此岸からの風景
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 Photo essay<入間川写真紀行>

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2013

2007.3.2(金)晴れ。雲が多い。入間川歩行、番外、越辺川。十一時から十二時。

日差しが弱い。照ったり翳ったり。それでも、赤尾、島田地区へ向かった。ますます雲が多くなる。写真は駄目だ。となれば、探索だ。越辺川と高麗川の合流点の確認。

407号の、高坂交差点を突っ切る。東上線鉄橋をくぐり、少し行って、右折。土手に上がる。おもったとおり、土手道は通行止め。しょうがない、川原へと下り、土手下の道を、遡上。行けるところまで行って、車からおりる。あとは、対岸の景色を見ながら、土手道をぶらぶら歩く。

橋が見える。名前は知らない。下に、軽トラがとまっている。なるほど、橋際から、川原へおりられるわけか。確認!今日はもういいだろう。引き返した。

高麗川、か。日高の巾着田まで、遡上する。悪くないな。とはいえ、なんとなく、ふんぎれない。新しい場所を歩くのが、億劫。臆病になっている。





2007.3.4(日)晴れのち曇り。薄い雲がかかっている。入間川歩行、番外、越辺川。右岸、島田橋から東上線鉄橋まで。十時から十一時半。

近道。東洋大の脇を抜け、塚越、石井下宿の交差点を通過。左手に、坂戸市民運動公園。道が、大きく左カーブ。さらには、変則的な交差点。その信号を右折。細い道。すぐに、土手にぶつかる。カーブミラーの横に、石仏が、行儀よく並んでいる。

島田橋を撮る。空の色が、ヘン。山並みも見えない。日差しも弱い。それでも粘る。俯瞰構図は、だめ。やっと気づいたことだ。見下ろしたり、見上げたりしないで、同じ地平に立つ。護岸から、二、三歩、水際へおりた。

移動。川沿いの道を、遡上。護岸は、釣り場。竿が、川にかかっている。いつ来ても、オヤジたちがたむろしている。今日は、まだひとり。だが、なんとなく、嫌な感じ。案の定、ぶしつけに、じろじろ見てきた。こっちも、サングラス越しに見返す。相手は視線をそらさない。よそ者に対する眼差しだ。ふん、無視無視。

少し先に、車を止めた。高坂橋が工事中。橋脚下部の補修工事。ダレもいないので、柵越しに中を覗き込んだ。橋脚の土台、分厚いコンクリだ。請負金額が、約六千六百万円。看板に書いてあった。高いのか、安いのか、よくわからない。

鉄橋をくぐる。ホコリっぽい川原道が続いている。右手、水際に水深計。手前に、小さな青い花。咲き乱れている。オオイヌノフグリ。その瞬間、先ほどの、風体の悪いオヤジが頭から消えた。なかば無意識のうちに、カメラを構えている。犬も歩けば、棒にあたる。しかし、残念ながら、写真にはできなかった。





2007.3.6(火)くもり。入間川歩行、番外、越辺川。十時から十一時半。

微妙な空模様。多少、日差しがある。とりあえず、いつもの時間に出る。まっすぐ、赤尾落合橋まで行く。駄目だ、雲がかってきた。歩行は中止。下見に切りかえる。

橋を渡り、都幾川の左岸を遡上。回りの景色を眺めながら、東松山橋まで行く。橋の下に下りるが、工事中。すぐに上がってきて、407号に出る。左折。橋を渡りきったところを、また左折。一般道を、ずうっと道なりに行く。目の前に早俣橋がみえる。手前の交差点を右折。正代運動公園へ入る。

公園を抜け、低めの土手を上がり下りして、川原へ出る。越辺川と都幾川にはさまれた、河川敷耕作地。麦畑に沿って、行けるところまで行く。行き止まりは、都幾川の水辺。車からおり、用を足す。完全に、曇ってしまった。なんだか薄ら寒い。

