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Photo essay<花撮り物語>&<第二次入間川写真紀行> >


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2019/10/10()晴れのち曇り。<入間川写真紀行2-1

十一時半、車で出発。八高線入間川橋梁を見に行く。久しぶりなので、行き方が、ぱっと頭に浮かんでこない。そろそろ走らせながら、昔の記憶をたどる。

仏子駅手前の中橋を渡るのは確かだ。そのあとはわかる。阿須の運動公園のわきを抜けていけばいいのだ。問題は、その中橋まで、どのルートで行けばいいのか?日高県道からサイボクの脇を抜けて圏央道の下をくぐる。右側、道路沿いに茶色の、ゴルフ場の大きなフェンスが見えてきたら、T字路を左折。そうだ、思い出した。

・・・ベケットの<モロイ>の朗読を昨年から始めた。それを動画処理してユーチューブにアップする際、背景に入間川の風景写真を並べることにした。

入間川は、2003年頃からデジカメで撮り始めたのだが、この機会にデータベースを年代順に見直し、使えるものを選択して補正しよう。当時から十五年以上もたっているので、多少なりとも補正の腕が上がっているはずだ。没写真になったものまで生き返らすことができた。

作業としては、2003年はほぼ終わり、今は2004年分の選択、補正をしている。これまでのところ、これでもか、というほどに撮っているのが、入間川にかかる八高線鉄橋だ。おそらく入間川で最高の写真スポットだろう。いや、自分が好きな風景なのだ。

今回も、以前と比べて変わっていないのは、高さ十数メートルにも及ぶコンリクの橋脚だ。昭和三年、1931年に造られたものだという。自分より年上とは、改めて驚きである。

いつも思うのだが、垂直に、力強く、天に向かものは、これは男性性器の象徴なのではないか。性に対する、ある種の抑圧された願望、ということか。

ま、それだけではない。この橋梁の奥には、秩父の山並みを垣間見ることができる。空間的な広がりがある。視線が無限大に開放されることは、実に気持ちがいいことだ。垂直と水平を見定める、自分という存在が感じられる場所でもある。

流れる川の水は、驚くほど透明であり、植生が確実に豊かになっている。第二次入間川写真紀行を始めよう。決意を新たにした。



2019/10/16()曇り。<入間川写真紀行2-2

予報では、十二時から、晴れマークと曇りマークが半分ずつ。今週は、週末また崩れるので、撮影日は今日しかない。

十二時出発。サイボクの脇を抜けて、仏子の中橋へ向かう。現着して、左岸の河川敷、テニスコート沿いの駐車場に車を止める。

先日の最大級の台風の影響で、駐車場も冠水したようだ。土砂を取り除いた後がある。川の水も、まだ濁っていて水量が多い。休日などにデイキャンプでにぎわう河原も、跡形もない。

チャリを引いて、中橋の上流側の歩道を歩く。ここからの景色は、<景観指定>されているのだが、曇りということもあり、しかも、川の水も濁っているので、寒々とした感じだ。

ポイントは、流れの奥にかすかに見える、西武線レンガ鉄橋の遺構だ。が、もう少し長いレンズが必要だな、と思った。

1915年に造られ、1969年に廃止された、西武池袋線・旧入間川橋梁は、新橋ができたにもかかわらず、線路の撤去のほかは、建設時のまま残されている。その辺の経緯はともかく、風格があり、歴史を感じるこのレンガ橋脚は、自分ならずとも、多くの人の興味と関心を集めている。

こと改めて、ネット検索すると、ドローン撮影の、ユーチューブ動画があり、これは映像もよく、ちょっと面白かった。ほかにもう一本あったが、これを見ると、自分の写真とほぼ同じようなアングルが出てくる。ま、そういうことだな。

右岸にわたり、桜並木になっている、散歩道の土手を遡上した。道路側には、ずっと花壇があり、いろいろなお花が咲いている。先日の台風に、耐えたのだろうか?名前を知っているものだけでも、シュウメイギク、フジバカマ、チェリーセージ、ムラサキカタバミ、キバナコスモス、メドーセージ、ホトトギス、コムラサキ、まあ〜色とりどり、元気に咲いている。…帰りに、もっとよく見てみよう。

