してある。浄水場沿いの道をいった、突き当たり。整備工場の脇だ。住宅地の中をごちゃごちゃ走った。一回だけ間違ったが、すぐにわかった。

土手を歩き始めた。高くて、広い。見通しがいい。ただし、曇りのせいか、いまひとつ景色がぱっとしない。それに、河原には、飲み食いしたゴミが散乱している。土手道にも、いたるところに、犬の糞。気分はよくない。と、ワン公が、俺の足元に近づいてきた。後から来た飼い主のババアは、ウンでもなければスンでもない。だいいち、フンを始末するビニール袋さえ持っていない。まったく、どうしようねぇな。

あっという間に、土手の終点。ちょん切れている。左手は、見上げるほどの高い崖。ぼろ屋一軒、がけっぷちに立っている。土手をおりた。と、どこからともなく、いい匂い。花の香りだ。見回すと、目の前の木々に、白い花の房がいっぱいついている。木の名前は知らない。

川に沿った、ホコリっぽい川原道を歩いた。左手は、土建屋の資材置き場。柵があり、重機やドカンなどが置いてある。前には、圏央道と新豊水橋。高い橋脚のうえに、二本の橋が並走している。道は橋の下を抜け、ずっと向こうまだ続いている。でも、今はそっちには行かない。

橋に沿って、左に曲がった。階段が見える。かなりの段数だ。途中に、また干からびた犬の糞。あがり終えると県道が見えた。その向こうに、西武線が走っている。橋を見上げる。なにやら、歩道のようなものが見える。高速道路の圏央道は、むろん歩けないわけだが、新豊水橋の上はどうだったのか?人の歩いているのを見たことがない。だから、歩道はないものとあきらめていた。ま、いってみるか。すぐに県道に突き当たる。横に小さな神社があった。案内板に由緒が書かれている。写真に撮る。

橋と橋との間の歩道を登った。登りきると、これが、新豊水橋の歩道であったことがわかった。車道とは、ガードレールでちゃんと仕切られている。一間幅あり、広い。しかも、背の高いコンクリの欄干だから、落ちる心配もない。身に危険を感じることはないのだが、いかんせん、展望がない。川シモは、圏央道でふさがれている。川カミは新豊水の、防音壁だ。これじゃ、しょうがないな。ところが、よく見ると、防音壁が途中から切れている。背伸びして、もっとよく見ると、あっちにも歩道がある。なるほど、なるほど、向こうへ渡ればいいんだ。とはいえ、橋の真ん中ヘンのことで、横断歩道がない。ずっと下っていったところにはあるが、かなり遠回りだ。思い切って、片側二車線の車道を突っ切ることにした。車の流れが切れたのを確認して、ひとまずは、植え込みのある中央分離にまで行った。そしてまた車の途切れるのを見計って、向こう側に渡った。

曇りではあったが、山並みが見えた。山の中腹には、建物がいっぱいある。真下の、川の流れは貧弱だが、今日一番の景色だ。ゆっくり歩きながら、何枚も撮った。





いま来た道をもどって、川原へおりた。今度は、ひくい護岸の上を歩いた。振り返って、橋を見た。手前の、浅い流れのなかに、三脚が立っている。見ていると、迷彩ジャケットを着たヤツが、車からおりて来た。カメラを少し動かし、また岸に上がった。さっきから、下水路の横に、赤い車が止まっていた。窓から、白いシールドが垂れ下がっていたが、あれは、カメラのリモートコードだったんだ。

川で写真を撮っているヤツにロクなのはいない。不愉快なヤツばかりだ。無視無視。

いつのまにか、乱雲の間に、青空が見えている。この空は、何とかモノにしたい。とはいえ、どこを見回しても、貧弱な景色ばかりだ。護岸を下りたり上ったりしながら歩いた。そのうち、一塊の深い木立が、視界に入ってきた。立ち止まって、じっと見る。新緑の枝が風にあおられ、はげしく揺れている。

車に戻った。午後から崩れる、という予報だったのに、陽が出てきた。暑いくらいだ。それにまだ十一時。引き上げるには早すぎる。橋の下に車を回して、付近を少し歩こう。ついでに、日陰で画像の入力だ。

