此岸からの風景 sekinetoshikazu since 2005
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Biography 関根俊和 年譜略歴
1952年 東京都板橋区で生まれる。
1967年 埼玉県川越市に転居。
1971年 埼玉県立川越高校を卒業。
1972年 日本大学芸術学部演劇科へ入学。
1973年 高山ゼミにて、後期スタニフラフスキーシステムの学習。
1974年、ゼミの発表会で「釣り」その他のエチュードを初演出。7月<劇集団玄>にて別役実作「或る別な話」を演出。都内豊島区南長崎<タロー村>で公演。11月<演劇集団遁走>を旗揚げ清水邦夫作「朝に死す」を演出。豊島区<タロー村>で公演。
1975年3月<演劇集団遁走>にて「タバコの煙はなんとなく消えていく」を作・演出。豊島区<タロー村>で公演。同7月「春 夏 そして秋になって冬」を作・演出。豊島区<タロー村>で公演。
1976年2月<演劇集団遁走>にて「猿芝居はやめろ」を作・演出。豊島区<タロー村>で公演。3月、卒論「小劇場運動についての一考察」を提出。指導教官・高山図南雄師。7月<演劇集団遁走>にて「葬式饅頭をくれ」を作・演出。豊島区<タロー村>で公演。
1977年4月、官庁の喫茶室でアルバイト、生活費を稼ぐ。5月<演劇集団遁走>にて「主役になりたい」を作・演出。豊島区<タロー村>で公演。
1978年創作上の問題、劇団員の減少などで演劇活動が滞る。秋、目白の<日本カウンセリングセンター>にてカウンセラー養成講座を受講。
1979年9月<演劇集団遁走>にて「川上行生の生活と意見」を構成・演出。<旧浦和ベルデ大ホール>にて公演。最悪の出来、消耗する。
1980年、カウンセリングの学習に没頭する。
1981年2月、埼玉県内の自動車販売会社に就職。
1982年11月<遁走>時代の俳優が所属する、とある劇団に出入りし、端役で公演に出演。
1983年4月、会社を退職。軽自動車赤帽にて生活費を稼ぐ。夏頃から「古典太平記」の稽古に入る
1984年12月<太平記讀之會>の旗揚げ。四段構成「南北朝動乱の端緒」を構成演出・出演。旧 浦和市の喫茶店<マチェック>にて翌年3月まで隔週日曜日に公演。
1985年5月、上記演目に縁のある地、岐阜県多治見市<多治見国長の碑><琵琶湖唐崎浜>にて公演。6月、同じく埼玉県所沢市<小手指古戦場跡>にて公演。
1986年3月<太平記讀之會>にて、三段構成「南北朝動乱の端緒」を旧浦和市玉蔵院にて公演。5月上記演目を埼玉県秩父市の札所一番から十八番まで徒歩にて巡演。11月、変一段構成「南北朝動乱の端緒」を<大宮野外彫刻展>にて公演。稽古不足がたたり最悪の出来。
1987年3月<太平記讀之會>にて、三段構成「南北朝動乱の端緒」を旧浦和市玉蔵院にて公演。5月上記演目を埼玉県 秩父市の札所十九番から三十一番まで徒歩にて巡演。秋<演技塾>の設立。<旧浦和前地アトリエ>にて稽古。
1988年3月<太平記讀之會>にて、三段構成「南北朝動乱の端緒」を旧浦和市玉蔵院にて公演。5月上記演目を埼玉県秩父市の札所三十二番から三十四番まで徒歩にて巡演。夏<演技塾>白樺高原で合宿。
1989年、演出家・藤井青氏と<叛通信>を設立。7月「野原で踊ろう」を構成演出。<浦和マチェック>にて公演。
1990年1月から12月まで、横浜の情報月刊誌<浜っ子>に演劇人取材文章を掲載。7月、ひと月ほど浦和の劇団<どくんご>の旅公演に同行。9月<叛通信>にて「抱きしめたい」を構成演出。北浦和公園特設テントにて公演。
1991年、特記事項なし。
1992年2月<叛通信>にて「林檎エレジー」を構成演出。<浦和マチェック>にて公演。12月<冊子叛通信>を主宰。96年24号まで刊行する。
1993年11月<太平記讀之會>にて浪曲「森の石松」を構成演出。<浦和マチェック>にて公演。
1994年秋、女の子のお芝居グループ<リトガル>を主宰。公民館などで稽古。
1995年2月<叛通信>にて「食に纏わる話」を構成演出。<浦和マチェック>にて公演。8月、川越市霞ヶ関北公民館にて<リトガル>の公開稽古。
1996年3月<リトガル>にて「きせつのうた」を構成演出。川越市霞ヶ関北公民館にて公演。
1997年、演劇活動の停滞。写真撮影に没頭する。
1998年7月<説経節・山椒大夫>の台本化。浦和市のコミセンで稽古。進展せずに参加者減少。