散歩中のベビーカーなどを、きわどく避けて、さらにチャリで行くと、お目当てのレンガ橋脚だ。大丈夫だったかな、あの台風、濁流と格闘したのだろう、大きな建材などが引っ掛かっている。が、破壊されることもなく、頑として流れの中に立っている。百年以上、なんと頑丈なことか!もっとも、少し補修され、色が変になっている箇所もあったが、レンガの風合い、風情がなんともいい。

あとは、じっくり、いつものように河原に下りて、近寄れるところまで近寄り、さらには、上橋を渡り、再度左岸側からも、見てみよう。天気がいまいちだけど、また来るさ。




2019/10/23()晴れ。<入間川写真紀行2-3

今週もまた、今日以外には晴れそうにもない。しかも午後からは曇りマークがついている。十時、早めに出発。

今日は、飯能中央公園の駐車場に車を止め、チャリで、飯能河原、崖の上にある、赤いアーチの割岩橋、そしてできれば、実質的に入間川が始まる、矢颪(やおろし)堰にまでたどり着きたい。

ちなみに、この堰の上流、飯能河原より少しカミにある、岩根橋より下流が入間川、上流が名栗川、というらしいのが、最近の地図ではすべて、入間川に統一されたらしい。

ところが、うまくいかない。先日の台風だろう、河原にあった、対岸へ渡る小さな木橋が流されている。これでは、割岩橋にたどり着けず、河原の全貌を写真に収めることはできない。

そのうえ、川沿いにある遊歩道も冠水したらしく、通行止めになっている。矢颪堰にも行くことはできない。観光案内板の前で立ち止まり、ちょっと考えた。このままチャリを引いて、長い坂をのぼって市街地に出て、狭い道路を抜けていかねばならない。即座に、これは無理だな、と思った。

あとは、少し上流にある岩根橋を渡り、山道を下るという手もある。が、これも、少しだけ行きかけて、すぐにあきらめた。何しろ、山道を、チャリを引いて歩くなどということは、体力的にも時間的にも、不可能だと悟ったからだ。

結局、駐車場に戻り、車で岩根橋を渡り、矢颪堰へ行くことにした。と、そのまえに、公園の端のほうにある、アトムの像を見に行った。

<鉄腕アトム>の銅像が、まさか、こんなところにあるとは驚いた。もう二十年近く前のことである。当時は、今の場所ではなく、道路を隔てた、小さな公園のようなところにあった。背景は木々の緑、すごくよかった。

ところが、そのうち、どういう理由か、今の場所に移された。背景に電線とか、いろいろなものが映り込んできて、ロケーションは最悪。とはいえ、この場所に来るたびに、写真は撮っている。アトムは、やはり自分にとっては、楽しい、懐かしい、大切な思い出の一つなのだ。

この<アトムの銅像>は、手塚治虫がその竣工に立ち会っているようだ。台座に、その時の写真が刻まれている。アトムの銅像が許可されているのは、ここだけで、要するに、世界で一つだけのアトム像になるらしい。著作権の関係だろう。

汗をかいたので、パーカーを脱ぎ、チャリを折りたたんで車に積み、トイレで用を足し、公園を後にした。週二回のジム通い、上半身を意識的に鍛えているせいか、といっても大したことはないが、チャリの積み下ろしが、以前に比べて、さほど苦にはならない。いや、慣れたのかもしれない。

岩根橋を渡った時、ふと、上流に目をやると、狭い河原に、何かの構造物が見えた。あ〜、そうだ、古い浄水場があったんだ。以前から、なぜだろう、そういうものが気になる。ま、今度来た時だな。

日陰の山道を下り、右岸の矢久橋、たもとの狭い休憩所についた。以前乗っていた軽のジムーなら、駐車禁止の張り紙などは、堂々と無視して、そこに止めたものだが、今回はそうもいかない。車が少し大きくなり、いかにも邪魔だ。できるだけ脇に寄せ、ハザードをつけて、さっと橋の上に出た。

水量は多いが、水が濁っていて、堰は一面、茶色になっている。上流、流れの上に、青空が見えるものの、左岸側にあった古い旅館が、長方形のマンションになり、景観が台無しだ。一応、橋を歩きながら写真は撮ったが、モノにはならないだろう。