浄水場の横を通り過ぎ、県道の信号を右に曲がった。この道はよく知っている。川に並走している道で、飯能の市街地へ抜けられる。すぐに、二本の橋の下を抜けた。右に入る道を、目で探した。コンビニの先に、なにやら、曲がれそうなところがある。当たり。まっすぐ行けば、生コン工場の敷地。そこを右に曲がると、正面に橋が見えた。

橋の下には、廃車が何十台も放置されていた。奥のほうには、バラックもある。人の気配がする。クズ屋のような感じもするし、不法占拠しているようにも見える。何しろガラクタの山だ。おっと、犬もいるぞ。でもこいつは吠えない。かなり歳をとっている。

橋の下を抜ける。れいの、赤い車の前を回転し、また橋の下。涼しい。

川沿いのホコリっぽい道を歩き出す。カミのほうへ向かっている。ほんの少しだけ山並みが見える。だが、対岸に景色はない。木立が続いている。たしか、あそこは霊園だ。ここも、たいしことないな。道はすぐに下水道にぶつかり、直角に左に曲がっている。みると小さな橋がある。向こう側へ行けそうだ。でもそっちへは行かないで、護岸をななめに歩き、河原へとおりた。

おやまぁ、どっと前がひらけている。水際に、車が何台も入り込んでいる。これほどの河原があるとは、思ってもみなかった。立ち止まった。かなたを眺めた。山並みに雲がかかっている。つぎは、この先から歩きだそう。

護岸を、後ろを振り返りながら戻った。川の流れに、空の模様が映っている。なんだか変な感じだ。何枚も撮ったが、モノにはならないかもしれない。撮るのをやめて、空を眺めた。貴重な青空が、みるみるうちに、雲に覆われていく。時計を見た。十二時をとうに回っていた。こころもち、腹がすいたような気がした。





2004.5.6(木)曇り。肌寒い。天気予報では、晴れのはずだが、まったく日差しがない。それどころか、今にも降りだしそうな気配だ。

八時過ぎに家を出る。迷わず、いつものルートを走った。根岸の交差点を直進。笹井の交差点を左折。新豊水橋をのぼり、途中で、左の側道にはいる。そのまま、ぐぅ〜と下へおり、突き当りを右折。飯能へ向かう県道を少し走る。左手にコンビニが見えてきたら、住宅の間の道を右に曲がる。すぐに、生コンの工場。今日はミキサー車でごった返している。そこを左折。工場沿いに走り、少し行くと、河原に出る。

はじめての所だ。わりと広い。水際まで、車をよせる。外に出る。身支度をする。ウインドブレーカーを上下着込む。足の下にやわらかいものがある。所々に生えている草を踏みつけている。なんだが気がひける。

曇っているからなのか?寒々とした景色だ。見通しは、まあまあで、川シモには、新豊水橋が見える。川カミは、ちょっと先で左蛇行しているが、晴れていれば、山並みが見えるはずだ。対岸はひくい崖。ずっと木立。流れは、浅瀬で広い。ただし、川面に、黄色のスズランテープがひらひらしている。ながい紐にくっついている。何十本も対岸に渡されている。近寄ってみた。注意書きのようなものが、くくりつけてある。

『6月12まで 害敵である鵜から稚鮎を守る為 網を張っています 川鵜は魚にとっては大の天敵です この付近の川は鵜によって魚が食いつくされて 小魚の数が半減しています 鵜1羽が食べる1日量は約1キロ(3センチ) 小魚700匹くらいとも言われています ふだん1羽から3羽ですが 多いときは150羽以上 空が真っ黒になるぐらい見ています 又 上流では度重なる工事により 大雨のつど砂土で川底が埋まり 魚の隠れ場所や大石などの場所がなくなり この付近でも毎日100匹以上が鵜の犠牲になっています』(原文のまま)

悲鳴が聞こえてくるような文章だ。しかしながら、掲文の主がだれなのか?明記されていない。ま、理由はともかく、もう少し景観に配慮したやり方がないものなのか、汚らしい感じがする。