回転。いま来た道を戻り、今度は、九十九川沿いに走る。左手に見える低め土手、ちょっとかわっている。霞堤、というらしい。土手道は、一尺幅の散歩道。人一人しか通れない。

このあたりの地形は、じつに複雑。土手が、いくつも重なり合っている。むろん、ちゃんとした理由がある。

河川の合流点は、洪水の危険性が一番高い。そのひとつの対策として、霞堤がある。洪水の被害を、堤内で食い止める。つまり、大きな遊水池の役割を果たしている。とはいえ、水はけなどの問題も多いようだ。

ぐるっと回り込んで、まずは、霞堤を、次に、九十九川の土手を越えた。目の前にそびえているのが、越辺川の左岸土手。もっとも、この土手も、浄水場の先で切れている。車でいけないこともないが、行ったきりで、回転する場所がない。今日は、もういいだろう。引き上げ。島田橋を渡った。





2007.3.7(水)晴れ。午後から雲が多くなる。入間川四番、落合橋。右岸、橋から城西高校まで。十時から十二時。

入間川に戻ろう。落合橋からだ。

橋脚の工事が終わり、橋の下がすっきりしていた。ぶらぶら水際まで行き、川の中を覗き込んだ。以前に比べ、水がきれいになっている。だが、生き物の気配がない。

水辺の潅木には、茶色い小鳥がとまっていた。足元には、オオイヌノフグリ、菜の花も、ちらほら咲いている。川原は、春の気配。それだけに、川の中の静寂が、不気味。おそらくは、工事の影響だろう。魚が驚いて、どこかへ行ってしまった。

以前と同じ場所に、なじみの水深計がたっている。誰に遠慮することもなく、ゆっくり眺めた。久しぶりのテリトリー。安心しきっている。





2007.3.8(木)晴れ。風は北風、まだ冷たい。入間川四番、落合橋。右岸、城西高校から釘無橋まで。十時から十二時。

府川のポプラ、用水、土手の石仏、雑木などを見てまわる。

土手下にある、二本のポプラ。右側は、幹の皮がはがれている。なかば枯れている。去年も葉が出なかった。左側は、まだ大丈夫。だが、どことなく元気がない。枝に葉が茂るのだろうか。少し心配になった。

土手に上がった。河川敷耕作地が青い。麦が植えられている。その一角に、廃車などが放置してある。必ずといっていいほど、人の姿が見える。車上生活者が、居座っているように思える。

もっとも、広大な河川敷だ。ほとんど気にならない。それよりも、北側に、上越の山並みが見える。一年に数回しかない。しかし、いささか、遠すぎる。写真には撮れない。かわりに、北西方向の、外秩父の山並みを撮った。なんとも、気持ちがいい。





2007.3.9(金)晴れ。あたたかい。入間川四番、落合橋。左岸、落合橋から釘無橋まで。十時から十二時半。

雁見橋際から入って、左岸の土手をひとっぱしり。落合橋を突っ切ったところで、車を止める。北側の土手下には、小畔川。少しシモで、越辺川と合流している。

頭の中で、土手の本数を数えた。南から、まずは、入間川の右岸。つぎに、入間川の左岸と小畔川の右岸。さらには、小畔川の左岸と越辺川の右岸。最後に、越辺川の左岸。都合四本の土手が、三本の川を仕切っている。

小畔川の川原へおりた。四角い水深計が、何基かある。たしか、前に撮ったような気もするが、よく覚えていない。あらためて、よく見る。う〜ん、ぱっとしない。

写真を、一枚も撮らないで、引き返した。今度は、落合橋。橋の下へ行ってみようか。砂利の土手道だ。ふと見ると、真新しい、赤白のポールがたっている。鮮やかな色につられ、面白半分に、何枚か撮った。

移動。小畔川の土手下の道を、川シモへ、ゆっくり流した。途中、越辺川との合流点にも立ち寄った。釣り場だ。対岸に、何人か居る。水辺に腰掛け、竿を出している。立ち止まり、あたりの景色を眺めた。無風、じつに、静かだ。