すぐに車に戻り、今度は、矢久橋に並行している、コンクリのでかい飯能橋に上った。高いところにあるから、下流の矢川橋をポイントにした眺めがいい。ちなみに、車は、橋の真下の生活道路に止めた。…小心者なのだろう、ハザードをつけ、橋の上に出る階段を駆け登った。

あとは、入間川・飯能三つ子橋の最後、矢川橋。ここからの景色は、どうということもないのだが、いつもは、一応、土手の斜面を降り、水辺まで行って、上流の景色などを撮ることにしている。もっとも、ドジの極みで、今日はサンダル履きだ。てっきり、車に愛用の軽登山靴を積んであると思い込んだまま、飯能まで来てしまった。

というわけで、土手の斜面を下る、などということは無理だろう。・・・思えば、忘れ物に限らず、人間関係、はっきり言えば、自分自身に対しての思い込みで、かなり失敗してきたことがあるような気がする。いや、確かにあるだろう。例を挙げることもできるが、今はそれも煩わしい。



2019/10/30()晴れ。<入間川写真紀行2-4

十時半出発。安比奈新道経由、柏原住宅団地を通り抜け、

入間川左岸を遡上。根岸の交差点を直進して、一つ目か二つ目の歩行者用信号を左折。すぐに突き当りになり、笹井の堰が目の前に見える。脇に小さな公園などもあり、車を止めるスペースもある。

この堰は、笹井ダムともいうが、高さ二メートルほどの、少し反り返ったコンクリたちが、川の流れをせき止めている。もっとも、そのコンクリの間とか、監視塔の下とかに、魚道が整備されていて、多少は環境への配慮がなされているようだ。

せき止めた水は、農業用水に利用されていたようだが、今はどうなっているのか?そもそも、この堰は、いつごろできたものなのか?ネットで調べても、正確な情報が出てこない。入間市に資料があるようだが、わざわざ調べなくてもいいだろう。コンクリの風化具合からして、ざっくりした話、五、六十年前の建造物ではないだろうか?

ちなみに、ついでのネット知見だが、この堰の少し上流で<アケボノゾウ>や<メタセコイヤ>の化石が出たそうな。これまた、おおざっぱな話だが、100万年も前のものだという。気の遠くなる話だ。

そんなこんな、きれっぱしの情報を見ながら、ふと思い出したのが、この堰の上流にある崖のことだ。この崖は河岸段丘だろうと思うのだが、十数メートル以上もあり、辺りはうっそうとしている。ホームレスっぽい、いや、地元のオヤジかもしれないが、釣り場のような感じになっている。というのも、汚いベンチや椅子が散見され、台の上にはタオルやペットボトル、むろん、釣り竿も何本も見えたからだ。

部外者が入り込めないような、ちょっと不穏な雰囲気が漂っている。とはいえ、一応、狭いながらも河原なので、かまうものか、カメラをぶら下げて探索したことがある。ま、いろいろあって、俺もかなり捨て鉢の気分になっていたころだ。そのころは、入間川の河原を逐一歩いていて、しょっちゅうホームレスに出っくわしていた。

崖の下に、風体の悪い奴を発見して、ちょっとギクッとしたが、何食わぬ顔で通り過ぎ、狭い河原の切れるところまで行って、下流の堰などをぼんやり眺めた。ついでに写真も撮って、引き返しと、真夏だというのに、焚火をしている。目の端に、エロ雑誌のグラビア、年増の豊満な乳房、悩ましい表情が燃え上がり、みるみる黒い灰になっていく。

そいつは、ちらっと俺のほうを向いて、卑しい照れ笑いをした。下劣な野郎だ!なんだか、とっても嫌な気分になった。言ってみれば、どす黒い衝動が、うっそうとした崖の下に渦巻いていたのだ。

今はもう、その場所に行く気にはなれない。ただ思い出しただけだ。笹井の堰と豊水橋を、今日は撮りに来たのだ。…あの時に比べ、カメラの性能もよくなり、写真の腕も上がった。それに、何よりも心配事がなくなった。いやちがうな、両親二人を看取って、気持ちが軽くなっている。さばさばした感じで、妙に心が静かだ。川の流れ、堰にとどろく水しぶき、河原に生い茂る雑草、見捨てられたような、それでいて、存在感のある古い構造物、そういったものを眺め、写真に収めたいと思っているのだ。