水際を、川カミへ向かって歩き出した。なんかドブくさい。それに、ゴミは散らかっていないものの、いたるところに、直火の跡が黒々としている。そのうち、左手の崖が切り込んでくる。歩く場所が、みるみる先細り。と、いきなり、頭の上の木立から、黒いものが二羽、飛び立った。カラスだ。ぎゃあぎゃあ鳴きながら、向こう岸に下りて、こちらの様子をうかがっている。明らかに警戒している。かわいくないやつだ。

足元に流れが来ている。もうこれ以上は行けない。横には、地肌の露出した崖がそそり立っている。見上げると、黒い木立がうっそうとしている。どん詰まり。向き直って、川カミのほうを見た。中橋が小さく見える。いちおうは、記念写真だな。

そうだ、ためしに、露出をかえて、何枚か撮ってみよう。デジカメだからと、たしょう甘くみて、プログラムオートでばかり撮っていた。おそまきながら、「AEL」の機能を使って、明暗差の激しい画面を、調整してみることにした。というのも、デジカメの場合、一眼レフとはちがい、露出は瞬時に、モニターやファインダーに反映される。そのままロックして、シャッターを切れば、今見たとおりの画像が記録されるというわけだ。空をいっぱい取り込んだときや、今日のような曇天のときに、この特性を活かさない手はない。

写真を撮る、というよりは、カメラの操作手順を覚えるために、何枚も撮った。なるほどね、お好みの露出を、いとも簡単に画像に反映させることが出来る。

幅の広い河原をひきかえした。竹やぶがあり、じいさんが長い青竹を切り出している。一段高くなった所からは、太い桜がずっと続いている。その下は、花壇のようになっていて、菖蒲が一株、二株咲いている。つまらん。目を引くようなものは何もない。

こんどは、河原と川原道との間の、低い護岸の上を歩きだした。新豊水橋まで続いている。ふと下を見ると、水が流れている。じっと見る。変な色をしている。これは、あきらかに下水だ。周りを見ると、道の向こうの住宅地から、配水管がきている。生活廃水を川に垂れ流している。どうりでドブ臭いはずだ。

こんな光景は、ゴマンと見ている。もう慣れっこになっている。腹も立たない。気持ちも動かない。それにしても、特筆すべきは、こと、この入間川に関しては、川越、狭山、入間、飯能、と上流に行けば行くほど、汚くなっていく、ということだ。理由は簡単、下水処理が十分でない。垂れ流している、ということだ。

車に戻った。向こうの浅瀬に、三脚が二本立っている。下水溝のあたりだ。先ほどここに来たときからそのままだ。脇の、シルバーの乗用車の陰に、オヤジが二人いる。何時間も、水鳥が来るのをじっと待っている。ご苦労なこった。俺にはマネの出来ない芸当だ。おや、お二人さんが立ち上がった。こっちを見ている。いや、背後の木立を指差し、何か話をしている。なるほどね、対岸の霊園の木立が、鳥のねぐらというわけか。

河原の中を、川カミの方へ向かって、ぐぅ〜っと走る。すぐに左ハンドルを切り、住宅の前の道に出る。崖に沿って登り、うえの住宅地の中をうろうろした。だが、車を止めるようなところはない。しかたなしに、いったんは、仏子の駅の方へ出た。そこで回転し、川沿いの道路にある、文化センターを探した。前に一度だけ行ったことがあり、そこの駐車場なら、安心して車を止めることが出来る。

すぐに見つかった。今日は、車がずいぶん止まっている。以前ここは、県の繊維工業試験場だったそうな。趣のある、ふるい木造の平屋が幾棟も並んでいる。手入れの行き届いた広場もあり、くつろげる場所だ。気分転換にと、ふらり、施設のなかを見物してみた。円形の、小さな劇場のようなものがある。ギャラリーでは、なにやら展示会もやっている。のぞいてみると、入り口で、受付の年配の男性に、丁重に迎えられた。感じがいい。記帳をし、会場をひと回りした。どうやら、ニットの編み物の個展らしい。年配の女性が、何人もいる。ちょっと場違いだった。帰り際に、先ほどの男性に、また丁重に挨拶された。どうやら、作家の女性のご主人らしい。名詞の肩書きには、入間新報社主筆、とあった。