2007.3.14(水)晴れ。強風。寒い。入間川歩行、番外、越辺川。落合橋から釘無橋までの両岸。十時から十二時。

落合橋の中央分離帯から、小畔川左岸(越辺川右岸)に入る。なじみの水深計を撮りに、橋の下へおりる。強風、しかも寒い。うっかりして、ダウンパーカをもってこなかった。急にやる気がなくなった。

すぐに車へ戻った。横着して、車で流すことにした。まずは、土手だな。行けるところまで行った。100メートルほどで、途切れる。眼下に、小畔川と越辺川の合流点。この景色は、はじめてだ。記念写真でも撮ろうか。

外に出た。風が冷たい。話にならない。一枚も撮らずに、すぐに車の中へ引っ込む。広めの土手だから、回転できるかもしれない。何回か試す。だが、路肩が軟弱で、タイヤがめり込む。危なっかしい。無理をしないで、バックで戻った。

今度は、土手下の道。流れに沿っていく。土手の先端部の先は、ベロ状になっている護岸。釣り場だ。でも今日は、車が二台しかいない。川の水が、強風にあおられ、しぶきを上げている。魚釣りをする天候じゃない。

ろくに景色も見ないで、今来た道を戻った。きまぐれだ。ちょん切れた土手の、反対側を回ってみよう。轍がある。ここも通ったことがない。土手の菜の花を見ながら、うらうら行く。すぐに、小畔川落合橋の下。そのまま、橋をくぐり、土手を斜めに登る。なじみの、大きな碑の前に出た。

十一時、引き上げるには、まだ早すぎる。というよりも、写真を全然撮っていない。こんなに良い天気なのに、坊主。このままじゃ、帰れないだろう。

また、落合橋に出る。渡りきったところを、強引に右折。越辺川の左岸に入る。川原道を、逐一、探索する。どの道も、一度は走ったような気がする。でも、うろ覚え。その分、新鮮だった。車での散歩。気分が持ち直してきた。





2007.3.15(木)晴れのち曇り。入間川三番、釘無橋。右岸、菅間付近。十時から十一時半。

日差しが弱い。写真は駄目だ。それでも、いちおうは現地へ向かった。右岸、橋際の土手に車を止める。

築堤工事は終わっていた。しかし、土手道は、通行禁止。下の、自転車道を、川シモへ向かった。菜の花が咲いている。風は冷たかったが、スナップ写真を撮りながら、かなりの距離を歩いた。

残念ながら、アップする写真は一枚もない。





2007.3.16(金)曇りのち晴れ。入間川三番、釘無橋。右岸、菅間付近。十時半から十二時半。

朝起きたときは曇り。歩行は中止と決め込んだ。しかし、十時過ぎになると、陽が差してきた。急いで着替えを済ませ、釘無橋方面へ向かった。

右岸、釘無から入間大橋までは、全面通行禁止。車を止めるところすら見当たらない。だから、昨日、下見をしておいた。菅間と芳野台の境、土手下の小松菜畑に止められそうだ。

以前、ぬかった畑に、車を落とし、難儀したところだ。そのときは、さいわいにも、親切な女性が現れた。あとにも先にも、力仕事で、女性に手助けしてもらったのは、あの時だけだ。長靴を履いた、活発な女性だった。たしか、おヘソの見えそうなジーパンをはいていた。土手を登りながら、ひそやかに想った。

土手の上。見晴らしがいい。空に、鳶が、何羽も舞っている。目で数を数える。六羽もいる。はじめてみる光景だ。川原から、人間と車を締め出した結果だ。鳥たちの聖域になっている。

土手の芝生が養生中。まだ茶色い。立ち入り禁止だが、かまわず中に入り、斜めに下りる。川原。枯野を踏み分け、水際まで行く。渇水で、流れが細くなっている。干上がった川床をたどりながら、遡上する。時々、川の中をのぞく。魚の姿は見えない。もっとも、カミの堰で、何人か釣りをしている。魚はいるのだろう。