軽登山靴に履き替え、堰の周辺を歩きながら写真を撮った。お昼前後、左岸側はちょうど逆光。先日の台風、大雨などにより水は濁っている。水量も多い。材木や河原の木々が監視塔に引っかかっていて、濁流の凄まじさが想起される。

護岸沿いには遊歩道がある。これは以前にはなかったが、表面に敷かれていたアスファルトが、濁流に流されてしまったのだろう、あちらこちらに、その残骸が散らばっている。遊歩道は、そうだな、およそ100メートルほど壊滅状態。ところどころに、大きな穴が開いている。

台風、大雨の影響は、かなり甚大で、この場所も、以前のような静かなたたずまいを取り戻すには、かなりの時間がかかるだろう。そんなことを思いながら、車に戻った。途中、河原への入り口に、キバナコスモスなどが、少し咲いていた。センダングサなども、斜面のわずかな場所で繁茂している。荒れた感じの、茶色の河原に、植物たちの緑が目に優しかった。

来た道を戻って、根岸の交差点を右折、豊水橋を渡ったところで逆Vを切って、河川敷に入る。ここは、橋の下の広場のような感じで、かなり広い駐車スペースになっている。上流側が、大きな運動公園になっていて、野球場やテニスコートなどがある。豊水橋は、左岸側には駐車スペースがないので、いつもここに車を止めて、橋の上に上がる。

上流側の眺めはいい。目を凝らすと、先ほどの笹井ダムが見える。その向こうには、山並み。一方、下流側の景色は、あまりぱっとしない。が、堰を見下ろせるし、そこには魚道がある。魚道というのは、魚が上流にのぼれるようにしている構造物のことで、笹井の堰にもあったが、豊水橋の魚道は立派なもので、来るたびに、そばまで行って眺めている。

というわけで、橋を渡り、右岸側に出て、急な護岸を斜めに下った。こういう時に軽登山靴が役に立つわけだ。このとき、必ず目に入るのが、豊水橋(とよみず)の下にあるホームレスの住居だ。橋の横幅が広いうえに、高さが地面すれすれ、といっても二、三メートルはあるが、とにかく、野営するには都合がいいのだろう。

橋の真下には、車が何台も止まっていて、その周りに生活用品などが取り散らかっている。かなり広い感じで、生息していたのは、一人や二人ではなさそうだ。ここも、以前は昼間から、酒盛りしているような不穏な雰囲気があった。脇を通り過ぎるときは、なすべく眼を合わすまいとしたものだ。

でもまあ、先日来の台風、大雨、濁流を何とかしのいだのだろうか?冠水した衣類などがその辺に干してある。住居と命は大丈夫だったのか?来るたびに、忌々しく感じていたホームレス軍団だが、今日は、ふと仏心が出た。

堰の狭いコンクリの上を歩いていくと、魚道がある。そこに、爺さんが釣り糸をたらしている。ちょっと会釈して、よけるような形で脇を抜けた。魚道は、濁った水でゴーゴー音を立てていた。この激しい水流に逆らって、魚たちは、上流へ行けるのだろうか?今、そう思った。

いつもは、急こう配の、三十センチ幅の魚道の縁を、そろそろ歩いて下まで行く。が、今日は無理だろう、何しろ水流が多いし、万が一にも、足を踏み外さないとも限らない。そうなったら、カメラがおじゃんだ。いや、カメラどころの話ではない。…歳を取るということは、こういうことか、危ないマネには、自然と抑制が働く。

車に戻った。折り畳みチャリを下した。右岸側の運動公園を遡上して、笹井のダムへ向かった。途中、川の向こう側、左岸の岸辺に釣り人が結構いる。あの辺にも、ジジイたちのたまり場があったような気がする。が、今日は平日だというのに、比較的若めの奴が多い。あんな濁った水の中に、魚などいるのだろうか?