1999年、自身で<山椒大夫>を読む決意を固める。入間川などで単独稽古。12月、サミュエルベケットの小説<モロイ>の台本化。
2000年4月、四国札所一番から二十四番まで歩く。処々にて<山椒大夫>を読む。5月、写真展「モノたちの叛乱」を<浦和マチェック>にて開催。8月、母の介護、赤帽をやめる。目に異変。
2001年春、自宅にて<山椒大夫>の稽古。秋、入間川の河原、外秩父の山頂などで試演を繰り返す
2002年秋、<モロイ>の朗読、自宅稽古。
2003年、ついに左眼の視力を失う。演劇を断念。失明の不安を抱えながら入間川流域をデジカメで撮りだす。
2004年5月、横浜・石川ギャラリーにて、美術家・堀部宏二氏の個展「Blue to Blue」に入間川の風景写真を展示する。6月、写真展「入間川写真紀行」を<北浦和マチェック>にて開催。
2005年2月、関根俊和ウェブサイト<此岸からの風景>を自力で立ち上げる。
2006年、引き続き入間川歩行を続行。10月、母を看取る。
2007年7月、デジタル一眼を使い始める。歩行から写真へと重心が移る。
2008年-2009年 荒川水系の河川・小畔川、荒川右岸、越辺川、高麗川、都幾川なども撮り出す。
2010年夏、閉塞感を打開するために画像投稿サイト<フォト蔵>への投稿を始める。
2011年2月、生れて初めての海外旅行。ハワイにて長女の結婚式に立ち会う。3月11日、自宅にて大震災に遭遇。命の危険を感じる。5月、人生の仕切り直し。風景写真から花写真へと関心が移る。切手フレームを使い<花切手>を作り出す。
2012年6月、胸に痛み、二度目の発作。健康不安に陥り投稿ペースを落とす。
2013年2月、狭心症手術、冠動脈にステントを一本入れる。
2014年、リハビリを兼ねジムでジョギングを始める。春、カナダの画像投稿サイト<500PX>に投稿開始。自分の写真に自信を持つ。<花切手>の制作に励む。
2015年8月、父を看取る。自宅の断捨離。
2016年-2017年 特記事項なし。
2018年5月<叛通信Presents>を企画。サミュエルベケット小説三部作の朗読を企図。<モロイ>朗読#1〜#7までをユーチューブに公開。並行して、これまでの演出作品のうち残存するビデオテープを動画処理して同じくユーチューブに公開。10月-12月、荒川下流域・上江橋から葛西橋までの両岸を自転車で散策、写真を撮る。
2019年≪愛わ時空を恋え≫#1〜#3の朗読。ユーチューブに公開。なおこの作品は高校の同級生・長沢悟氏の自伝的小説。<モロイ>朗読#1〜#9の改訂版、及び#10の朗読。ユーチューブに公開。
2020年≪愛わ時空を恋え≫#4〜#5の朗読・完結。<モロイ>朗読#11〜#15。ユーチューブに公開。4月、愛猫を看取る。<極私的モロイ論>の執筆。灯台巡りの旅を始める。5月犬吠埼灯台旅、7月三浦半島旅、8月新潟・鶴岡旅、9月南房総旅、10月南伊豆旅、11月福島・茨城旅、12月愛知旅。旅毎に長文の<灯台紀行・旅日誌>を書く。ブログなどに公開。
2021年<モロイ>朗読#16〜#17最終章 完結。<マロウンは死ぬ>朗読#1-1.2.3.4.5。ユーチューブに公開。灯台巡りの旅・3月紀伊半島旅、4月出雲旅、7月男鹿半島旅、10月網走旅。旅毎に長文の<灯台紀行・旅日誌>を書く。ブログなどに公開。灯台画像集#1〜#3の製作。スライドショーにしてユーチューブに公開。旧友からの影響で50年ぶりにジャズ熱が高まる。PCオーディオの設置、ユーチューブなどから盛んにダウンロード、ストリーミングする。
2022年<マロウンは死ぬ>朗読#2-1.2.3、#3-1。ユーチューブに公開。灯台巡りの車中泊旅・5月下北半島旅、9月清水旅、10月能登半島旅、11月四国旅。旅毎に長文の<灯台紀行・旅日誌>を書く。ブログなどに公開。夏場の異常な暑さにまいる。老齢を自覚する。
2023年<マロウンは死ぬ>朗読#3-2,#3-3.#4-1.新改訂版#1-1.2.3.4。<モロイ>朗読・新改訂版#1-1.#1-2.3。<灯台のある風景>画像集#1〜#4。ユーチューブに公開。5月、狭心症手術・左冠動脈にステントを四本入れる。8月〜9月、灯台巡りの車中泊旅、北海道太平洋岸とオホーツク海岸、33日間。長期の車中泊旅で、体力、気力の限界を感じる。
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