対岸の草むらから、鶯の声。河原じゅうに響きわたった。澄み切った、美しい鳴き声だ。空の高みでも、鳶が、やさしく、ピーヒュルヒュルヒュル。ひばりが囀り、とおくで、カラスが騒がしい。

入間川の生態系が、復元されつつある。元凶は、やはり、人間と文明だ。朝起きて、鳥の鳴き声が聞こえない。「沈黙の春」。そんな日が来ないことを、願うばかりだ。





2007.3.17(土)曇りのち晴れ。入間川三番、釘無橋。右岸、水深計と監視塔。一時から二時半。

午前中はくもり。昼になり、天気予報どおり、陽がさしてきた。とたんに、落ち着かない。そわそわしだした。さっと着替え、車に乗った。

撮るものはきまっている。芳野台の水深計と監視塔。これまでにも、いやというほど撮っている。しかし、決定的な写真が、まだない。何とかならないのか!





2007.3.19(月)晴れ。風が冷たい。入間川三番、釘無橋。右岸の監視塔、及び左岸の水門。十時から十二時半。

一気に、芳野台の工業団地まで走り、新設道路を左折。工事中の土手を上り下りして、出水橋を渡る。渡りきったら、すぐ左折。架設道路に入り込み、車を止める。

出水橋を、歩いてわたる。左右の荒地が、柵できっちり仕切られている。躊躇なく、柵を乗り越え、崖際を遡上。新旧の水位監視塔を撮りながら進む。十メートル手前で、ストップ。これ以上近づくと、画面からはみ出してしまう。

おなじみの、時代がかった監視塔。昭和三十年代の代物だろうか。俺よりは若いな。となれば、自分も、相当古びている。





2007.3.20(火)晴れ。まだ、風が冷たい。入間川三番、釘無橋。左岸、橋付近。十時から十二時半。

釘無橋へ向かった。県道栗橋線を左折するつもりが、うっかり直進。菅間の農地だ。行きすぎ。適当なところで、回転。その際、西側の空に富士山が見えた。真っ白!素通りするのは、失礼だ。農道に車を止め、カメラを向けた。

しかしながら、200ミリの望遠ではとどかない。しかも、逆光気味。地面の水平も、確保できない。

富士山は、自分の住んでいるところからは、きれいに撮れない。なぜなら、南西方向にあるからだ。つまり、いつだって、逆光気味。もっとも、執念やウデがあれば、撮れないこともない。あいにく、両方とも、持ち合わせていない。

富士山には登ったことがある。午前三時半、五合目から歩き出して、昼頃、頂上についた。途中、七合目あたりで、高山病にかかった。頭が朦朧として、体の自由が利かない。一歩一歩、急な岩場を、這うようにして登った。前を行く、友達の登山靴しか見えない。ただただ苦しかった。

しかし、九合目あたりで、気分が回復した。体が慣れたようだ。ゲンキンなもので、そのあとは、軽口が出た。大きな鳥居の前で記念写真を撮り、あっという間に、頂上に着いた。眼下に雲海。じつに爽快だった。

富士山のてっぺんを、じいっと見た。一度は、あそこに立ったことがある。みるたびに、親しみを感じる。

移動。釘無橋を渡った。わたりきったところを右折。左岸の土手。路肩に車を止め、外に出た。県道を横断。南面の土手は、菜の花が満開。まっ黄色だ!その中に、誰かいる。いや、人間じゃない。角泉のお地蔵さんだ。





2007.3.21(水)晴れ。やっと、北風がやんだ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。橋上、及び左岸の河川敷耕作地。十時から十二時半。

昨日と同じ。左岸、橋際の土手に車を止める。橋の歩道を歩く。西側の景色を撮る。行って、帰ってくるだけで、一時間半もかかった。

何十枚も撮った。しかし、すべて、心もとない。ものにならないかもしれない。

移動。河川敷耕作地へおりていった。様子が、なんだかヘン。こんなに良い天気なのに、野良仕事をしている人がいない。しかも、麦畑が、雑草だらけになっている。今一度、辺りを見回した。