チャリは快適だった。風を切って走っていると、気持ちが軽くなっているのが感じられた。運動公園が終わり、堰へ行くには、そこから護岸の縁を伝わっていくしかない。いつぞや、テントを張ってカワセミを撮っている男と遭遇したところだ。まさに、その護岸の縁に、変な小男がいる。ジジイだ。いったい何をやっているのか?不審な感じ、チャリも古びているし、普通に散歩に来た感じではない。

ま、いい。縁を、チャリを引いて、護岸が尽きるところまで行った。チャリに鍵をかけて、荒れた河原に下りた。誰も来ないだろうけど、万が一、眼を離したすきに盗まれるとも限らない、振り返って、緑色の真新しいチャリを見た。小心者には、うんざりだよ。

笹井ダムの左岸側は、鬱蒼とした感じで、撮影ポイントもあまりない。ましてや、今日は水量も多く、反り返ったダムのコンクリには近づけない。もっとも、この先、さらに行こうと思えば、いけないこともない。崖に斜めに建っている、崩れかかった監視小屋の横を抜けていくと、一般道に出られる。

要するに、川に沿った道で、ダムを見下ろせる。そして、さらに道を行くと、なぜか?浄水場のような自衛隊の施設がある。そして、その脇から河原へ降りると、そこにも、なんだかわけのわからない、水深計のような構造物があった。

直径二メートルほどの、コンクリの台座に載っている、この銀色の計器のようなものに魅かれて、何度となく、写真を撮りに行ったものだ。だが、行くたびに、その構造物は荒らされ、汚らしい廃棄物と化していった。そのうち、近くに人がいる気配がして、おそらく河原のホームレスの憩いの場であったのだろう、それ以来、行くこともなくなった。…そうだ、近いうちに、また、探検に行ってみようか。

さあ、今日の目いっぱいの予定は、すべて終了した。今来た道を戻った。例の、ジジイの小男がまだいる。すれ違いざまに、ちらっと観察した。護岸際の茂みが、何やら平らになっている。ああ、そうか、ここは、こいつの憩いの場だったんだな。増水で流されてしまい、また再建しようというわけか?手にしたレジ袋、古びたチャリに視線を走らせた。間違いない、こいつはホームレスだ。今回の濁流、増水にもめげず、何とか生き延びたわけだ。

…なんでまあ、こうホームレスのことばかり書かなくちゃならないだ。これほどの年月が過ぎても、気になるものが、変わっていないのは、どういうことなのだろう?もっとも、あの時も<モロイ>を思っていたし、今は<モロイ>の朗読をしている。≪モロイ≫は、いわば浮浪者、ホームレスだったよな。







































2019/11/6()晴れ。<入間川写真紀行2-5>。

今日は十日、要するに、この<心の覚書>をなかなか書けないでいた。でも今日こそは、仕上げなければならない。別に誰かに強いられているわけではない。単に、自分自身で決めたことだ。だが、今週の水曜日には、また入間川に出る。そうなれば、記憶が上書きされ、さらに薄くなり、なにも書けなくなってしまうだろう。

さてと、いつものように、ほぼ十一時過ぎに出発。入間方面へは、日高県道経由で行くのが距離的には近いが、交通量が多く、信号などもあり、意外に時間がかかる。なので、裏道を通って、サイボクの少し手前あたりに出て、少し走って、407号の田木の交差点を左折した。長い坂を下っていくと根岸橋。渡たり終えたら、前回同様、左逆Vを切って、橋の下の河川敷に到着。およそ3513キロくらいの行程だった。

車からチャリを下し、豊水橋を渡る。橋からの景色とか、魚道などが気になったが、いちおう、前回撮ったので素通りする。左岸の入間狭山自転車道を、下流の広瀬橋へ向かっている。案内板をちらっと見ると、自転車道の終点は、上尾との境にある入間川大橋で、およそ25キロくらいだ。

ま、そんなことはどうでもいいが、この自転車道の右下は、河川敷運動公園になっていて、野球場とかサッカー場が、流れに沿った狭い河原に、縦長に連なっている。昔、一、二回、歩いたことがあり、その時の記憶がよみがえる。少年サッカーの試合、大興奮している母親たち、少年野球の、子供たちを大声で罵倒しているコーチ、女子のソフトボールチームの練習、土手下には河川敷耕作地?ならぬ、家庭菜園のようなものがあり、ヘチマの黄色の花が咲いていた。…ふと目をやると、どうやら、先日の大雨、濁流に洗われ、運動施設はすべて使用中止になっている。静かなもんだ!