外に出た。広場を突っ切り、河原へおりていこうとした。途中の小道に、なにやら掲文。地面に刺してある。『私は毎日ゴミを拾っています。 皆様のご協力により改善さています。 小さな美化運動は犯罪防止につながります。 皆様のご意見、ご感想を受け付けています。kaoru-mimi@ezweb.ne.jp 入間環境会議会員メンバー』ふ〜ん。

足元が急だ。滑らないように気をつけた。おりたところは、水のひいたせまい浅瀬。そこに、人がいた。長靴をはいた女性だ。どうやらゴミを拾っているらしい。もしや、と思い、立ち止まって見ていた。青いデニムの長袖シャツ、日よけ帽子を目深にかぶっている。知的な感じだ。こちらから話しかけた。やはり、先ほどの掲文の主だ。

すこし立ち話をした。主に、川の汚染のことについてだが、ほかにも、雑談っぽく、いろいろな話をしてくれた。この近辺には泥棒や変質者が多い。川の浅瀬を走って、向こう岸へ逃げてしまうのだという。それから、うしろの崖にも話が及んだ。何人もの、自殺者が出ている。首吊りや焼身自殺だ。火達磨となり、崖から転落して、下で燃えていたらしい。向こう側の住民が怖がって、引越した人さえいるそうだ。

あらためて見上げた。なるほど、たしかにいやな雰囲気だ。うっそうとした竹やぶ。人目につかない場所だ。柵のようなものが見えたので、女性にきいてみた。あの上は歩けるんですか?ええ、テニス場の縁にそって歩けます。

別れ際に、俺としてはめずらしく、頑張ってください、などと、お愛想を言った。むこうも、いい写真を撮って下さい、と返した。

大きなマンションと崖との間には、手すりのついた急な階段がある。なんとなくイヤな雰囲気が漂っている。だが、この際だ、行ってみよう。登っていくと、下を、幅の広い排水溝が通っている。右手のマンションの前からきて、先ほどの浅瀬へと流れ込んでいる。手すりには、子供たちへの注意書き。蓋をした井戸にも、憎しみのこもった張り紙。内容は記さないが、読んでいて、イヤな感じがした。それに、薄暗い崖の、いたるところから、水がじわじわと染み出している。灰色の、細い塩ビの管で、溜め水をしているのだが、その水を受けている洗面器のような石が、じつに汚らしい。イヤな所だ。

ところが、登りきると、うって変わり、明るい雰囲気だ。道を挟んで、右側には、洒落た建物。左側は、奥までずうっとテニスコート。若い健康そう女性たちが、行き来している。おっと、ちょっと行きすぎた。階段の所まで戻り、横の駐車場をチラッと見た。壊れた柵がある。あれを乗り越えて、崖の縁に廻りこもう。

たしかに、歩けるには歩ける。ただし、薄暗い竹やぶの中だ。青竹の、葉のついた枝を、手の甲で払いながら進む。しだいに、心細くなってきた。しかし、行けるところまでは行った。テニスコートの脇で行き止まり。やはり、視界があるのは、歩きだした直後の、あそこだけだ。とたんに、深入りしたことを後悔した。急いで戻った。

なぜかここだけ、竹が数本断ち切られている。かなり高い崖だ。下には、先ほどの浅瀬が広がっている。見通しもいい。上流に向け、カメラを構えた。いやぁ〜、でもたいした景色じゃない。もう二度と来ることもないだろう。そう思いながら、シャッターを切った。目の端に、ゴミを両手に、坂を登っていく女性の姿が写った。のろのろしている。気のせいなのだろうか?

夜十時には寝ることにしている。部屋の電気を消す瞬間、あの崖のことを、まざまざと想った。竹やぶの中で、首をつっている人間がいる。崖から、火達磨の人間が転落する。空恐ろしい感じがした。イヤな夢を見そうな気がした。


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