右岸に続き、左岸土手も、拡幅工事をやるらしい。そのために、国が、河川敷耕作地を、すべて買い上げてしまった。とうとう始まるな。

ひん曲がった櫟にダットサン。君たちを撮るのも、おそらく、これが最後になるだろう。





2007.3.22(木)晴れ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。左岸、排水機場水門付近。十時から十二時半。

荒地になった河川敷耕作地を、丹念に歩いた。轍のある道は、ことごとく車で流す。行き止まりになれば、車から降り、付近を歩き回る。しかし、写真になる景色など、どこにもない。

人気のない荒地の真ん中。雑木や潅木の枝に、鳥たちがたくさんとまっている。名前は知らないが、種類も豊富。バードウォッチングでもしようか。ふと、想った。





2007.3.23(金)曇り時々晴れ。日差しが弱い。入間川三番、釘無橋。左岸、水門から出丸橋までの荒地。十時から十一時半。

昨日の続き。土手下の細長い溜池の辺りから、轍に沿って、荒地に入る。廃棄物が、いたるところに転がっている。それにしても、ひどい。撮るべき景色など、どこにもない。まあ、いい。探索だ。

またしても、ボーズ!今月に入って二回目。場所も天気もよくなかった。しょうがない。





2007.3.26(月)晴れ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。右岸、清掃センター付近。十時から十二時半。

土手の拡幅工事も、ほぼ終了。立ち入り禁止の土手を、ゆっくり歩いた。広々としていて、気持ちがいい。風もぬるい。やっと春が来た。





2007.3.28(水)晴れ。あたたかい。入間川三番、釘無橋。右岸、芳野台野球場付近。十時から十二時。

野球場の駐車場に車を止める。土手に上がり、水門をじっくり撮る。そのあとは、土手道を、川シモへ向かって、ぶらぶら歩く。真新しい砂利道。眼下、自転車道沿いの菜の花が満開。まぶしいほどだ。

立ち止まった。川原へと向き直った。ブルで整地された、広大な河川敷。すっかり変わってしまった。以前は、荒地の間に稲田があり、形のいい雑木も何本かあった。生き物の気配がする、静かでいい所だった。それが、おきまりの、のっぺらぼうな運動公園になる。おそらくそうだ。

腹は立たなかった。残念な気もしなかった。気持ちが動かない自分に、少しあきれたほどだ。致し方ない。はなから、お上のやることを受け入れている。生き物達にかわって、憤慨することくらいできるはずだ。ため息が出た。





2007.3.29(木)晴れ。初夏の陽気。入間川三番、釘無橋。右岸、鹿飼、上老袋付近。十時から十二時。

芳野台の工業団地を抜ける。そのまま、さらに行く。民家が切れたところに、お地蔵さん。路肩がすこしひろくなっている。車を止める。

右岸土手の拡幅工事は、上江橋から始まって、釘無橋まで、ほぼ終了。それにともない、車両の乗り入れが、全面禁止。だから、川原へ入るには、歩いていくしかない。

今日は、右岸の水際を遡上。そうおもったが、水辺に近づく道がない。しょうがない。並行している架設道路の上を歩くことにした。立ち入り禁止なのだろうが、誰もいない。かまうものか。

なぜか、竹やぶだけが残っていた。しかし、どてっぱらを道路が貫通している。地権者の同意が得られていないのかもしれない。通りすがりに、中をのぞいた。相変わらず、ゴミだらけ。と、鶯が、至近距離で鳴いている。

以前は、陰気な竹やぶだった。柵で囲われていて、中に共同墓地があった。不法投棄の格好の場所になり、家電などが、ごろごろしていた。その上、浮浪者が住んでいた。ゴミと化した生活用具が散乱している。その竹やぶに、鶯だ。響き渡る、美しい鳴き声に、気持ちが明るくなった。





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