チャリだとあっという間、広瀬橋が目前だ。と、そうだ、河原に入る道がある。いつもは、広瀬の交差点を突っ切り、少し行って歩行者信号を左折、細い道をうねうね行くと、土手にぶつかり、その低い土手を乗り越えて河原に入ったものだ。砂利道だが、チャリで降りたみた。

右手は、河川敷公園になっていて、遊具などがある。…遊具、…公園の遊具などを撮っていた。写真を撮り始めたころで、誰かの影響だな。人間のために造られた、ごくありふれた物なのに、いや、それゆえに、そこに人間がいないとなると、何か空っぽな感じがしておもしろかった。それにしても、思い込みばかりでろくな写真ではなかった。

…朱色がさめてしまって、さえない感じの広瀬橋。上流側の景色が好きだ。流れの真ん中に、大きな砂州がある。橋の歩道を歩きながら、位置を変え何枚も撮った。

橋を渡り終えたところには、野球場のフェンス、その向こうの建物が中学校だ。いつぞや、プールの脇を通り過ぎただけなのに、変質者に間違われ、教師に詰問されたことがある。平日にカメラをぶら下げていたのが、誤解の原因だったようで、その教師たちと興奮して言い合った。嫌な思い出だ。それ以来、あの辺には近づかないことに決めた。

道路を渡った。右岸土手は通行禁止だったはずだが、鉄柵が取り外され、何やら工事中だ。というわけで、橋の下の河川敷には車がたくさん止まっている。岸辺に散見するのは、釣り人の車だろう。が、土手を降りたところに、きれいに横一列に車が並んでいるのは、これは、右手の小学校の先生たちの車なのか、それにしても、ざっと三十台くらい、数が多すぎないか?

右岸広瀬橋の下に入り込むには、以前は、この小学校の敷地を抜ける必要があった。そんなことは許されないのだが、実際には、車が入り込んでいるであり、自分もきょろきょろしながら、何回も通り抜け、右岸土手に出たものだ。

ま、いい。今日はチャリだ。土手を降りて、遊歩道を、少し下流の堰の方へ向かった。・・・この堰は、たしか、田島屋堰だったろうか?今調べて確認した。茶色の遊歩道は、堰の脇辺りで陥没していて、本冨士見橋方向へは行けない。濁流に洗われた下草を踏みしめ、恐る恐る、というのも、マムシが潜んでいるかもしれないからな、と思ったのだからよほどの小心者だ!堰の付近まで行って、下流の景色を入れて、何枚か撮った。…だいたい、この辺は鬱蒼としていて、以前は近づけなかった場所だ。だから、このアングルはかなり新鮮だった。

水際の護岸、釣り人の後ろを通って戻った。広瀬橋の下を抜ける遊歩道があり、チャリなので迷うことなく、右岸を遡上した。これといった景色もなく、霞川の合流点近くで行き止まり。そのまま引き返す。撮影的には、ほとんど意味はないが、チャリで初めて通る道、ということに満足した。

それと、護岸沿いの水辺に、変な木が何本も刺さっている。ここは以前からカワセミの撮影ポイントで、アマチュアカメラマンたちが、人工的な止まり木を作って、カワセミをおびき寄せ、撮ろうというわけだ。性懲りもなく、あの濁流の後に、わざわざ設置したものだろうが、今日は、カワセミどころか、でかいカメラを持ったジジイたちの姿も見えない。…釣り人は静かで単独、それに比べ、カワセミ撮りのジジイたちは、なんか、ざわざわした感じで好きになれない。だいたい百万以上もする大砲のようなレンズをずらっと並べて、カワセミの、どんな写真が撮りたいのか?ロクな奴らじゃない。

また橋の上を歩いた。再度左岸側にわたって、一段と高くなった自転車道を田島屋堰へ向かった。左側は民家、いろいろなお花が咲いている。驚いたことには、堰の付近、自転車道の脇に、ベンチが設置され、そこで、何やら昼寝をしている男もいる。確かに、景色のいいところだから、さっき調べた行政の<川のまるごと再生プロジェクト>の一環なのだろうか?悪い気はしないが、なんだか以前に比べて、人の姿が多い。この辺もちょっと雰囲気が変わったな。

急な砂利道を降りて河川敷に入った。そこにあったお花畑も、濁流で壊滅状態。ここでよくお花の写真を撮ったものだ。ちょっと無残な気持ちになった。チャリを止めて、堰に近づいた。こぶし大の石で敷きつけた護岸?に、ところどころ丸い筒のよう物が刺さっている。雨水を流すだろう、と、なかを覗く。ギョギョ!蛇がとぐろを巻いていた。うわ〜〜、写真どころではない!という気持ちになったこともある。蛇は気味が悪い、嫌いだな。

田島屋堰、逆光に、流れる水がきらきら光っている。モロ逆光だから、俺の腕では、写真にはならないだろう。とはいえ、何枚か撮った。遠い夏の日、おそらく精神薄弱なのだろう、身体の立派な少年が、堰の中で遊んでいた。俺が、堰に打ち上げられた大きな鯉の死骸を撮り終えると、彼は、その腐った鯉を、大事そうに白いレジ袋に入れた。写真に撮っていたから、何か大事で価値のあるものだと思ったのか、その得意そうな顔を見て、汚いから捨てなさい、と言ったつもりの言葉が、ほとんど自分にも聞こえないほど小さくなっていった。

さあ、帰ろう。右岸の護岸沿いの遊歩道を遡上した。途中、何回かふり向いて、流れの奥にある広瀬橋を見た。写真も撮ったが、ほとんど絵にならない。それよりも、と、対岸の鬱蒼とした崖を見た。あの木立の中には、ホームレスの住処があったはずだ。中に、少し踏み込んだだけで、あまりの不穏さにすぐ引き返したのだ。…ついでだな、チャリだし、行ってみようか。

遊歩道を、あっという間に、豊水橋まで戻り、右岸側の土手、というか崖の上に出た。ここも完全に河岸段丘だな。右側には健全な感じのテニス場や野球場。左側が、問題の不穏な木立。中に何本か小道があり、水辺まで下りていくこともできる。釣り場になっている。そうだ、思いだした。が、さらに行くと、鬱蒼とした木立の間から、物置のようなものが、たくさん見える。のみならず、緑色のフェンスもある。いったい何なのか?誰の持ち物なのか?そんな思いで、木立の中に踏み込むと、ホームレスの住処に行き当たった。生活用品が雑然と取り散らかっている。見てはならないものを見てしまった、そんな感じがして、すぐに引き返した。これは、昔のことだ。

今回は、踏み込む気になれず、チャリに乗ったまま、横眼で見ながら、道の突き当りまで行った。そこは、少し広くなった駐車スペースのようなところで、霞川の低い土手が見えた。霞川は入間川の支流で、先日の大雨では、たしか氾濫危険水位を超えてしまい、レベル4になったところだ。少し上流には、おそらく、高校時代の友だちの家があったはずだ。

狭い土手にチャリを引きあげ、数十メートル行くと、入間川との合流点だ。堰になっていて、流れの真ん中に、複雑な形をした、おそらく水流止めだろう、大掛かりなコンクリの構造物がある。その上に、アオサギ?が身動きもしない。と、正面の青空にジェット機が飛来。慌ててシャッターを切った。

そのジェット機の向かむところは、すぐ近くの、いわゆる狭山丘陵の上にある、自衛隊の入間基地。昔は米軍のジョンソン基地といっていた。離陸するのも、着陸するのも、必ず、入間川を横断する。河原で軍事的な飛行機を見るたびに、幸せな散歩が中断される。騒音とともに、いつも現実に引き戻される。これは、いわば、負の異化効果?なのだろうか、ほとんど反射的にカメラを向けてしまう。

・・・いや、ちがうな。それらの飛行物体に、いまでも、ある種の魅力を感じている。…それは、小学生のころに、戦艦や戦闘機のプラモデルを作って喜んでいたのと同質の感性だ。人を殺すための機械であり、人間と人間の社会を蹂躙し破壊する戦争の道具だという認識が、いまだ血肉化していないのだ。自分も、結局は、そこら辺の人間と同じだ。恥知らずにも、むなしさすら感じなくなっていたが、それでも、青空を切り裂くジェット機の行き先を、心の中で思ったような気もする。




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